第6話 稲荷(3)
二人の詠唱の声が止まった。
バーンも臣人も振り返った。
予想外の人物の乱入は大変な危険をはらむ。
何が起こるかわからないこの
自分たちが怪我をするぶんにはいつものことと割り切れるが、関係ない人を巻き込みたくはなかった。
「榊先生?」
臣人がその人物の名前を口にした。
手に鍵を持ち、スーツに身を包んだ女性が立っていた。
セミロングの黒髪が風に揺れる。
かけていた眼鏡を少し上に押し上げて彼らを視認し、驚いていた。
「どうしたんですかっ!こんな時間に、オッド先生も葛巻先生も。」
「………」
バーンは特段驚いたふうでもなく、無表情のまま彼女の顔を見ていた。
「ど、どうってなぁ」
臣人は返答に困ってしまった。
まさか、『呪術をしていました』なんて口が裂けても言えない。
「とっくにお帰りになっていたはずじゃないんですか?」
二人はいつも定時で退勤している。
講師なので正教員と違って束縛が少ないからだ。
「そういう榊先生かて、こんなところで何してはりますんや?」
逆に質問し返して、話の矛先を変えようとした。
どうやってこの場を言い逃れしようと考えた。
「私は、部活を延長して生徒を残していたので。学校を閉めようとしてたんです。」
彼女が綾那や美咲達の所属する合唱部の顧問である。
こと部活動では非常に厳しい指導で有名な人だった。
毎年、合唱部は全国大会にまで駒を進めるほどの実力を持った部である。
その指導となると鬼のように厳しくて当たり前である。
さらに文化祭が近いならば、文化部は延長をする。
それにこの学院は全寮制の学校であるので、何も心配はない。
学校の敷地内に全てが揃っているからだ。
榊は自分の鼻に手をあて、如実に嫌な顔をした。
「お酒臭くありませんか、葛巻先生?」
「!」
口元をおさえながら臣人はつぶやいた。
「さっきまで飲んでたからなぁ」
そう言われてみれば、ジンベースのカクテルを2杯飲んできたのを思い出した。
「酔っぱらって学校に戻って何をなさろうとしていたんですか?」
ここは女子校なので、いかがわしいことでも考えているのではないかと疑って彼女はたずねた。
「だっ、誰も変なことはしてへんでぇ」
困った顔で臣人は反論した。
本業をしていたんだから変なことではないが。
知らない人が見れば、暗闇の中で若い男二人で何をしていたのかと聞きたくなる気持ちもわからなくはない。
彼女は女子寮でも覗きに行くとでも思ったんだろうか。
「じゃあ、何をしてらしたんですか。きちんと説明してください」
榊はさっきよりより一層きつい口調で問い詰めだした。
「ちょっと忘れモンを取りに戻っただけや。たいしたことやあらへん。」
「オッド先生も?」
言い訳がましい臣人の言葉に不審さを感じたのか、さらに突っ込んだ。
「・・・・」
「ああ。わいの付き合いや。」
後ろにいるバーンを親指で指さしながら笑って見せた。
その説明に榊は疑いの眼差しで二人を見ていた。
「随分と仲がおよろしいんですね。」
「まあな。それはそうとこんな時間に女がひとり歩きする方が危ないんとちゃうか? 何だったらわいが送ってこか?」
違う話を振られて、彼女も少し困った顔をした。
「いいえ、自分の車がありますから。」
きっぱりと言い切った。
これ以上ここに居座ることに嫌気がさしたのか彼女は足早にここを立ち去ろうとした。
「・・・・」
バーンは何も言わずにただ彼女の方を見つめ続けた。
「失礼します。」
短くそう言い残すと、榊はまた見回りに戻っていった。
彼女の姿が遠くに消えるまで、臣人もバーンも口を開かなかった。
「はぁぁぁ。ヤバかったなぁ。」
ようやく臣人が大きなため息をつきながらしゃがみ込んだ。
手で額をペシペシと何回か叩いた。
そのままの体勢で後ろにいるバーンの方を見上げた。
「バーン、どないする? 続けるか?」
「・・・いや、今日は引いた方がいいだろう。」
淡々とバーンは答えた。
臣人もバーンの見方に賛成だった。
「せやな、今、榊先生に戻ってこられてもやっかいだしな。ま、気ぃ強くてええ女なんやけど。鋭そうやからな。」
そう言うと臣人は立ち上がった。
「お前に苦手な
からかうようにバーンが言った。
こんなことを言うなんて珍しいことだった。
それに気がついた臣人は、さっきの話もあったのでさらに突っ込んだ。
バーンが自分の思ったことを言葉にしたことが嬉しかった。
「何、言うてんねん。
「………」
ニヤニヤする臣人に冷たい視線を送っていた。
「何か、お前に言われるとわいが女ったらしみたやないか~ぁ」
口をとがらして不満を言ってみた。
「…違うのか?」
バーンの言葉は止まらない。
臣人は嬉しそうに否定した。
「あんな~」
「………」
「そんなことより走査の結果はどうやったんや?」
「途中だけど、ある程度・・・かな。」
バーンは背後にある
臣人も同じようにそこを見た。
「ほな、結果は部屋に戻りながら聞くことにして。とりあえず、ここを誰も触れんように封印しといたほうがええか?」
「…ああ。」
臣人はジャケットの内ポケットに右手を忍ばせた。
中から1枚の白い符を取り出した。
合掌した指の間に挟み込むようにして符を持ちながら、臣人は
「オン・キリキリ・ウンハツタ、オン・キリキリ・ウンタツハタ…」
何回が真言を繰り返しながら、その符を
「とりあえず、これでええ。」
「………」
「ほんじゃ、今晩の第2ラウンド行きまひょうか」
臣人は人刺し指と親指で輪を作り、杯のようにすると飲む仕草をして見せた。
バーンはまだ飲むのかという顔で臣人を見た。
「お前かて、だいぶ飲めるようになったんやから付きおうてや」
「………」
「酒は独りで飲むより、二人で飲んだ方が美味いんやから」
日本に来る前、バーンはアルコールを一切口にしたことはなかった。
ヨーロッパにいた3年間のうちに少しずつ臣人に教えられ、勧められ、飲めるようになっていった。
バーンはリリスの言ったことを思い出した。
やっぱり臣人は國充と同じ酒好きだと思った。
血は繋がっていなくても似たもの同士のような気がしていた。
バーンは仕方なく付き合うことにした。
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