第2話 噂(2)
外はすっかり闇に包まれた。
街は夜の顔を見せ始める。
ここは、地下1階のテルミヌス店内。
今日は珍しく誰かがピアノでアコースティックな曲を静かに演奏していた。
それをBGMにしながら、カウンター席でいつものようにバーンと臣人は飲んでいた。
落とし目の照明の中でキラキラと浮かび上がるのは、カウンターの浅い棚に置かれた数々のリキュールの瓶と磨かれたグラスだった。
それを背にしながら、リリスがシェーカーをリズミカルに振っていた。
今日の講師としての仕事も無事終わり、一日の疲れをとる時間。
毎日の日課のように、二人はこの場所にやって来る。
それはこの
本業。彼らの本業は、教員のそれではない。
それは、
「は~い、お待たせしましたぁ。ギムレットですぅ~」
リリスがキンキンに冷えた2つのグラスを彼らに差し出した。
「くうううぅぅー。やっぱ、うまいなぁ」
いち早くその中味を臣人は飲みほした。
「仕事のあとはやっぱこれやなぁ」
臣人はちらっと隣のバーンを見た。
「………」
そんな臣人には関心を全く払わず、バーンはグラスを持ったままゆっくりと飲んでいた。
そんな彼の姿を見て、臣人は『何、気取っとるんやか』という表情をして見せた。
「リリー、すまんがもう一杯作ってぇくれへんか」
「はぁーい。臣人さ~ん、いつもよりぃペース速くないですかぁ~?」
臣人の方に向き直って、黒いバーテンダー服に身を包んだリリスが答えた。
服装とは似つかわしく無い話し方。
舌っ足らずで、語尾が異様に間延びしている。
子どもっぽい笑みを浮かべながら、再びシェーカーを持った。
エメラルドを思わせる瞳が、ライトにキラッと光って見え綺麗だった。
「そうか?仕方あらへんやろ?うまいもんはうまいやから」
「やっぱりのんべぇの一族はのんべぇですわね~~~」
慣れた手つきでリリスはシェーカーの中に再び数種類の酒を入れる。
「じじいと一緒にすなぁーっ!」
困った顔で臣人が反撃した。
自分と祖父を比べられているようで嫌だったのだ。
おそらく、リリスにそんなつもりは毛頭無いのだろうが、臣人が過剰反応している感じだ。
「あら~、だあってぇ~、國充さんだって結構いけるでしょぉぉぉ?」
シェーカーを両手でもって前後に振り始める。
心地よい音が聞こえてきた。
「いくら孫だからって、わいは一緒くたにされとうはないんや」
「………」
そんな臣人の様子をバーンはどうしようか?という顔で見ていた。
リリスが2杯目をグラスに注いで、臣人の目の前に差し出した。
「お待たせしましたぁー」
ちょっと腹が立ったようにそれ一気飲みしてしまった。
「あらあら」
その様子にリリスも目を丸くした。
一息ついてから、臣人がこう切り出してきた。
「そういやぁ、前から聞いてみたかったんやけど」
「? なんですの~?」
急に真剣な顔をする臣人に驚いたように、リリスは聞き返した。
「リリーとうちのじじいはどういう知り合いなんやろ?」
「どういうって言われましてもぉ~・・・見た通りですわぁ~」
返答に困っている。
臣人が物心ついた頃には
もうだいぶ昔のことなので臣人自身もこの店に来るようになったきっかけを忘れかけていた。
リリスとも長いつきあいになるわけだ。
彼女にぶつけたことのない疑問だった。
「見た通りってぇな、じじいは74歳、リリーは、」
リリスの顔をまじまじと見ながら臣人が言葉を飲んだ。
踏み台にでものらないとカウンターの上に上半身が出ないほど彼女は小さい。
臣人の記憶によると彼女の姿は出会った当時からあまり変わっていないのだ。
今から15年以上も前のこと。
「女の人に年の話は失礼ですよぉぉー」
ちょっとふくれっ面でリリスが言った。
「へ!? じゃあ、見た目より上ってことかいな?」
「さぁ~、どうでしょぉ~?」
首を傾げながら、知らんぷりを決め込むことにした。
「そんな話ぃ別にいいじゃないですかぁ~。私は神道、國充さんは密教界の重鎮で、この日本のぉ宗教界にー精通した人物っていうことでぇー」
あまり触れられたくない話題のようで、いつになくリリスの口は重かった。
確かにこの店にいれば日本宗教界の情報にはこと欠かない。
リリスにたずねれば、大概の情報は耳に入ってくる。
テルミヌスはそんな情報や裏の仕事の仲介をしてくれる場所でもあるのだ。
臣人はこの仕事を15歳の時から生業にしている。
バーンの事件が起こる2年前から。
「まあ重鎮っていう言葉が当たるかどうかは別にしても、裏宗教界の噂でリリーの名前ってほとんど聞こえてこんでぇ」
これだけの情報網を持っている彼女に対する素朴な疑問でもあった。
「わたしは…」
リリスは言葉を詰まらせた。
右手をそっと左胸に置いた。
まるで自分の心臓の音を確かめるように。
そして聞こえないほどの小さな声でこうつぶやいた。
「別にいいんですぅ。もう、死んだことになっている人間ですから~」
その声は臣人には届かなかった。
もちろんバーンにも。
「?」
「いえ、何でも…」
硬くなっていた表情がいつものリリスに戻った。
「臣人さんが生まれたぁ頃から知ってますもの~、かわい~い息子だと思ってますわぁー」
冗談っぽく笑って言ったが、臣人を見る目は優しかった。
「なんやそりゃ? まさかおむつ変えとったとか言わんよな?」
「くすっ。」
「あー!意味深な笑いしてぇ」
彼女を指さしながら、叫んだ。
「ご想像にお任せします~ぅ」
にっこり笑って麻布でグラスを拭き始めた。
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