今宵の夜伽は、君に捧げる。 3
祭典から五日。
白麗が粥を食べれるほどに回復をしていく中、朱衣の睡眠時間は深く長いものへ変わっていった。
紅晶と碧英は毎日朱衣の見舞いに訪れていたけれど、なかなか起きている時間にかち合わないでいる。
よく眠っている朱衣。安らかな寝息は、とても病を患っているようには見えない。
紅晶は、朱衣の手の甲に口付けをして、改めて決意を固めた。
隣の部屋に住む白麗の元へと向かう。
先に碧英が来ていて、白麗も寝台の上で上体を起こして座っていた。
「さて、
「どうぞ」
紅晶は目の前に用意された椅子に座り、碧英は寝台を挟んで反対側に椅子を置いて貰って座った。
「単刀直入に訊きますが、毒を盛られているっていつから気付いていたんです?」
「夜伽が来る少し前、だったかな。銀の匙が変色して気付いたんだ」
いきなり本題を突っ込んでくる紅晶に、白麗もどんな質問が来るか知っていたと言わんばかりに、冷静に答える。
碧英は緊張しながら、二人の顔を見比べていた。
「夜伽が来る前っていうと、もうすぐ
その時期に、何か思い当たるような特別な出来事や前兆はなかった筈だ。
碧英が首を傾げ、紅晶は頷いた。
「まあ、皇族というだけで、恨まれたりするものだ」
白麗はそう皮肉めいて笑うけれど、命を奪われそうになっているのだ。このまま犯人を野放しにしておけない。
「……実は、あの祭典のときに、以前皇宮で女中をしていた
紅晶は彼女を見かけて声を掛けると、彼女は街で気になったことがあったと言っていた。
紅晶は白麗の表情を見逃さないように、しっかりと目を開ける。
「見覚えのある女中が薬屋に出入りしていたそうです。彼女は何度か見かけたことのある女中だが、どちら様かは存じ上げないと言っていました」
皇宮内には、茜彗や菫凛。他にも女中達を診てくれる
わざわざ街まで降りて、薬を貰っている姿が奇異に映るのは自然だ。
一応薬屋を訪れて確認をしたけれど、店主が言うには、毒物を買っている人はその女中だけではないのでわからないと言う。
――雑草に効くからと買っていく者が多いのです。身分を一々確認はしていないので、買った人の中に女中が居たのかはわかりません。
「とりあえず、白麗
「いや、落ち着け碧英。この皇宮に一体何人女中が居ると思っているんだ。いくらなんでも、柑惺のくれた情報だけじゃとても特定出来ないだろう。
……そこで兄皇子、心当たりはないんですか」
「さあ。さすがに毒殺しようとしてくる相手を知っていながら、平静にはいられないよ」
白麗の声音や表情に嘘を吐いている様子はない。
「いや、平静もなにも……そもそも、毒が入っていることを知っているくせに摂取しないでくださいよ」
憎まれ口を叩きつつ、紅晶は振り出しに戻ったような気がしていた。
――虱潰しに探すしかないか。
柑惺のくれた情報は、まだ生きていて使えると思う。
あとは、他に目撃者が居れば一番いいのだが……。
あまり大っぴらに動けば、犯人に伝わってしまい逃げられてしまうかもしれない。
紅晶がどこかの探偵のように、一点を見詰めてぶつぶつと口内で呟いている。
「毒は、いつも
白麗の一言に、紅晶は顔を上げた。
白麗の涼やかな笑みに、紅晶は雲間から一筋の光が射したような気がした。
湯を作っている人物、あるいは配膳に関わっている人物……少しは絞られるかもしれない。
「紅晶、あとは任す」
「はい」
――白麗兄皇子には叶わないな。
紅晶は改めてそう感じた。
「朱衣」
夕焼けを見詰める幼い後ろ姿に声をかける。
彼女の夢は、いつも夕陽があって、子供の姿だ。
「また来たの?」
「うん、朱衣に会いたかったから」
「もう、いいのに」
朱衣は夜伽の金や銀に輝いていた髪の先に触れて、悲しそうにした。今は夕陽色の部分にまで、夜のような昏い黒が侵食している。
「わたしの命を永らえようとしてくれてたのね」
「……朱衣には時間が必要だと思ったから」
「でも、もう、わたしの体は保たないでしょう?」
自身の体の様子を、朱衣はよくわかっていた。
夜伽は、静かに一度頷いた。
金の目が、夕陽を浴びて琥珀のような色に染まる。
「ねぇ、夜伽。今日も物語を聞かせて」
夜伽は毎晩、夢に現に朱衣に物語を聞かせてくれていた。夜伽の甘い声は、とても耳に心地好い。
「そうだなぁ……じゃあ、とある国の、三人の皇子のお話でもしようか」
朱衣は一度目を見開いて、瞬きを二度すると笑った。小さな朱衣を抱き締めると、胡座をかいた足の上に乗せる。
そして、赤子にするように背を優しく撫でながら、夜伽はゆっくりとした優しい口調で語り始めた。
「三人の皇子は、一人のお姫様を深く愛しておりました。ところがお姫様を愛する故に、みんな向いている方向がバラバラで、誰も仲良くしようとしません。
ある日、一羽の鳥が皇子様達からお姫様を奪ってしまうと、皇子達は目を醒まして仲良く国を治めることにしました。
――ところが」
いつもなら、めでたしめでたしとくるところだが、夜伽は続ける。
「ある一人の女中が、皇子に毒を盛りました」
「夜伽……?」
「皇子は、一人、一人と欠けていき……この国は」
「待って!」
声を上げて、夜伽の話を遮る。朱衣の体は震えていた。
「……もう、わたしには関係ないわ」
「朱衣」
「仮に、わたしが戻れたところで、もう白麗達の傍には居られないのよ。家族みたいなみんなから離れて、皇宮を出なくちゃいけないわ。
……この寂しさを抱えて生きていくなら、このまま死んだほうがいいじゃない」
「本当にそう思う?」
夜伽の声は低く、怒っているようにも感じた。
「知りたくないか、白麗を殺そうとしていた人物を。
何故白麗が自ら毒を飲んだかを。
そして、この国の行く末を。
君の目で、耳で――」
二人の横を、誰かが通り過ぎる。
見慣れた背中。朱衣は夜伽の腕を抜けて、その背を追った。
「お父さんっ!」
朱夏は振り返り、目尻に皺を寄せて笑った。
――白麗、紅晶、碧英。三人が纏まれば、きっとこの国はもっと良くなるよ。
国を追われて、命からがらやって来た
皇子達なら、きっとより良い国にしていけると信じていたのかもしれない。
朱夏の影は、夕焼けに滲んで溶けていった。
「朱衣、僕と『番』になろう」
それが、君を救えるたった一つの方法だ。
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