第3話 金魚飴

 

 週末ということもあってか、仲居の娘の言葉通り、小さな宿場町はちょっとした賑わいを見せていた。

 橋近くの日曜市には、取れたばかりの農産物を並べる農夫たちの他にも、怪しげな骨董を並べる浮浪者まがいや、手作りらしい木彫りの玩具を置く親子や、舶来の品という触れ込みの日用品を売る旅商人たちが思い思いに雑多な露店を出している。

 その喧噪を尻目に、少し離れた川沿いの土手では町の子供たちが遊んでいた。


 その賑わいの中を、朝食を終えた関口と名無しは目的もなくそぞろ歩いていた。

 長身の男と小柄な娘の、ちぐはぐな組み合わせ。

 その両者の間には、相変わらず沈黙だけが横たわっていた。


 名無しはといえば、まず人の多さに圧倒され、それから、目を引くものの多さに圧倒されていた。

 半歩先をゆく関口が道を作ってくれているのでなんとか歩けているが、気を抜けば押し流されてしまいそうだ。少しぼうっとしていると、あっという間にひととぶつかってしまう。


 一方、関口はそんな娘の様子を横目でうかがいながら、さりげなく娘の歩幅に合わせて人混みをかき分けていた。

 薄い肩は緊張からか強ばっている。歩き方も少しぎこちない。

 不安がっていると言うなら連れ出せば少しは気もほぐれるかと思ったが、今のところ逆効果のようだった。難しい、と関口は思う。


 この娘を無碍むげには扱わぬ。山里の娘に、そう告げたことを思い出す。

 ひとり放っておかずに連れ出してやれという宿の娘の提案を関口が容れたのは、言ってみればそれが理由だった。

 目の前の事象に気を取られ、気が回っていなかったのは事実だ。


 しかし、どうしたものだろう。関口は悩んでいた。

 関口は女子供が苦手だ。そもそも扱い方がわからない上に強面なのがまずいのか、何もせぬうちから怯えられるのが常で

 せめて言葉だけでも柔らかく、と心がけてはいるが、正直成功しているような感触はまるでなかった。それでも何か、自分から話しかけてみるべきだろうか?


 悶々と思い悩んでいるうちに、ふと、娘の意識が一カ所に引かれたのに気付いた。

 視線を追う。その先には、こぢんまりとした飴細工の露店があった。

 精緻なつくりの飴細工がずらり並んでいる。


「飴が気になりますか」

「えっ」


 関口の尋ねに、娘はわかりやすく肩を跳ねさせた。

 何がそんなに後ろめたいのか、目が泳いでいる。

 この調子では、警戒が解けるのはいつになることか。先は長そうだ、と関口は腹を括ることにした。


「おッ、嬢ちゃん、見ていくかい?」


 二人を客と見て取ったか、のんびりと欠伸をしていた店主がすかさず声をかけた。

 にっと笑う四角い顔はよく日に焼けている。


「えっと、でも」


なおも妙な遠慮の姿勢を見せる娘に、関口は言い添えた。


「ちょっと覗いていったところで、誰も咎め立てしませんよ」

「……じゃあ、ちょっとだけ」 


 腰の引けた様子の娘だったが、並んだ飴細工を眺めているうちに、緊張に興味が勝ってきたようだった。

 並んだ棒のひとつひとつに目を輝かせ、じっと食い入るように見つめている。


 菊に睡蓮、大輪のバラ。羽根を広げた鷲に、尾長鶏。


 関口の目から見ても、どれも生き生きと、躍動感に溢れた姿をそのまま切り出したかのような見事さである。店主は中々に腕がよいらしい。

 その店主が、気安い口調で名無しに話しかけた。


「どれか気に入ったのはあるかい?」

「その……どれもきれいで、全部気に入りました。すごいです」

「そいつァ嬉しいね。どうだい、ここに並んでないやつでも、希望がありゃ作れますぜ」


 ええと、と名無しは口ごもっている。どうせ遠慮しようとしているのだろう。だが、それでは連れ出した意味がない。


「ひとつお願いしよう」


 関口の声に、名無しは驚いた顔で後ろを振り仰いだ。

 その視線にいささか気恥ずかしくもなるが、この手の事柄は勢いが肝心だ。

 何がいい、と娘に尋ねれば、名無しは戸惑いと、小指の爪の先ほどの期待とを乗せた声で、金魚を、とささやいた。


「ほいきた」


 職人は炉の中から飴の塊を切り出すと、鋏と指先とを使って、迷いなくすいすいと形を作り始めた。まずは丸い胴。ひらひらと長い尻尾に胸びれ、背びれ。一通り乾かしてから、最後にちょいちょいと色をつければ、あっという間に金魚の完成である。


「ほい、お待ちどう」


 つやつやとした体が光を照り返すさまは、今まさに水中で体をくねらせているかのようだ。

 ぐいと差し出されたそれを、名無しはあわあわと受け取った。


「あの、いいんですか」

「勿論」


 名無しの娘はまだ、戸惑っているようだった。

 細い指先が、恐る恐る棒を握りしめる。


「……ありがとうございます」


 口の端を緩め、恥ずかしげに目を伏せて、名無しは礼を述べた。

 か細い首筋が露わになる。


 固かった雰囲気がふっと緩んだのが、互いにわかった。

 やはり、ふつうの娘だな、と関口は思う。


 今の娘には、あの、山里で見かけたときの人か獣かもわからぬ毛玉のような印象はどこにもない。

 些か痩せすぎではあるが、それなりに愛らしい、ごくふつうの娘である。

 

 その、ごくふつうの娘を、帝都に呼びつける。

 その意図が、関口にはわからない。


 ○ ○ ○


 それから他の露店もほどほどに冷やかし、時々説明などを聞きながら歩いていれば、いつの間にか、二人は市の端にたどり着いていた。


「あの、そういえば、ご用事はよかったんですか」


 ふと、思い出したように名無しが尋ねた。


「そこまで急ぎの要件でもありませんでしたので。それよりも、何か聞きたいことがあったのでは」

「その……はい」


 再び身をかたくした名無しの様子を見てとった関口は、少し苦笑して言った。


「君を連れ回しておきながら、十分に説明も出来ていなかったのはこちらの落ち度です。答えられる範囲でにはなりますが、聞きたいことがあるなら何でも尋ねて下さって結構」

「では、その」


 意を決して、名無しは口を開いた。


「オンミョウリョウって何ですか」

「……なるほど」


 まずはそこからか、と関口は呟いた。

 少し頭をひねってから、男は川縁の土手を指す。


「少し、その辺りで話しましょうか」


 ○ ○ ○


 青い風の吹き抜ける土手では、子供たちが草すべりに興じている。

 その脇に腰を下ろし、行き交う人々を眺めながら、関口は言葉を選び選び話を始めた。


「世界は、一定の決まりごとの上に成り立っています。

 例えば、太陽は東から上り西に沈む。掴んだ石を空に放れば地面に落ちるし、熱に当てれば飴は溶ける。

 ……ここまではいいですか」


 名無しは頷いた。

 手の中で、まだ口をつけていない金魚の肌が艶々と輝いている。


「基本的に、この決まりはいつであれ、どこであれ、絶対です。

 絶対でなければならない。ですが稀に、この法則は歪むことがある」


 名無しの脳裏に、あのみどろが淵の夜が過った。


「たとえば、みどろが淵みたいに?」

「そう。みどろが淵のように」


 関口が少し微笑んだ。


「そして陰陽とは、大雑把に言えばその決まりごとのこと。

 その決まりが正しく通るように、歪んだところを整えるのが陰陽寮の役目です。わかりますか?」

「たぶん」


 ついていけている、と思う。

 なにより、関口が学のない名無しにもわかるように言葉を選んでくれているのがよくわかった。

 だが、世界の歪みを正すのが役目というその部署が、ただの小娘に何の用があるというのだろう。


 素直にそう尋ねると、関口の顔が曇った。

 困ったような、疲れたような──或いは、うんざりしたような。

 なんとも言い難い顔である。


 何かまずい質問をしてしまっただろうか、と名無しは少し不安になった。


「その件ですが」


 関口は何やら言いにくそうにしている。

 近くで、土手を転げる子供たちの歓声が響いていた。


「自分の上司は──君を帝都に連れてこいと言い出した張本人ですが──さっき言ったような歪みを見る力が非常に強いのです。

 あまりに見える為か、他者もそれが見えているものとして話を進めるので、いつも説明が足りないというか」


 男の言葉はひどく歯切れが悪かった。

 名無しの手の中で、飴の金魚が所在なげな顔をしている。


「理由を尋ねたところで明後日の返事が返って来るので聞くだけ無駄というか……能力は確かなのですが……」

『宮仕えも大変よな』


 唐突に、少年の声がした。

 する、と冷たい蛇の鱗が、肌の上を滑る感触がある。


「か、カガチさま」


 娘は思わず周囲に気付かれていないか様子をうかがってしまった。

 関口は微かに眉をひそめているが、土手を走り回る子供たちは互いに夢中で、こちらを気にとめてもいない。

 周囲を行き交う人々もまた、姿のない場所で居るはずのない少年の声がしたことになど、誰も気づいてはいないようだった。


『さて。質問を許すというなら犬よ、おれも一つばかり問おう。

 昨晩の用事とやら、あの地蔵尊か』


 名無しの心配など意にも介さず、蛇神はしゅうと問いかけた。

 男の眉根がさらに寄る。


「そうです。御身はあれが何かお分かりですか」

『いいや。おれも微かに臭うと感じた程度よ。それ以上は我が権能の範疇にない。

 しかし……まあ、を突然宿に放り出した理由はわかった』

「あの、もしかして、何かあったんですか」


 どこか不穏な匂いのするやりとりに、名無しは不安になった。


「そんなところです。……説明しなかったのはご容赦頂きたい。

 先程も述べたような、歪みの影響は様々です。知るだけで巻き込まれてしまうこともある」

『ふむ。まあその言い分はわからぬではないがな。

 しかしおまえは、たったいま上役の説明が足りぬとぼやいところではなかったか?』

「それは、」


 関口が言葉を詰まらせた。

 蛇は嗤っている。


「あの、カガチさま。理由がおありなら、わたし、大丈夫です」

「……いえ、」


 男が首を振った。


「そうですね。説明を怠ったこと、申し訳ありませんでした。

 ただ、やはり全てを話すことは難しい。できるだけ──」


「もう! あんまり聞きわけないと、!」


 関口の言葉を遮って、甲高い子供の叫びが響きわたる。

 瞬間、男の目つきが険しくなった。


 

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