第20話 攻防(4)

あっという間にケーキセットをたいらげた綾那達が、突然、口を開いた。

カウンターからは少し距離があるので、大きな声を出していた。

「榊先生、お願いがあります」

右手を挙げて、綾那が立ち上がった。

「何?」

怪訝そうな顔をして榊が椅子を回転させて、彼女らの方を見た。

「夜は物騒なので寮まで送っていっていただけないでしょうか?」

美咲は教師なんだから当然よ、という口調で言い放った。

「昨日の件もあったので怖くって」

綾那もかわいこぶって訴えた。

二人でどうにかして榊をここから連れ出そうという算段をしていた。

臣人はともかく、バーンのそばに榊がいてほしくはなかった。

彼女らの白々しい口調に、その真意を悟ったのか榊はこう言った。

「だめよ。送ってあげたいのは山々だけど、もう飲んでしまったから車の運転はできないし。そういうことなら、私の方が送ってほしいわ」

この一言を臣人が聞き逃すはずはない。

当然、嬉しそうに言った。

「わいが送りますがな、ゆっくり飲みまひょ」

顔に『いくらでもおごります!』と書いてあった。

綾那達は臣人を睨んだ。

口を尖らして、さらに付け加えた。

「えー、ずる~い。榊先生ばっかり~。生徒はかわいくないんですか?」

そう言われて、榊はぐっと言葉に詰まった。

女としての彼女と教師としての彼女のせめぎ合いだ。

しばしの沈黙。

いや~な雰囲気の中で、視線と視線の攻防戦が続く。

と、バーンは飲んでいたモスコミュールのグラスを手放した。

「…じゃ、俺が送る」

「え?」

予想していなかったバーンのひとことに二人は耳を疑った。

「バーン先生、本当ですかぁ?」

「にゃ~にゃ、にゃにゃにゃ~にゃ!」

アニスが騒ぎ出した。

途端に榊も騒ぎ出した。

「ダメよ、これからは大人の時間なんだから、未成年は早く帰りなさいっ!」

なんだか何気なく言ったつもりのひとことが、火に油を注いでしまったことにようやくバーンは気がついた。

臣人はそんなバーンの横で頭を抱えていた。

彼女たちはああでもない、こうでもないと大声で文句を言い合っていた。

そんな様子をリリスは嬉しそうにして眺めながら、麻布でグラスを拭き始めた。

「あらあらぁ~、モテモテですわねぇ~、バーンさん~」

「?」

リリスに何でこんなことを言われているのかさっぱりわからなかった。

(モテる?俺が…?)

そんなやりとりを横目で見ながらあることを思っていた。

SFにいた時と比べて違っていること。

日本ここにいるようになって、なぜか自分の周りに人が集まってきている。そんな気がしていた。

臣人の祖父、碓氷神父、アニス、劔地、本条院、そして榊先生。

自分から積極的に関わりを持とうとしているわけではない。

それを避け、どうしても関わらなければならない時にだけ関わるようにしているのに。

あんな出来事があったにもかかわらず謝りに来てくれる人もいる。

こうやって、何かの用事にかこつけて訪れてくれる人もいる。

臣人のおかげなのだろうか?

それとも違う別な要因があるのか?

「…臣人……」

考えがまとまらず、助けを求めるように彼を見た。

「困ったもんやが、その通りやろ」

今までにないバーンの反応に臣人は少し喜んでいた。

「………」

「『魅了眼』使わないでぇもこの有様や。少しは自覚したか?」

普段は努めてバーンはこの『力』を押さえている。

彼が本気になれば、相手の意志に関係なく自分の意のままに操ることだって可能なのだ。

だが、そんなことは彼の良心が許しはしない。

本当に必要な時のみに限定して『力』を使っているのだ。

そう、昨夜のあの時のように。

「………」

バーンにとっては『魅了眼』の『力』は忌むべきものなのだ。

自分の心ですら自由にならない彼にとっては最も嫌うもの。

自分が他人から好かれるということはほとんど無かった。

嫌われるのが当然のようにして育ってきた。

自分の魅力や内面的特徴などありはしないと思っていた。

「昔、ラティにも言われたことがあるやろ?」

「………」

そう言われて思い出した。

7年前の秋。

高校からの帰り道、送りながら彼女に言われたことを。

『気がついて。魅力的な人なんだから…』

そう言いながら微笑んだ彼女のことを。

臣人は、『お前は自分が思うとるよりずっと魅力的な人間おもろいやつだ』と言いたかった。

「臣人」

今までと違う周囲の対応に戸惑っていた。

こんなにも自分を受け入れようとしている人達がいることに驚いていた。

アメリカからこんなにも離れた東洋の地で、こんな日が来るとは夢にも思わなかった。

「たまには、他人が自分をどう見とるかくらい知っても損はないやろ?自分自身の思い込みやなく、相手の『言葉』でなぁ。」

「………」

バーンは黙り込んだ。

(『言葉』…『言霊』…)

一昨日、臣人に言われたことを思い返しながらバーンは考えていた。

自分が日本ここにいる本当の理由。

世界でも希に見るレイライン上にあるこの国で。

四季折々の移りゆく自然が豊かなこの国で。

八百万の神々精霊に護られたこの国で。

『答え』を探しているのだ。

なくしてしまった『答え』を。

二度と巡り合うことがない彼女に対する『答え償い』を。

今ここで起こっていることは、その『答え』につながるひとつなのだろうか?

人と関わりを持つことによって何がもたらされるのだろう?

「………」

誰かがバーンの肩を叩いた。

バーンは我に返った。

「オッド先生。今日はこれで失礼しますね」

荷物を持った榊が背後に立っていた。

とても残念そうな顔をして彼を見ていた。

「…榊先生」

バーンは身体を半身後ろへ向けた。

彼は彼女にどんな顔を向けてよいのかわからないように、表情を動かさなかった。

「やっぱり、うるさい人達を送ってきますわ」

どうやら綾那達に押し切られたようだった。

彼の肩に乗っていたアニスも喜んでいるように小さく鳴いた。

「そういうわけですから、おやすみなさい。バーン先生、臣人先生!」

手を振りながら、勝ち誇ったように綾那が言った。

いつの間にかみんなバーンの周りに集まってきていた。

「なんやつまらんなぁ、帰ってまうのか?」

非常に残念そうに臣人がモスコミュールをガブついた。

「臣人先生は朝まで勝手に飲んでいてくださいな、ひとりで」

美咲が冷たい視線を臣人に送りながら、つぶやいた。

「冷たいな。本条院。」

「もう、接近遭遇ナンパ禁止ですよ。いくら職場の同僚といったって節操がなさ過ぎです」

あさっての方向を向いて怒っていた。

「みっさ!」

「はいはい……」

綾那のひとことに美咲は臣人に対する追及をやめた。

彼女には嫌われたくないのか美咲は彼女の言うことには非常に素直だ。

「ああ、勘定はええで。チャラっつうことで」

臣人はグラスの中味を含みながら、手をピラピラと上下に動かしていた。

「それはダメですよ。自分の分は自分で払います」

榊はかしこまって、バッグを取り出した。

「ええって。昨日、巻き込んでじまったお詫びとでも思っとってや。」

「臣人先生のおごりですか?」

綾那が嬉しそうに両手をグーにしながら、それを胸の前で振っていた。

「おお。わいとバーンのな」

「やったぁ!」

手を叩いて大喜びだ。

「ごちそうさまです」

榊も綾那達も口を揃えた。

「これに懲りんでまた来てや。な?」

臣人は名残惜しそうにそうつぶやいた。

「じゃ、行きましょうか」

榊が綾那達を促した。

3人がそこを立ち去ろうとしたその時。

不意にバーンが口を開いた。

「…怪我もなくてよかった…な」と。

独り言のようにつぶやくとバーンは口を結んだ。

「え?」

榊はそばにいるバーンの顔を見ようとした。

が、彼は何事もなかったようにカウンターの方を向き、平然とした顔でカクテルを飲んでいた。

彼女は不思議な顔をした。

もちろん綾那と美咲も同じような顔をしていた。

今、耳に残ったこの言葉は一体誰に対して向けられたのもだろう?と。

今夜はピアノの演奏もなく静かに夜が更けていった。

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