白の皇子は願う。 12


 ――夢を見ていた。

 朱夏先生が、僕を叱ってくれた夢。



 僕は昔、体が弱かった。

 後から生まれた紅晶や碧英は同じ食べ物を同じ量食べていても、どんどん背が伸びていくのに、僕は一年前とあまり変わらなかった。

 皇様とうさまはいつか伸びるときがくるから、と言ったけれど、侍従の一人が女の子のようだと陰で言っていたのを聞いて、悔しく思ったりした。

 その侍従を見返してやろうと思ったのがきっかけだった。

 体が悪くて動けないときは、誰にも負けないように知識を付けようと、誰よりも書を読むことにした。

 皇様は大層歓んで、僕の部屋の横に新しく書庫を設けてくれた。一冊一冊と書が増えていくのが嬉しくて、僕は更に書を集めるようになっていった。


 正直言えば、書があれば何もいらないと思うようになっていた。

 先生から受ける授業も、先を知っていて退屈で仕方なかった。

 優秀な白麗皇子、と言われ始めたのもこの頃からだったろうか。


 弟皇子の碧英は僕と正反対な性格をしている上に、羨ましいくらい頑丈な体をしていた。

 外で遊ぶことのほうが好きな彼は、勉強が本当に苦手で、じっとしていられなくて先生を困らせていたと聞く。

 何人も先生が辞めていき、もう島に碧英を教えられる先生はいないんじゃないかと噂が流れ始めた。

 そうした中、また一人先生が辞めていき、誰もが噂を信じ始めた頃、皇は僕達を同じ部屋で勉強させるという試みを行うことにした。


 けれど、このやり方はあまり賢いとは思えなかった。

 僕の勉強速度に合わせれば、弟皇子達は付いてこれないし、かといって弟皇子達に合わせて勉強するくらいなら、僕は自習でもしていたほうがマシだ。

 僕は段々どっちつかずの先生の教え方に苛々してきて、辞めさせるように仕向けていった。


 そうして来た三人目の先生が朱夏先生だ。

 朱夏先生はいい意味でも悪い意味でも、今まで来た先生と何もかもが違っていた。


「白麗、書物だけではわからないことがあるんだよ」


 そう言って、先生は僕達を青空の下に連れ出す。

 初夏の爽やかな気候の中、皇宮の庭園内を僕達と朱衣が先生の後について回った。

 昨夜降った雨のお陰か、空気は透き通っているように感じる。


「ご覧」


 そこには昨夜の雨露を纏った躑躅が、赤と紫の混ざった鮮やかで力強い色を発していた。

「躑躅がなんですか?」

 朱夏先生は一輪摘み取ると、花托の方を口にして、吸い上げた。

 そして満面の笑顔を見せる。

「うん、甘い」

「……なんでわざわざ蜜を吸うんですか」

 そう僕が意見している横で、紅晶と碧英が朱夏先生を真似て蜜を吸った。

「甘い」

「あまっ! 朱衣もやってみろよ」

「うん!」

 朱衣も碧英に渡されて、同じように蜜を吸って、目を輝かせている。

「白麗もやってごらん」

 朱夏先生に渡されて、白麗も渋々口にしてみる。


 ――あ。甘い。


「虫や鳥は、甘い匂いを嗅ぎ分けて選ぶんだよ。そして蜜を食べたり貯蓄する」

 目の前で、蜜蜂が躑躅の花の中を出たり入ったりと忙しなく動き回っている。

「書には、蜜蜂が蜜を集める理由は書いていても、その蜜の甘さまでは書いていないだろう?

 想像だけじゃ、わからないものがあるんだ」

 楽しそうに語る朱夏先生。

 けれど僕は、蜜の甘さを知ったところでなにになるのかと思った。

 皇になるのに必要な知識は、虫や鳥の気持ちを知ることではないはずだ。


 僕は朱夏先生が苦手だったけれど、紅晶も碧英もよく懐いていて、碧英の成績が目に見えて上がっていたので、皇は朱夏先生を大変気に入っていた。

 今回ばかりは、辞めさせようとすれば分が悪い。

 僕は朱夏先生の授業を甘んじて受けることにした。


「白麗、あそぼ!」


 そして、毎回のように朱夏先生に付いて来る朱衣。

 体調が悪くて授業を休むと、必ず僕の部屋で授業が終わるまで過ごしていた。

「ごめんね、朱衣。私は今体調が悪くて遊んであげれないんだ」

「じゃあ、朱衣がお話をしてあげる」

 書を読む時間を邪魔されて、不愉快だったけれど、朱衣は拙くても一生懸命僕に語りかけてきた。

 その後決まって、疲れきって僕の寝台で眠ってしまう。


 ――困ったガキだなぁ。


 朱衣に布団を掛けてやると、身じろいで、嬉しそうに笑った。



 

 朱夏先生に教わるようになってから三年。

 朱夏先生は病床に僕を呼び出して、二人きりで話しをすることになった。

 横になったまま、僕を見上げる朱夏先生。

 高い熱にやられて、目は落ち窪み、頬は痩けて、唇はがさがさと乾燥している。

 元気で僕らを皇宮のあちこちを連れまわしていた人とは別人のようだった。

 隣の部屋から、奥方のすすり泣く声が聴こえる。

 夕日が、部屋を赤く染めている。


 朱夏先生とは、これが最期なのだと本能で察した。


「白麗」

「なんですか」

「君は、三人の中では一番皇位に近いのだと思う。

 けれど、君は一番皇に相応しくないよ」


 朱夏先生はあの頃から見抜いていたのかもしれない。

 相応しくない、とは初めて言われた。


 朱夏先生は振り絞るようにして、上体を起こす。


「いいかい、白麗。自分を大事にできない者は、人を大切にすることなんてできない。反対も同様だ」

「私には関係ありません。皇に人の心は必要ですか」

「白麗」

「私は、なりたくて皇になる訳じゃありません」


 ぱちん。


 泡が弾けたような音だった。

 朱夏先生の平手だったと気付いたけれど、頬を打たれたことよりも、その手の力のなさに愕然とした。

 痛みはない。でも、胸の内から感情が溢れてきて、涙が零れた。


「……すまない、白麗」


 謝罪は、叩いたことではないことはわかっていた。

 朱夏先生も、大粒の涙を溢して、泣いていた。

 それが、僕の意を汲み取ってくれた、朱夏先生の最期の言葉だった。

 




 ――私は、皇になんてなりたくない。



 碧英のように、野山を駆け回ってみたい。

 紅晶のように、人と寄り添ってみたい。

 夜伽のように、自由になりたい。

 朱衣と陽の当たる道を並んで歩きたい。


 それが叶わない人生に、生きる意味なんてあるのだろうか。






 続




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