第4話 靭猿


 従姉妹だったの。

 青女はそう答えた。


 ○ ○ ○


 青女こと安達せいは、幼くして父を亡くした。

 母はもとより天涯孤独の身の上、頼るべき親族はない。

 生活のため、最終的に母娘は死した伴侶の実家を頼った。


 安達家からすれば、駆け落ち同然に家を出た次男坊の妻子が厚顔無恥にも助けを求めてきた形である。

 だが次男坊の結婚に強く反対していた前当主はすでに亡く、安達家の舵取りは既に長男夫妻に移っていた。結果として、母子は安達家に、比較的穏やかに迎え入れられた。


 安達家当主の妻は、大宮本家生まれのモリゴであった。

 子はすでに四人。男子が三人、女子が一人。

 この、末の娘こそが、最後のモリゴ。


 である。


 ○ ○ ○


「まっ……待って下さい」


 奈緒は困惑のまま、青女の言葉を遮った。

 聞いている話と違う。うねは大宮家の人間なのではなかったか。


「それも間違いではないわ。後々そうなったのだから」


 青女は淡々と答えた。

 碧い影の落ちる縁側に緩く風が吹き抜け、女の頬をほつれ髪がくすぐる。

 その冷えた横顔に、気づけば奈緒は母かもしれない女の面影を探していた。


 少し話をしましょう。

 奈緒の質問に、どちらが言い出すでもなくそういう流れになっていた。

 風の通る縁側に並んで腰掛け、ぽつぽつと言葉をかわす。

 時折、風が思い出したように吹き抜けて、練習で火照った体をなでていった。


「うねは大宮の養子になったの。

 当時の大宮の奥方……盛綱氏の母だけれど、この人もモリゴだった。

 けれど、この方は娘を産む前に亡くなってしまったから」


 なるほど、と奈緒は頷いた。

 モリゴが本家にいないのは面目が立たないだとか、要はそういう話だろう。

 それゆえうねは大宮へ養子に行き、安達家にもそれ以上娘は生まれなかった。

 うねはうねとなり、最後のモリゴとなった。


「じゃあ、先生は同じ家で暮らしていたんですね。

 うねさんが大宮へ養子に行くまでは」

「ええ」


 さわさわと葉擦れの音がした。

 隣に座る女の白い頬に、影が揺れる。


「どんなひとだったんですか」


 そうね、と女が呟く。

 青女は薄い瞼を伏せた。


 ○ ○ ○


 うねはいかにも男兄弟の末娘らしい、天真爛漫で甘え上手の子供だった。

 分家筋とはいえ土地の名家の出、それもある種の生き神と見做される生まれの娘である。当然ながら、周囲は彼女を、まさに真綿で包むように大切に扱った。


 己の望みは叶って当然、周囲からは愛されて当然。

 そんな環境はうねの性格に一種の驕慢さをもたらしていたが、彼女生来の素直さは、それすらも愛嬌に変えた。

 モリゴの力に救いを求め伸ばされる手を、うねは決して振り払わなかった。

 何故なら、望みは叶えられて然るべきだから。正に己がそうされてきたように!


 ちからを勿体ぶらないうねの姿勢は、周囲からは大層好意的に受け取られた。

 また、存分に大事にされる一方で、周囲の過保護はしばしばうねを苛立たせた。


 あれはだめ、これもだめ。

 なぜなら、おまえは末の子だから。幼いから。

 だいじなだいじなモリゴだから。


 そんなのずるい。

 末の子だからだめだというなら、妹か弟がほしい。

 そんな駄々をこねては周囲を困らせていたうねは、だから突然現れた年下の従姉妹をおおいに喜んだ。


 あなた、せいって言うのね。

 わたしはうね。

 どうぞ遠慮無く、わたしを姉だと思って頂戴!


 ○ ○ ○


「──ずっと、自分が世話を焼かれる側だったからでしょうね。

 うねは何かとわたしの世話をしたがった。

 ありがたかったけど、正直ちょっと鬱陶しくもあったわ。

 あの子の言うお世話って、ほとんどお人形遊びの延長だったから」


 奈緒は頷いた。

 ぼんやりとではあるが、想像はついた。

 話に聞く限り、うねは筋金入りの箱入り娘である。

 であれば、誰かの世話など全くの不慣れだったことだろう。

 ふと気がかりになって、奈緒は恐る恐る訊ねた。


「その……もしかして。

 うねさんとは、あんまり仲良くなかったんでしょうか」

「そうね。壁があったわ。

 いちど、大きな喧嘩するまでは」


 青女は、微かに苦笑した。


 ○ ○ ○


 安達家に身を寄せたせいは、幼いなりに立場の弱さを自覚していた。

 頼った先の、このうねという娘の存在の重みも。

 万一彼女の機嫌を損ねようものなら、その日じゅうに母娘ともども見嶋浜からたたき出されておかしくない。


 そうと理解していたが故に、せいはうねのにじっと耐えた。

 もとより人見知りが強かったということもある。

 せいの沈黙を受容ととったうねは、ますます熱を入れて世話を焼いた。


 それはまだ、二人の年齢が十にも満たぬ時分のことだ。

 うまくやり過ごすだけの器用さを備えるにはまだ幼く、忍耐にも限りがあった。


 限界は突然にやってきた。

 いつも通りあれこれ不器用に世話を焼くうねに、せいはついに癇癪かんしゃくを起こした。


 嫌だ。わたしはあなたのお人形じゃない。

 身支度ぐらい自分でできる、わたしに構わないで。


 まさか俯いて後ろをついてくるばかりであった妹分が、内心そんなことを考えていようとは思ってもみなかったのだろう。

 感情の昂ぶるあまり泣きじゃくるせいを前に、うねは呆然と立ち尽くした。


 ○ ○ ○


「それは……。騒ぎになったんじゃないですか?」

「そうね。追い出されるんじゃないかと思って、その日は眠れなかった。

 まあ、うねの取りなしのおかげで、そうはならなかったのだけれど」


 あの子、次の日すごくしょぼくれた顔で謝りに来たのよ。

 そう言って、青女は僅かに微笑んだ。どこか寂しい笑みだった。


 あの、ごめんなさい。

 わたし、あなたの気持ちを何にも考えてなかった。


 うねはそう言って、せいに頭を下げたのだという。


「驚いたわ。それから、きまりが悪かった。

 だって、あの子だけが悪くて起きたことじゃないでしょう。

 されて嫌なことがあるなら、わたしだってきちんと言うべきだった」


 さわさわと風が吹き抜けた。


 おそらく。

 うねにはそれまで、対等な相手など居なかったのだろう。

 周囲にいたのは彼女の機嫌を伺い、何くれと先回りする大人だけ。

 せいの拒絶を経てはじめて、うねは他者を他者と認識した。


「そのあとでしょうね。本当に友人になったのは。

 わたしたちは仲直りして……喧嘩して。

 今度は、わたしがあの子を怒らせたりして。

 気づけば、二人でいるのが当たり前になっていた」


 物静かなせいと、華やかなうね。

 対象的なようでいて、仲の良いふたりの少女。

 青女の話に思い浮かぶのは、そんな姿だった。


 奈緒は、静かに佇む青女の隣にうねを見ようとした。

 青女より少し年上だというのだから、生きていればやはり四十過ぎだろう。

 周囲に愛され、それを素直に受け取って、素直に返すことのできる女。

 この話にも、そんなこともあったわね、だとか、そんなことを言って笑うのだろう。


 そして、その顔はたぶん、己によく似ている。


「先生」


 不意の呼びかけに、青女が振り向いた。

 つられて奈緒も振り返る。背後に、青年がひとり立っていた。

 青年は見慣れぬ娘が気になるのか、ちらちらと視線を奈緒に向けている。

 どうやらさきほど楽器を練習していたうちのひとりだ、と奈緒は気づいた。


「ええと……お話のところ申し訳ありません。

 それで、練習はいつから再開にしましょうか」

「あら、いけない」


 口元を押さえ、青女はするりと立ち上がった。


「時間もないのに、すっかり話し込んでしまったわ。

 声をかけてくださってありがとう。すぐ再開しましょう」


 青年が頷いて中に戻ってゆく。

 奈緒も立ち上がり、あとを追おうとして……用事を思い出した。

 動きを止めた奈緒を、青女が不思議な目で見る。


「奈緒さん?」

「その……すみません。

 練習に戻る前に、ちょっとお手洗いに寄ってきてもいいですか?」


 ○ ○ ○


「──ふうん。

 “”、か」


 人気のない集会所の隅、受け取った紙切れを手に、嘉一郎は呟いた。

 表裏かえして確かめてみるが、特に仕掛けらしきものは見当たらない。


「困ったな。こういうのは、ボクの本分じゃないんですが」

『何をぬかすか。あれの付き添いである以上、これはお前の仕事であろ』


 嘉一郎がぼやく。

 傍らに立つ白い少年は、じっとりとした視線を向けた。

 その瞳は酸漿ホオズキのように赤い。カガチである。


「それはそうなんですけどね。でもほら、向き不向きってあるでしょう。

 ボク向いてないんですよ、こういうの」


 わかるでしょう、と嘉一郎は少年形の蛇神に同意を求めた。


、ボクはこうして目の前に顕現して貰わないことにはんですから」

『……』


 カガチはむすりとして答えなかった。

 嘉一郎の言わんとしていることは理解している。

 

 それこそがこの嘉一郎の特性であった。


 なんとなく嫌な感じがする。

 理由はないが恐ろしい。


 霊感などない常人ですらうっすらと感じ取るものを、この男は感知しえない。

 ある種の欠陥であるが、陰陽寮の業務にあっては利点でもあった。

 なぜなら──

 彼がC案件を任されがちであったのも、要はこの特性のためであった。


「しかし、まあ……これは怪異というより、人間の仕業ですかね?」

『恐らくな。その紙片に、こちら側の匂いはない』

「なるほど。わかりました。

 では、屋敷に出入りできた人間から少し探ってみましょう。

 ……それにしても。随分と不機嫌そうですね、蛇神どの?」


 嘉一郎の言葉に、蛇神はふんと鼻を鳴らした。


『それはそうであろうよ。

 陰陽寮の示した内容に、おれの機嫌が上向く材料があったとでも?』

「彼女に血縁が見つかるかもしれない。一般には、良いことでは?」

『それも結局は都合良く利用するためであろうが。

 なにより、おれがわからぬのはお前よ。

 あれをそそのかして、お前に何の利がある?』


 カガチの言葉に、嘉一郎はきょとんと目を瞬かせた。

 思ってもみない言葉を聞いた、という反応だった。


「唆す?」

『お前、あれに陰陽寮へ来た方が良いだの何のと吹き込んだろう』

「ああ。いえ、ボクとしてはごく真っ当な親切のつもりだったんですが」


 そう嘯く嘉一郎の口ぶりには、確かに含むところはない。

 少年は、その秀麗な顔を思い切りしかめた。


『人の子を人の世から遠ざけることの何が親切だ』

幽世かくりよから遠ざけることが彼女の為とも限らないのでは?

 モリゴであるにせよ、違うにせよ、常人と異なるのはもうはっきりしている。

 少なくとも、蛇神憑きではありますし」


 それに、と青年は淀みなく言葉を続けた。


「角をめ、牙を抜き、羽根をむしって人を装ってみたところで、

 結局のところ本質までは変えられませんよ。人ならざるものは──」


 ──


 続きを紡ぐ前に、嘉一郎は口を噤んだ。

 音にこそならなかったが、何を言わんとしていたのかは互いに理解している。

 据わりの悪い沈黙が落ちた。


『はん。余計な気などまわすでないわ。

 さような諦念、百年は前に通り過ぎておる』


 それを力一杯蹴り飛ばしたのは、カガチであった。


『覆せぬものはあるとも。拭いがたくある性質も。

 だがそれは、という願いをうち捨てる理由にはならぬ。

 目指すところ、あるべきかたちを決めるのは己自身よ』


 少年の言葉に、嘉一郎はやれやれと肩を竦めた。

 一歩足を外に踏み出せば、真昼の庭には津々と光が降り注いでいる。


「ないものねだりは辛くないですか」

『は、それをお前が言うかよ。そも貴様も同じ穴の狢であろうが』


 ああ、おれの目が節穴でないならな。

 かつて人に戻ることを切願した蛇神は、酸漿色の目を細め、獰猛に嗤った。


 ○ ○ ○


 ──思い出せてよかった。


 人目を避け、一人になったところで、奈緒は手紙をカガチに託していた。

 あのまま流されていたら、また手紙の相談をし損ねるところだっただろう。

 ほっと息をつき、奈緒は手洗いを出る。

 あとは何食わぬ顔で戻るだけでいいはずだ。


「あの」

「ひゃわ」


 突然の声に、奈緒は飛び上がった。

 声のほうを振り返れれば、小柄な若い女がひとり、目を見開いて立ち尽くしている。

 奈緒の声に、逆に驚かされた様子だった。


「あの……、驚かせて、申し訳ありません」

「こ、こちらこそ」


 気をとりなおしたらしい娘が、おどおどと頭を下げた。

 奈緒もあわてて頭を下げかえす。


 身なりのよい、どこか気弱そうな顔の娘であった。

 先程の練習に参加していた中にはみなかった顔である。

 年の頃は奈緒と同じか、少し年かさになるかぐらいであろうか。

 奈緒は娘の反応を待った。


「……」

「………」


 確かに、向こうから声をかけてきた。そのはずだ。

 だが目の前の娘は何も言わず、然りとて去るわけでもない。

 ただ、もじもじと指先を遊ばせている。

 目つきばかりは物言いたげに、ちらちらと奈緒を見ていた。


 人気のない廊下で、奇妙なお見合いが続いた。


「…………ええと……。

 何か、わたしにご用ですか?」


 耐えきれずに切り出したのは、奈緒のほうだった。

 見知らぬ娘はびくりと肩を跳ねさせ、視線をうろつかせては口をぱくつかせる。

 それから意を決した風に息を呑むと、ようやく重い口を開いた。


「はい、あの……そうです。

 用件は、その──モリゴを、辞退してはいただけませんか」

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