第4話 稲荷(1)

今はもう使われていない旧校舎。

いつも彼らが使っている新校舎から見てちょうど北側に位置している。

古い鉄筋2階建ての旧校舎。

ほんの数週間前までは部室棟として使われており、生徒も自由に出入りしていた。

時計は9時を回っていた。

闇の中に二人は立って、その校舎の見上げていた。

外灯が所々照らし出す道路には、二人の影が複数に伸びていた。

バーンが建物から臣人に視線を移した。

彼を見ながら何か言いたげだった。

「………」

その視線に臣人も気づいた。

バーンの動かない表情から、考えを読み取ろうとしていた。

少し酔いが回っていることもあるが、臣人はいつもよりお喋りになっていた。

「なんやぁ? まださっきのこと気にしてるんか?」

「………」

バーンの表情は動かない。

しかし、雰囲気がそうではなかった。

「どうってことないことや言うたやろ?」

バーンはちょっとうつむいた。

「………」

「こうやって縁があって付きおうとるんや、相手のこと知りたいと思うのは当たり前やろ?」

にかっと笑ってバーンの方を見ていた。

バーンは必要以外のことをあまり話そうとしない。

今までは臣人もあえて聞こうとしなかった。

だが今日の臣人は違っていた。

「話したくないこと無理繰り話したんやない。話したいこと話したんや」

臣人はラティから聞いたバーンの過去を思い出していた。

幼い頃の事件がきっかけで、人との関わりを完全に断っていたと。

だとすると、バーンは人と深く関わることが苦手なのではないだろうか。

いや、もしかすると今まで『友人』と名のつくような関係すら結んだことがないのかもしれないと思った。

どういうふうに付き合えばいいのか、反応すればいいのかわからないのかもしれないと思った。

「な、バーン。『言霊ことだま』って知っとるか?」

バーンは首を横に振った。

「日本では古来から、口に出して話す言葉に不思議な霊威が宿ると信じられとった。その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられとったんや」

「………」

「ある意味、わいらが使っとる真言やエノク語もこの『言霊』の一種やと思わんか?」

「………」

「わいらが望む現象を現出させるつう点でな」

「…臣人」

「変な話しやけど、思ってることを言葉にするのは大事なことやとわいは思う。人が人と付き合うためには、相手のことを知らなあかん。そのためには思っとること話さなぁ。なんでもな」

「………」

「時にはその言葉が相手を傷つけるかもしれへん。わいらはともかく他のヤツらは霊能者や感応者やない。話さなぁ誰もわかってくれへんでぇ」

「………」

「傷つけてしまったら謝ればええ。許すつう心も人は持っとる。やってみぃへんとな」

「………」

「怖いんやろ? 『人』を知るつうことが? 違うか?」

(怖い!? )

バーンは臣人の言葉に動揺したような顔をした。

(…そういえば、昔、兄さんにも同じような事を言われたな)

バーンは怖いという言葉を噛みしめた。

小さい頃から他人に傷つけられてきた自分。

右眼が他人と違うという理由だけで受け入れてもらえなかった自分。

常に噂の中に身を置かざるを得なかった自分。

家族以外は誰も自分をもわかってくれなかった。

自分が何かをしたわけではないのに、誰もが自分に距離を置いていた。

彼女を除いて。

唯一、血の繋がりのない他人で自分に踏み込んできたのはラティだけだった。

あの当時、確かにラティに自分を知られることも、彼女を知ることも怖かった。

自分の本心をさらす勇気がなかったのかもしれない。

彼女が事実を知ることによって何か大切なものを失ってしまうのではないかと不安に思っていた。

そんなことを思い出した。

「…きっと、臣人お前の言う通りだろうな」

バーンが臣人の話を珍しく認めた。

ちょっと臣人は笑った。

そして胸を張ってこう言った。

「お前はわいっつう人間を知りとうはないか?」

「………」

不思議そうにバーンが臣人を見ていた。

臣人のその言葉を聞いても、さっき思い出した怖さは感じなかった。

「そんなことせんでも見ればわかるなんていわんでぇくれよ。それじゃ、身も蓋もあらへんからな」

臣人は自分で言ったことに笑ってしまっていた。

独りボケつっこみをしている。

バーンと一緒にいるようになって7年が経過していた。

その年月を、これまでのことを思い出しながら臣人はどのくらいこの目の前に

いる男について知っているのだろうと思っていた。

バーンは自分のことも家族のこともまったく話そうとはしなかった。

長い間、彼のそばにいるようになって何を思っているのか、何を考えているのかがわかるようになったものの、まだ何か足りない気がしていた。

バーンの少年時代の話は、ラティが話してくれた範囲でしか知らない。

どうして彼女がその話を知っているのか不思議だったが、それを確かめるすべはもう無い。

彼女は亡くなっているからだ。

それがおそらくは事実なのだろう。

誰かと関わりを持ちたくても持てなかった少年時代。

自分の殻に閉じこもらないと生きていけなかった少年時代。

その殻を壊して、彼に初めて触れた人物。

それがラティに違いないと臣人は思っていた。

「わいはお前のことが知りたいでぇ」

力強く臣人はそう言った。

「………」

バーンは目を伏せて、臣人の言葉を考え込んでいた。

「面白半分やなく…な。」

真剣にそう思っていると伝えたかった。

それが『友達』だと。

互いを認め合って、結ぶ信頼関係が『友達』だと。

臣人は言葉にはしなかったが、お前バーンは信頼に値する人物だと思っていた。

「わいが実験台になったるけん、やってみぃ」

「臣人」

ようやくバーンが前を見て、顔を上げた。

「前にも言ったやろ?生きていく上で『人』との関わりは避けられへん。わいらはたった独りで生きてくんやない。な、バーン?」

その言葉にバーンも少し微笑んだようだった。

「…お前にかかると深刻な話も深刻じゃなくなるな…」

「そこがわいのいいとこや。認めてや。シリアスは苦手なんや」

臣人もバーンを見て笑った。

「そのうちな…」

「そんなこと言ってられん位、すぐ、気が向くようにしてやるさかい。」

「………」

ちょっと困ったように臣人を見た。

しかし、バーンは心なしかそれを楽しみにしているようにも見えた。

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