第5話 葛城

  

 来る大規模作戦にむけ膨れあがった職務をどうにか切り上げ、関口は帰宅した。

 重い体を押して玄関をくぐり、明かりを入れる。

 奈緒が不在のあいだ、千津にも休みを与えている。

 当然ながら、誰もいない家はひどく静かだった。


「……戻りました」


 出迎えの声はない。

 少し前までは、これに何か思うことなどなかったのだが。

 元々関口の知る家とは冷たく、寂しく、孤独ばかりが募る場所だ。

 だが、このところは──。


 瞑目する。

 そして、今はいない娘のことを考える。

 状況だけを見るなら、確かに彼女の意思など問うている場合ではない。

 だが、関口はどうしても、大宮うねの死が気にかかっていた。


 呪詛や穢れの類を肩代わりし、その身に溜め込んで耐える。

 そんなモリゴの性質を思えば、うねが何者かによってみどろが淵の術式基盤にされた折もかなりの強度まで耐えたはずだ。

 しかし結局は彼女も死に至り、蛇神を縛る呪いとなった。

 C案件とも似た、に。


 改めて、今回の対C案件大規模作戦についてを考える。

 目的は一定範囲の呪詛をひとつに纏め、対処の手数を減らすこと。

 故に大事なのは撫物がモリゴであるかどうかで、作戦終了後の彼女の生死は端から問題ではない。


 最悪彼女が呪いに飲まれたとしても陰陽寮のなすことは変わらない。

 呪いを集めるに事さえ成功したなら、後は彼女ごと始末して終わる話だからだ。


 暗澹たる気分で、のろのろと中に上がる。

 ふと、娘の姿を探している己に気づいて嫌気が差す。

 青く月影の差し込む縁側には、無論、誰のかたちもありはしない。


 出来ることなら頷いてくれるな、と関口は思う。

 少なくとも、彼女を帝都へ連れてきたのは生贄にするためではなかった。


 ○ ○ ○


 あたりは夜を塗りつぶすほどの絢爛な輝きに満ちていた。

 昼間は練習場所であった広間は、今は大がかりな宴会場となっている。

 ずらりと並べられたとりどりの膳、賑々しい音楽に、群れなす人々。酒の匂い。


 その中心に据えられて、奈緒は大いに困惑していた。

 祭りの関係者を集め、内々に歓迎の宴を設けるとは聞いていた。

 だが、流石にこれは想定外だ。人垣に囲われて身動きが取れない。


「いやあ、しかし本当にモリゴさんが帰ってきてくれるとはねえ」

「よかったよかった。ほんによかった」


 口々に喜びあう見嶋浜の人々に、奈緒はおずおずと声を上げた。


「あの……まだ、決まったわけでは」

「いーや、モリゴさまに違いねえさ。目元なんかほら、そっくりだもの」


 そう答えるのは白髪の男性だ。日に焼けているのは海に出ているからか。

 うねを知る者に胸を張ってそう言われてしまえば、奈緒は押し黙るほかない。


 老婆が、孫ほどの年であろう娘の手を額に押し頂くようにして包む。

 かさついた、熱い手だ。

 先程からこうして順繰りに手を取られ、もう随分長いこと離してもらえていない。

 だが、隣の老爺の瞳がかすかに涙で潤んでいるのを見れば、奈緒も強くは拒めなかった。


 伸ばされる手は色々だった。

 しっとりしていた。胼胝たこででこぼこしていた。

 綺麗に爪が磨かれていた。大きかった。小さかった。

 そのどれもが、縋るように奈緒の手を取った。


 その騒ぎを、いささか戸惑った様子で遠巻きにする者らもあった。

 主となっているのは、奈緒と年の変わらぬような若年層だ。

 うねが失踪して十八年、故郷を出たのは更に前。

 モリゴ不在の期間を考えれば、その理由は理解できる。

 心情だけで言えば、奈緒もそちら側だった。


(手紙のこと、杢師さまと相談したかったんだけどな)


 この調子ではいつ離して貰えるかわからない。

 気取られないよう、人垣の向こうに連れの青年の姿を探す。

 嘉一郎は嘉一郎で、別の者たちの歓待を受けているようだった。


(あ)


 視界の端に見知った顔を見つけて、奈緒はどきりとした。

 宴会場の片隅に娘がひとり、ひっそりと俯き座っている。

 モリゴを辞退してくれないかと声をかけてきた、あの娘だった。


「さて、楽しんでいただけておりますかな」


 その声に、ぱっと人垣が割れた。

 例の娘の姿は、その人波に飲まれて見えなくなる。

 諸々の差配を終えた盛綱がもどってきたのだった。


「えと……はい、おかげさまで」

「それはようございました」


 盛綱は温和そのものといった顔で微笑んだ。

 恭しい言葉遣いになんとも落ち着かない気分になる。


 大宮うねの、義理の兄だという男。

 奈緒がモリゴであるか否か、それを判定するのは彼ということになっている。

 だがその盛綱がうねの死をどうとらえているのか、そして己という出自不明のモリゴ候補をどう考えているのか、それが奈緒にはさっぱり見えない。

 歓迎はされているのだろう。……少なくとも、表向きは。


 だが、それは何のためなのだ?

 ただ国の依頼を遂行しようとしているだけなのだろうか?


 できれば、この男からも色々と話を聞きたかった。

 だが、こうも周囲に人がいては落ち着いて話をするのは難しい。

 気持ちと状況とが大きく乖離して、上滑りしているのを感じていた。


「しかし、その割には浮かぬ顔をなさっている様子。

 何か不備でもありましたかな」

「いえ、何も」


 よくして貰っていると思う。……少し窮屈なくらいに。

 だがそんな奈緒の返答は、彼らとって十分なものではなかったようだった。

 盛綱をふくめ、周囲の人々は皆、どこか納得のゆかぬ顔をしている。


(……)


 奈緒は、言いようのない息苦しさを覚えた。

 これは……彼らが納得するまで、この調子なのではないだろうか。

 戸惑いながらも、奈緒は頭をひねり、どうにかそれらしい言い訳を絞り出した。


「……その。うねさんとよく似ていると口々に仰っていただいていますけど、

 わたしは、その方のことを何もしらないものですから、……気になって」

「ああ」


 盛綱が腑に落ちたという仕草で相槌を打つ。

 どんな方だったんですか、という奈緒の問いに、人々はそれぞれにうねの思い出を語り始めた。


 曰く。幼いころはそりゃあお転婆だった。蝶や花より蝉や蛙を喜ぶような子だった。

 曰く。優しい子だった。目の前に困っている人がいれば、己のものはなにもかも投げて寄越すような娘だった。

 曰く。大宮に養子入りしてモリゴをやるようになってからは、立ち振る舞いもすっかり落ち着いて、深窓のご令嬢らしくなった──。


「まあしかし、一番驚かされたのはいきなり“嫁に行く”と言い出したことだろうよ」


 誰かがしみじみと口にした瞬間、場がさっと翳ったのがわかった。

 あちこちで花開いていたうねの思い出話が、みな湿りをおびて萎び地に落ちる。

 奈緒にとっても、それは聞き捨てならない情報だった。

 陰陽寮には大宮うねが結婚した、あるいはしていたという記録はない。


「うねさんは、ご結婚なさっていたんですか?」

「いいえ。彼女は未婚でした」


 きっぱりと否定したのは盛綱だった。

 奈緒は首を傾げる。


「では、“嫁に行く”と言い出したというのは」


 盛綱は押し黙った。表情はどこか固い。

 いつのまにか、あたりは妙な空気に包まれていた。


「知らねえよ。だァれもな」

「……知らない?」


 盛綱に変わって口を開いたのは、脇の方でちびちびと酒を呷っていた男だった。

 随分と酒が回っているのか、鼻先まで赤い。


「おお。どっか山のほうの村に、乞われて撫でに行ったあとのことさ。

 うね様は帰ってきたら突然“嫁に行く”だとか言い出したのよ。

 よくわからん短刀を大事そうに抱えてな。みぃんな、寝耳に水よ」


 短刀。もう手放した、母の守り刀が脳裏を過ぎる。

 ちょっと、と周囲の窘める声も、彼には聞こえていないようだった。

 小さくおくびを漏らし、男は独り言めいて言葉を続ける。


「相手は誰なんだと訊ねてもだんまり。

 せめて連れてこいと言っても首を横に振る。

 挙げ句、嫁に行ったらもう戻らないときた。

 そらもう、見嶋浜じゅう大騒ぎよ」


 会話は既に絶えていた。

 他にはもう、口を開くものはない。


「それで、どうなったんですか」

「どうにもなりませんでした。

 そのあとすぐ、うねは陰陽寮預かりとなりましたので」


 奈緒の問いに、答えたのは盛綱だった。

 髭で装った口元には、やわらかく微笑みを浮かべている。

 だが、これ以上この話題をつづけるのを拒んでいるのは明らかだった。


 ──……ひーい。ひょーう……


 か細く、金属音にも似た声が夜空に響くのを、奈緒は聞いた。

 鳥の音だろうか。どことなく不安を煽る、物寂しい声だ。


 そのまま、この日の宴は解散となった。

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