第7話 稲荷(4)
翌日。
放課後。
聖メサ・ヴェルデ学院高校の職員室。
結局バーンは臣人に付き合わされて、午前様になってしまった。
昨夜臣人と話したことを思い返しながら、明日の授業の準備をしていた。
「オッド先生。」
不意に声をかけられた。
椅子を半回転させて振り向くと、背後に榊がにっこり笑って立っていた。
「………」
「こんにちは。夕べはどうも」
「………」
「いま少しお話ししていいかしら?」
両手を後ろで組んで、ちょっと屈みながらバーンの顔を覗き込んだ。
その様子から、彼女が彼に興味を持っていることがうかがえた。
肯定するわけでも否定するわけでもなくバーンはあまり関心がないように何も答えなかった。
人と必要以上の関わりは持ちたくなかった。
今までの自分の姿勢を変えられはしなかった。
「………」
「オッド先生って、日本語お上手よね。発音も綺麗だし、イントネーションだって日本人顔負けで。どこでお習いになったの?」
彼の持っている雰囲気に少し気圧されながらも、榊は話しかけてきた。
「…習ったわけじゃない。
抑揚のない声でバーンは淡々と答えた。
「やっぱり葛巻先生からかしら?」
「いいえ」
バーンは会話を拒絶するように短い言葉で切った。
しかし彼女は少しでも長く彼と言葉を交わしていたいようだった。
何とか会話をつなげようと努力していた。
「話す方は本当に流暢ね。書く方はどうなのかしら?」
「………」
だが当のバーンはそれを余り快く思っていなかった。
できることなら早くやめてしまいたかった。
「よければ私が教えましょうか?」
彼女はバーンに一歩近づいた。
「………」
バーンが黙り込んだ。
その彼女の行動にこわばったように。
彼女は誤解している。
自分がここにいる理由を。
普通、外国人がALTの仕事をする理由は文化の相互理解のためである。
が、自分はそうではない。
彼が
「?」
あまりにも長いこと黙り込むバーンに彼女は首を傾げた。
「オッド先生!?」
「…俺、日本語を学ぶために…ここにいるんじゃない」
「え?」
「失礼。」
バーンはそそくさと席を立って、職員室をあとにした。
榊は怪訝そうな顔で彼の背中を見送った。
その足で、バーンは調理室を目指した。
北校舎4階の調理室。
引き戸になっているドアをノックもなしに開けて準備室に入っていった。
その音に臣人も気づいて内側の入り口からひょいと頭だけ出して準備室をのぞいた。
「お、バーンどないした?」
暗い顔をしたバーンがそこに立っていた。
臣人は彼の表情から何かを読み取ろうとした。
バーンは普段から表情も感情も表に出そうとはしない。
強力に自分の心をコントロールしているのだ。
そうしなければ、彼自身生きていけなかった。
繰り返される悪夢を断ち切るかのように、自分を戒めるようにそうやって生きてきたのだ。
それが臣人にはつらかった。
なんとしても彼を変えたいと思っていた。
そんなことはないと信じさせたかった。
『自分に関わった人間が死んでしまう』という思いを否定してやりたかった。
「?」
「………」
「二日酔いかぁ?」
「………」
「それとも、何かあったんか?」
「………」
何気なく探りを入れる臣人をよそにバーンは黙り込んだ。
「バーン?」
調理室から準備室に入ってきた臣人がバーンの前に立った。
「…なんでもない」
ようやく重い口を開き、食器棚の前にあるソファに座った。
「そうか? それならええんやが」
その口振りに一旦追及を引こうと思い、臣人も調理室へ再び戻った。
残っていた仕事を片づけようとした。
「………」
窓の外に眼を向けた。
いつもと変わらない夕暮れだった。
秋の初めの夕暮れ。
外の落葉樹が少しずつ葉を紅葉させ始めている。
夕日に透けて見える葉を見ながらバーンは考え込んでいた。
しばらく、そうしていると臣人が隣の部屋から声をかけてきた。
「職員室で何かあったやろ?」
「………」
バーンの表情が少しだけ動いた。
だが、目の前に臣人がいるわけではない。
その点だけには少し安心した。
動揺する自分の姿を見られたくなかった。
沈黙を守るバーンに、やっぱり何かあったんやな。と、思いながら更に臣人は言葉を続けた。
「誰かに何か言われたとか?」
「………」
バーンは何も言わなかった。
ようやく臣人がタオルで手を拭きながら戻ってきた。
彼の顔を見ながら準備室にあるガスレンジの上にケトルを置き、火をつけた。
紅茶の準備を始めていた。
カップとソーサー、ポットをテーブルに準備する。
バーンはその様子をただ眼で追っていた。
それも終わると臣人はこう付け足した。
「…榊先生あたりやないか?」
図星だった。
バーンは臣人の顔を見つめた。
「臣人」
「んー?」
「…そんなに顔に出てるか?」
ちょっとうつむき加減になりながら、彼がたずねた。
「別に顔には何も書いとらんがな」
「………」
「お前の考えてることは顔、見んでもわかる」
笑いながら臣人が答えた。
長い付き合いなんだから当たり前だろうとでも言うように。
「………」
バーンは臣人の顔が見ることができなかった。
「な~んてな」
ペロッと舌を出しながら、少し大きな声で言った。
「いくらわいがお前のことわかるいうても、そこまでわかっとったら気持ち悪いでぇ」
「臣人…」
「あてずっぽに決まってるやろ~が」
声を上げて笑っていた。
そんな臣人の明るさがいつもバーンの心がこれ以上暗くなるのを止めていた。
冗談。戯れ事。無駄口。
言い方はいろいろあるが、これが臣人にはあってバーンにはないものだった。
バーンは真面目には違いないが、真面目過ぎるのだ。
加減を知らないとでも言おうか。
考え方も、行動も、付き合いも…何もかも。
彼の今までの人生を振り返れば仕方のないことなのかもしれない。
それでも臣人はひとつひとつでもいいから彼に伝えたかった。
『生きていく』ことは、つらいこともあるが楽しいことの方がはるかに多いのだと。
『生きていく』ことは、罪悪ではないのだと。
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