第21話 讃美歌(エピローグ)

文化祭当日。

何事もなかったように大きな学校行事がおこなわれていた。

暗幕で閉めきられたステージでは、合唱部の演奏が始まっていた。

バーンと臣人は観客がいる1階のフロアではなく、ステージ正面を見下ろせる2階のギャラリーからその様子を見ていた。

バーンは転落防止の柵に肘を付き、両手を前に出すようにしかがみ気味になりながら見ていた。

その横に臣人が立っていた。

指揮をするのは榊である。

スポットライトが合唱隊を照らし、そこに綾那と美咲がいるのが確認できた。

稲荷の事件のあと、綾那は元気にいつも通り活動していた。

毎週金曜日になると調理準備室に顔を出し、三月兎同好会の活動も続けていた。

あの事件のことも、バーンの右眼のことも口にしなかった。

ただ、いつものように笑って占いをしながらお茶を飲み、たわいもない話をして帰っていくのだった。

その横で彼女を心配そうに見守る美咲の姿もあった。

綾那の身体もそして気持ちも心配でたまらないといったふうだった。

臣人にくってかかるのもよく見られた。

冗談を冗談として受け取れない。

その状態を逆にバーンも臣人も心配していた。

そんなことを思い出しながら、バーンは綾那達の合唱を聴いていた。

演題も最後の方に近づき、カトリックの学校らしい選曲になっていた。

指揮をする榊の後ろ姿が独特のリズムを刻んでいた。

今まで聞こえていたピアノの音が消える。

この曲は無伴奏のア・カペラでの演奏になった。

1番の演奏が終わってバーンが口を開いた。

「綺麗だな…」

今までにないほど感嘆の感情が出たようにつぶやいた。

「ん?」

「…讃美歌がこんなに身に沁みたのは、初めてかもしれない…」

眼を閉じながらその旋律に身を委ねるように聴いていた。

「意外な発言やな」

目をちょっと見開くようにして臣人が言った。

「………」

言わなきゃよかったかなという顔をして、バーンは黙り込んだ。

だが気を取り直してこう付け加えた。

「俺の中に『神』への信仰は、もう…ない。でも、」

「バーン」

「綺麗なものを綺麗だと感じる『心』はまだ残っていたんだ。それがなんだか不思議で…さ」

自分の感じたことを語るバーンは初めてだった。

臣人は驚いていたが、平静を装いつつ言葉を続けた。

「それはな、きっと信心がどうこうって問題とちゃうでぇ」

臣人はこんな言い方をするバーンをみて、昔はきっと敬虔なクリスチャンだったのではないかと推測した。

少しずつ『人』との関わりを持ってきているからそう思えるようになったんだと思った。

劔地と本条院あいつらが歌っとるからそう思えるんだろな」

「………」

バーンは無表情で黙り込んだ。

臣人は深呼吸をひとつした。

「バーン、」

「………」

「まだ怖いか?『人』を知ることが?」

その質問にちょっと間を置いて、バーンが答えた。

逃げるようではなく、はっきりとした口調で。

「昔ほどじゃない…気はする」

それを聞いて臣人はうれしそうに微笑んだ。

「だとしたら、お前にしたらものすげぇ進歩やで!」

「………」

照れくさいのかバーンはそっぽを向いた。

しばらく二人の会話が途絶えた。

合唱部の創り出す美しい音楽が二人を包んでいた。

「なあ。」

「?」

、何でラティがずっとお前のそばから離れんかったか考えたことあるか?」

「臣人…」

バーンが臣人の顔を見た。

だが、臣人はステ-ジに見つめたままだった。

「彼女が何を望み、何を伝えたかったのかわかるか?」

バーンは首を横に振った。

「正直な話、わいも正確にはわからん。自分で導き出した答えはあることはあるが、それが彼女の想いと同じかどうかは…もうわからへん」

「………」

「でもな、お前は、はそれを知らなあかん。理解せなあかん」

「………」

「彼女の1番の望みを。彼女の想いを」

(ラティの…1番の望み?)

バーンは苦しそうに臣人を見ていた。

「臣人。」

「偉そうには言うとるけど、わいかてあまり大きなことは言えるクチじゃあらへんがな」

そう言うと臣人は体の向きを変えて、柵に寄り掛かるように後ろを向いた。

「ホンマなら、そんなこと言える資格もないことだけは確かや」

臣人も苦しそうな顔をした。

生きてる理由raison d'êtreなんて、考え込んだってわからへんとわいは思うとる」

「………」

「大切なのは何を成したか、成そうとしたかってことなんやないやろか」

まるで自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。

「………」

バーンは眼を閉じた。

臣人の言いたかったことを。

自分がやらなければならないことを。

しばらく考え込んだ。

そして、ゆっくり両眼を開けた。

「臣人の言い分もわかる…」

背後の壁を見つめていた臣人の視線が動いた。

「ずっと考えてる…けど、わからないんだ。どうして、ラティはあんな行動をとったのか」

(好きだからという理由だけやないはずや。

ラシスがどうこいつのことを考えとったか。

こいつに何を言いたかったのか。

それが、それを知ることがバーンこいつを変えるきっかけになるはずや。)

臣人はまたステージの方を向いた。

「まだ、何かが足らへんのやろな。さっきの讃美歌みたいに、お前が本当に大切だと思うことを積み重ねていけば見つかるかもしれへんな」

学院ここで働くようになって、やっぱ、変わったでぇ。

バーン。

今まで逃げる一方だったお前が、前を向き始めている。

過去に縛られたまま、身動きすらできずにいたお前が少しずつ距離を置き始めている。

今すぐでなくて、ええ。

いつか。

本当のラティ彼女と向き合えるようになるとええな。

ラティ彼女が真に望んだバーンお前になれるとええな。

それが…それを実現することが、わいのラティ彼女に対する唯一の償いであり、バーンお前に対する唯一の贖罪なんや。

なあ、バーン。いつか…な。)

臣人はバーンから視線を外して、綾那達の歌っている姿を見つめた。

ステージの演奏は続いていた。

体育館には荘厳で優美な旋律が流れていた。




すべてはルーンの導きのままに…

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