第9話 稲荷(6)
臣人はバレなくてよかったという顔をした。
これ以上自分たちの秘密があの二人に漏洩することは避けたかった。
巻き込みたくないのはバーンも同じだろう。
綾那と美咲が出ていったのを見送るとアニスは皿から顔を離した。
「大分仕草が猫っぽくはなったなぁ。アニス?」
足元にいる黒猫に臣人は話しかけた。
アニスはぷいっと横を向くと、尻尾を振りながらバーンの足にすり寄っていった。
「アニス。…リリスには断ってきたのか?」
バーンはアニスに手を差しのべた。
それを駆け上り、バーンの肩にちょこんとのった。
「ニャアニャア~」
「泣き声まで猫せんでもええやろうが」
何やっとんじゃっとでも言うように臣人が突っ込んだ。
「だって」
アニスが口を開いた。
猫の格好しながら、人語を喋っていた。
「一体どないしたんや?」
「マスターに何か起こりそうな気がしたので、黙って出てきました」
「……アニス、」
バーンに名前を呼ばれて、ビクッと身体を硬直させた。
「お叱りは受けます。真夜中の正午までいさせてください」
アニスはバーンに懇願した。
バーンはリリスにアニスを預けていた。
彼女は使い魔としてはまだ使えなかった。
無理に頼んで訓練してもらっていたのだ。
そこを無断で抜け出してきたとなるとリリスに余計な心配させるのではと思った。
臣人もそんなバーンを気遣ってこう言った。
「バーン。リリスのことや、大丈夫だと思うでぇ」
「マスターに迷惑をかけないように、細心の注意を払います」
「………」
「フォローさせてください」
「…わかった。」
ため息混じりにバーンはそれを承諾した。
臣人は
「ところで、昨日の話の続きや。
「祀られている稲荷がどういうわけか2体なんだ」
肩にアニスをのせたまま、バーンは紅茶を飲んだ。
「普通は1体やろう?稲荷勧進帳だってあるしな。なんでぇ?」
「双頭のヘビや狛犬って例もある。日本はシンメトリーを好む傾向にあるからな…。何か特別な理由で、2体なんだろうな…夕べはそれ以上はわからなかった」
「ま、榊先生の邪魔も入ったことだしな」
「………」
それは別にどうでもいい、と言いたげだった。
「今も
「ああ、いる。だが…」
言葉を濁すバーンに臣人は彼の思いを代弁した。
「あまりええ状態やないんやな?」
バーンはコクッとうなずいた。
「さっきの劔地達の言うとった、噂の音楽室の幽霊と関連はあるんやろか?」
「…それはどうとも言えない。
「わいらがいるんやから、引かれて集まってくるつう可能性もあるわな」
臣人はともかく、バーンの右眼は魑魅魍魎を引き寄せる。
彼自身それを非常に気にしているので、あえて臣人は主語を複数で使っていた。
「“守護者の門”の陰の気に引かれたという可能性もある…」
数ヶ月前の出来事を思い返しながらバーンが言った。
その“守護者の門”から出現したのがこのアニスだ。
あの門は魔界につながっている。
礼拝堂の地下になぜ“守護者の門”があるかはわからなかった。
しかし、この学院の敷地の霊的バランスを崩したことだけは確かだった。
「こないだの封印で、完璧に閉じたんとちゃうのか?」
「封印は完全でも、それまでに吹き出ていた邪気を急に払拭することはできない。あの地下の…大地の『気』そのものを浄化しないとダメだ」
「そりゃそうだ」
太陽の光が差さない地下では『陰』の気が溜まりやすい。
それを浄化することは結構大変なことなのだ。
「碓氷さんに“追儺”の儀式をしたかどうか確かめないと…」
前回、“守護者の門”を封印したのはこの学院の神父・碓氷だった。
その名前が出てみて初めて臣人は驚いた。
「あらっ!?バーン、知らなかったんかいな」
何を?という顔で臣人を見てた。
「ん?碓氷さんなぁ、法王庁に呼び出しくらったらしいでぇ」
法王庁とは、ローマカトリック教会の中心。
バチカンのことだ。
聖メサ・ヴェルデ学院高校はカトリック系の高校である。
「!」
「たぶん、“守護者の門”の報告にでも行ったんやろう」
「………」
「だから今は日本におらん」
「そうか。」
「でも、お前がそう言うなら確かめる価値はあるやろなあ。もしかしたら、“追儺”の儀式をしていたとしても、何かの理由で集まっとる可能性だってあるわけやろう?」
臣人は立ち上がって、飲み終わったカップを流しに置きに行った。
“追儺”の儀式とは、大きな法術を実行する前とその最後におこなわれるものを指す。
「………」
バーンは考えられる可能性をいくつか思い浮かべた。
綾那達の言っていることがもし本当なら、今回の稲荷の件も“守護者の門”に影響されている可能性もある。
この辺りを浮遊している霊が『陰』の気に引かれ、雪だるまのように次々と大きくなっていく。
あるいは、
「ついでだから、
そう言いながら臣人はバーンに近づいていった。
「………」
考え込み、黙り込んだバーンの肩を臣人は叩いた。
「自分の所為だなんて思っとったら、怒るでぇ」
「…臣人」
「お前がいるからどうのこうのって訳やないって。後ろ向きやのうて、前向きに考えぇ」
「………」
「わいらがここにいるから、それを止められると。被害を最小限にできると」
「………」
「な、バーン」
臣人の言葉にほんの少しバーンは笑みを顔に浮かべたように見えた。
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