今宵の夜伽は、君に捧げる。 1


 白麗は薄闇の中、目を醒ました。

 体が酷く重くて、軋む。体中響くように痛くて、やっと鉛のような重たい右腕を持ち上げて、嗤った。


 ――ああ、生きていたのか。



 舞台を降りてすぐに、胃が焼けるような熱を感じた。

 苦悶の表情を浮かべて、崩れ落ちる白麗に、周囲に居た祭典の運営に当たっている官吏が咄嗟に肩を支えた。

「白麗様、いかがなさいましたか!」

 何も入れていないはずの胃から、逆流してくるのを感じて、白麗は口許を押さえた。

 様子がおかしいと気付いた侍従が、「茜彗せいすい医生せんせいを呼んで来い」と怒号のように指示を飛ばしている。

 堪えられなくなって咳き込むと、押さえていた手指の隙間から血が溢れ出した。

 この日のために誂えさせた白いパオが、見る見る内に赤く染まっていく。

 白麗は昏くなっていく視界を感じながら、自業自得だと嗤った。


「白麗!」


 混濁していく意識の中で、今にも泣きそうな朱衣の声が聴こえた。

 ――泣くなよ、朱衣。私は今、その涙を拭ってやれないから。

 意識を手放す前、そんなことを思っていた気がする。


「目が醒めましたか」

 燭台の火に照らされた中に、茜彗の顔がぼんやりと浮かび上がった。子供が見たら泣きそうだ。

「目が醒めないのを望んでいたんだがな」

「ふぇっふぇ。お若いのに死に急ぐことはありますまい。ちゃんと順番通りに逝けばよいじゃないですか」

 茜彗はあっけらかんと笑う。

「順番通り、か。……茜彗、朱衣の様子は」

「よく眠っておいでですよ」

「……そう、か」

 白麗は目蓋が重いのか、うつらうつらしながら、茜彗の言葉に返事をする。

「もう少しお眠りください。起きたら、薬を飲みましょう。その後、菫凛の謝罪も聞いてやってください」

「……ああ」



 次に目醒めると、部屋は外からの陽射しで明るくなっていて、紅晶と碧英が白麗の顔を覗き込んでいた。

兄皇子にいさん……」

「白麗兄皇子アニキ!」

 今にも泣きそうな顔の紅晶と、目醒めたことに安堵し、嬉しそうにしている碧英。

「もう三日も寝てたんだぞ」

「三日……?」

「そう、倒れてからもう三日だ」

 祭典が終わってから、三日もの間昏々と眠り続けていたらしい。

 通りで体が錆付き、悲鳴を上げている訳だ。

 白麗は自分の右手を不思議そうに見詰めて、開いて閉じてを繰り返している。

 力を入れているつもりだけれど、痺れて感覚がない。

「茜彗、白麗兄皇子が起きたよ」

「そうですか。じゃあ、薬をお持ちしますでな」

 碧英が白麗の体を起こそうとしたところで、紅晶が白麗の上に馬乗りになった。

「え? ちょ、紅晶兄皇子!?」

 紅晶は拳を振り上げると、白麗の横の枕に叩き付ける。

 埃が舞い、陽の光に煌めいた。

 白麗は表情一つ変えずに、紅晶を見上げている。

「この大馬鹿野郎!」

 喉から絞り出したような紅晶の声。大粒の涙が、雨のように白麗の頬に降り注いで濡らす。

「どうして、こんなことしたんだよ! 苦しんでたんなら、なんで相談の一つもしてくれなかったんだ!」

 しゃくり上げながら、紅晶は続ける。

「俺達は皇族だろうが、なんだろうが、兄弟じゃないのかよ」

 紅晶が、こんな風に荒々しく感情を発露しているところを見るのは初めてだった。

 白麗は紅晶の頬に伝う涙に触れる。


 ――いいかい、白麗。自分を大事にできない者は、人を大切にすることなんてできない。


 病床で、朱夏先生が言っていたことの上辺はわかっていたけれど、本当の意味で理解は出来ていなかったのだと思う。

 碧英のように自分のことのように歓んだり、紅晶のように怒ったり泣いたり……ずっと孤独だと思っていた自分には到底真似出来そうにない。

「……紅晶や碧英のほうが余程、皇に相応しいな」

「うるせーな、厭味かクソ兄皇子アニキ

「紅晶兄皇子って、切れると口悪くなるんだな」

「……朱衣は? いないのか?」

 いつも白麗の体調を気にしてくれている、朱衣の姿が見えないのが気になる。

 白麗のその一言に、二人が表情を青褪めた。

「朱衣、は――」

「よせ、碧英。それより、ちゃんと薬を飲んで休んでください。兄皇子にいさんには聞きたいことが山ほどあるので、死んでもらっちゃ困ります」

 紅晶が退くと、茜彗が汁椀になみなみと注がれた薬を持ってきた。

 さすがに白麗も、この薬の量には渋い顔を見せたけれど、ゆっくりと体の中へ流し込んだ。


 朱衣について碧英が何か言いかけたところを、紅晶が口止めしていた。

 本当ならばすぐに自分の目で、朱衣の様子を確認したい。

 ただ、いくら紅晶でも、何か悪いことがあったのならば言うはずだから、白麗に言うほどの大事ではないか、白麗が赴いたところでどうにもできないことなのだろう。

 寝台に横になろうとするだけで、体が軋み、痛む。

 今のままでは、自力で朱衣の元を訪れることは不可能だ。

 たった一枚の壁が、今は堅牢な塀のように感じる。


 ――朱衣、君は今どうしているだろうか。





「ん……」

「朱衣? 目が醒めた?」

 草木も眠る真夜中。朱衣は薄らと目を開いた。

 毎晩、口付けて『精気』を渡してはいるけれど、体が弱ってきているのか、日に日に眠る時間は長くなり、起きる時間はバラバラになった。

「よ、とぎ?」

「うん」

 朱衣の目は虚ろで、夜伽の方へ首を向けたものの、焦点が合っているように見えない。

 夜伽は朱衣の手を取ると、両手で優しく包んだ。


「大丈夫、ずっとここにいるから」


 そう言ってあげると、朱衣は微かに口角を上げた。

「ねぇ、夜伽。お話、聞かせて」

 朱衣が倒れてから、毎晩のように夜伽は物語を聞かせていた。

「うん、いいよ。じゃあ、今日は僕のお気に入りの話をしようかな。

 昔、悪い鬼を退治をしたご先祖様が居て、そのずっと遠い未来の子孫が鬼に会いに鬼の住む島に行くんだ」

「鬼に会いに?」

「そう、鬼に会いに。そこで出会った、人と鬼の間に生まれた人間と恋に落ちるんだけどね」

「……素敵」


 夜伽の話す物語を聞いている間は、朱衣は苦悶の表情から解放されていた。

 そして、また誘われるままに深い眠りへと落ちていく。


 夜伽は朱衣が寝ているのを見計らって、口付けをした。






 


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