第8話 稲荷(5)

ガラッ。

急にドアが開いた。

美咲と綾那がなだれ込んできた。

「はあ~、疲れたぁ。臣人先生ぇ!お茶、飲ませてください」

ため息をつきながら綾那が、バーンの座っているソファに近づいてきた。

「こらぁっ!ここは喫茶店やないでぇ」

臣人が怒鳴った。

綾那も美咲もソファの向かいにある椅子を引き出しながら座った。

「部室なんだから、くつろがせてくださいな」

美咲なんか態度も言い方のも横柄だ。

「こらこら」

今日は金曜日。

三月兎同好会の活動日であったのだが。

「もう文化祭前の練習がきつくて、きつくて…。死んじゃいそう」

そう言いながら綾那はテーブルに突っ伏した。

本当の部活の方が忙しくて、休みにならなかったのだがちゃっかり休憩しに来ていたのだ。

「お前達のホンマもんの部活なんやから、気合い入れてやらな」

臣人は困った顔で見ながら、食器棚の前に行くとさらに二人の分のカップを取って戻ってきた。

「気合いは十分はいっていますわ。でも、上手くいかなくて」

「榊先生がご立腹なんですの」

4つのカップにいい頃合いになった紅茶を注いだ。

辺りには柑橘系の香りが広がった。

注ぎ終わるとみんな待ってましたとばかりにソーサーを持っていった。

「は~ん。違う意味で怒っとるんやないか。な、バーン?」

さっきの話の続きだ!と喜ぶように臣人が言った。

「………」

バーンはそっぽを向いた。

「?」

「何かあったんですか?」

不思議そうな顔をして綾那がたずねた。

「さあて…な」

綾那も美咲もテーブルを囲むように席に着いた。

「それより、オッド先生、臣人先生。第1音楽室の幽霊を何とかしてくださいよ」

一口紅茶を飲むなり、違う話題を振ってきた。

「鏡に映るつうあれか?」

臣人も一度入れたポットの中身を入れ替えて戻ってきた。

「はい。何か最近、夜遅くまで残ってやる練習の時、怖くて。」

綾那は身震いした。

「………」

バーンは何も言わずに綾那の背後を右眼で見ていた。

「あの部屋に入ると、背筋が寒くなる気がするよね。みっさ」

横に座っている美咲に話を振るが

「そんな気もするし、そんな気もしないし」

全く関心がないといったふうだ。

「おかしいわよ、みっさ。みんなそう言ってるじゃない」

「みんなが言っているからといって、それが正しいとは限りませんわ」

美咲の方が冷静に状況を見ていた。

もしかしたら、霊や何かの不思議なものは信じていないかもしれない。

それよりは群衆心理。

暗示にかかりやすく、衝動的になりやすい心。

そっちの方を現実的に考えていそうだ。

「ま、それはそうだ。ええ線いっとるで、本条院」

「臣人先生に褒められても嬉しくありませんわ」

「かわいくないやっちゃなぁ」

口を尖らせながら臣人が言った。

「…劔地、」

彼女を見ていた視線を外して、バーンが呼び掛けた。

今まで、一応念のため霊視していたのだ。

何も霊の痕跡はなかった。

「はい?」

「カード、持ってるか」

「私のタロット・カードですか? 持ってますけど、ここに」

制服のポケットから出してバーンに見せた。

それを視認して、安心した。

「約束は守ってますよ。準備室ここ以外の場所ではやっていません。」

三月兎同好会発足時、臣人からきつく言われた約束。

この準備室以外ではカードを使わないこと。

『力』のある二人から離れてカードを使うことは危険だと告げられていたからだ。

臣人の言葉で言うなら、『類は友を呼ぶ』というのだろう。

何も知らない『普通』の人間には、わからない危険。

「それを…しばらく肌身離さず持ち歩くんだ」

「? 何かあるんですか?」

綾那が首を傾げた。

「…お守りだよ」

珍しくバーンがやさしい眼をしながら綾那を見ていた。

「?」

「わいらはプロだって、前に言ったやろ。忘れたんかい」

「覚えてますけどぉ。」

ぷっくりふくれながら、綾那は反論した。

「あとで音楽室も霊視とくさかい。とりあえず言われた通りにしてみぃや」

紅茶を飲みながら臣人は笑って言った。

それを聞いてもなぜバーンがそんなことを言うのかが綾那にはわからなかった。

今、自分たちが抱えている本業仕事のことを言うわけにもいかず。

臣人はバーンの真意を簡単に説明した。

「バーンが前にお前のカード借りたやろ? あいつの『気』が入っとるカードやからちょっとしたモンなら寄せつけんでぇ」

「はあ」

「だから、お守りになるつう意味や。OK?」

「はい」

ようやく綾那は返事をした。

パリパリパリ。

と、窓の外から何かを引っかく音がした。

その音に視線が窓に集まった。

黒い子猫が窓ガラスを外から引っかいていた。

「あら、子猫ですわ」

美咲が声を上げた。

「かわい~ぃ」

すかさず綾那は窓の所まで行くと鍵を開けて、中へ子猫を入れてやった。

紅い眼をした子猫はピョンと勢いよく中へ入り込むと一目散にバーンの足元にすり寄った。

「アニスやないか」

「アニス? この子猫の名前ですか?」

綾那は子猫を抱きかかえながら、臣人の方に近づいてきた。

アニスも静かに彼女に抱かれている。

「そうや。バーンの使い魔ペットなんやけど…テルミヌスに預けとったのにどないしたんやろ?」

「………」

バーンはじっとアニスを何も言わずに見つめていた。

その視線を感じ、アニスは綾那に素直に抱かれていた。

「こんな子猫を飼っていたなんて、バーン先生にしては意外ですね」

綾那は動物好きらしくアニスに頬ずりした。

「別に飼ってるわけやないけどなぁ。な?」

臣人は少しその様子を心配そうに見ながら、バーンの方を大丈夫かいな?という目で見た。

アニスは魔族の一員なので、変化したとはいっても結構凶暴である。

その地を出されてしまうと血を見る心配もあった。

「………」

バーンも臣人に眼で合図を送った。

そんなことはさせない、と。

バーンと契約を結んだ使い魔なので、バーンマスターの言うことには絶対服従なのである。

「でもここ4階ですよ。どうやって登ってきたのかしら?」

「猫科の動物やから、雨水管か何かを伝って登ってきたんやろな。」

ごまかそうともっともらしい話をでっち上げた。

アニスには空間歪曲能力みたいなものがあり、呼べばどこからでもやってくることができるのだ。

「すごい猫ちゃんですね。何か食べる? ミルクなんて飲むかしら」

「はい、綾」

いつの間にか、気を利かせた美咲が浅皿にミルクを入れて持ってきた。

「あ、ありがとう。みっさ」

綾那はそれを受け取ると、バーンの足下に置いた。

アニスはちらっとバーンの方を一瞥するとぺろぺろとミルクを飲み始めた。

「美味しそうに飲んでる。きゃああ」

あまりの愛くるしさに綾那は声を上げた。

「ほれぇ、お前ら部活に戻らんでもええのか」

臣人は困ったように彼女らを追い出す算段をした。

「あ、いっけない。ホント戻らなきゃ」

腕時計を見ながら綾那が焦った。

「行きますか、綾」

「うん。ごちそうさまでした、臣人先生。今度、スコーン焼いてきますね」

二人は立ち上がった。

「おお」

ドアを開けると手をパタパタと振りながら出ていった。

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