白の皇子は願う。 9
その日の夜。
夜伽は書庫で朱衣が着替え終わるのを待っていると、普段よりも着替える時間が長いことに気付いて、そっと覗き見た。
朱衣はまだ着替えの途中なのか、上半身を裸にしたままだ。
毎朝、朱衣が髪を結うのに使っている、この小さな部屋には似つかわしくない豪奢な鏡台の前で固まっていた。
どうやら、鏡に映っている、自分の半身をじっと見詰めているようだった。
朱衣の父親、朱夏が同じ病だったと皇子達が言っていた。この消えない痣に気付いていないはずがない。
鏡越しに見える朱衣は無表情で、白く柔い肌に咲く赤い痣を鏡の中で触れていた。
日に日に、朱衣の体に増えていく赤い花弁。
夜伽は胸が苦しくなって、目を背けた。
一日、一日。
不穏な影は相変わらず視界の端にちらついていながらも、大きな出来事はなく、無事に過ぎていった。
そして、迎えた祭りの日。
早朝、朱衣が着替え終わった頃に、紅晶が侍女を伴って朱衣の部屋を訪れた。
「おはよう」
「おはようございます」
侍女の目もあるので、拱手で挨拶をして立ち上がると、紅晶の後ろに控えていた侍女が
「夜伽、その格好で外を歩くのは目立つから、これに着替えてくれ」
「やだ。紅晶の
「なに言ってるんだ、俺とお前じゃ背格好変わらないだろ」
「いやだ。僕はそんなに小さくない」
「誰が小さいって?
ほら、我儘言うな。さっさと着替えてこい。
その格好だと目立つだろ」
頬を膨らませ不服を露わにすると、渋々といった様子で、夜伽は奥の書庫に向かって行った。
「朱衣」
「はい」
「ここに来て、座ってごらん」
鏡台の前に腰を下ろすと、紅晶は朱衣のお団子にした髪を解いてしまった。
朱衣の癖の強い髪が、腰まで流れる。
「あ……」
今朝も格闘して、なんとかお団子にしただけに、こうもあっさり解かれてしまうと、なんとも言えない切ない気持ちになる。
「今日はお祭りなんだから、お洒落にしないとさ」
控えていた侍女が紅晶に何か差し出すと、外へと出ていってしまった。
紅晶が鏡台に置いてあった櫛を取ると、朱衣の髪を丁寧に梳いていく。
あれだけ朱衣には反抗的な癖っ毛が、紅晶の手にかかると大人しく流れていく。
「紅晶ばかり朱衣に触れて狡い」
着替えてきた夜伽が、朱衣の隣、床に直接座り込むと、腰の辺りに抱き着いてきた。
朱衣が見慣れない夜伽の袍姿を鏡越しに見ていると、夜伽と目があった。
夜伽は朱衣と目があって嬉しいのか、満面の笑顔を見せる。
「こらこら。邪魔だよ、夜伽」
「僕からしたら紅晶が邪魔なんだよ」
朱衣は二人のやり取りを鏡越しに見詰め、笑みをこぼした。
「ねぇ、早くしないと、お祭り始まっちゃうよ」
「おはようございます、白麗様」
朱衣が拱手すると、祭事用の豪華な刺繍を施された
ここ数日の中では一番顔色がいいように見える。
今日の祭典はきっと上手くいく、朱衣にそう思わせた。
「きついところはございませぬか?」
女中が白麗の背に立ち、袍の袖を調整している。
「いや、丁度よい。この柄も剣舞に映えるだろう」
「有り難いお言葉にございます」
女中が下がると、白麗は朱衣を手招いた。
白地に、きめ細やかな錦糸の龍が施された袍に見惚れる。
「気に入った?」
「ええ。よくお似合いです」
朱衣の真っ直ぐな物言いに、白麗は珍しく頬を薄く染めた。
「朱衣」
朱衣の腕を引いて抱き締める。
華奢な体は、細身の白麗の腕にも簡単に収まってしまった。
「君もよく似合っているよ」
「紅晶がやってくれたの」
「へぇ……」
薄く施された化粧に赤い
ふと、結い上げられたおかげで、露わになっている真っ白な首筋に、赤い痕が見えた。
白麗の視界が嫉妬で、かっと赤く染まる。
しかし、朱衣に矛先をぶつけないようにと、白麗は視線を落とすと、繋いだ手の甲にも赤い痕があるのに気付いた。
――もしかして。
「白麗?」
朱衣は、急に黙り込んだ白麗を疑問に思って、体をそっと離して顔を覗き見る。
「朱衣……」
「うん?」
白麗の長い睫毛は微かに震え、一度強く目を瞑ると、ゆっくりと開いた。
朱衣は息を潜めて、彼の瞳が開くのを待つ。
「私は、君となら死んでも構わない」
白麗の告白に、胸が押し潰されそうだった。
「白麗様、そろそろ」
侍従が白麗に耳打ちをした。
侍従は朱衣を一度睨んでから、去っていく。
「……朱衣、祭りに来るんだろう。今日は今までで一番の舞を見せるから」
「うん、楽しみにしているね」
祭典の準備に忙しい白麗の部屋を辞して、朱衣は自分の部屋へと戻った。
「お、来たな!」
紅晶に案内されて、朱衣達は厩へと赴いた。
「
朱衣は久しぶりに碧英の愛馬、梗の背を撫でると、嬉しいのか小さく鳴いた。
そして朱衣の頬を大きな舌でべろりと舐める。
「ああ! せっかくの化粧が!」
「朱衣は肌綺麗だし、化粧なんか要らないだろ」
「我が
紅晶は大きくため息を吐いて、慣れた手付きで自分の愛馬に鞍と鐙を取り付けていく。
「じゃあ、俺と朱衣。紅晶兄皇子と夜伽で乗ってくれ」
「いや、なに勝手に決めてるんだよ」
「久しぶりに梗に乗ってやってくれよ、朱衣」
「そうね、梗の背に乗りたいわ」
朱衣にそう言われてしまうと、夜伽も紅晶もそれ以上反論出来なかった。
「
「いいよ。僕は飛んでいくから」
碧英の手を借りて、梗の背に跨る。
一段と高い馬の背に目眩を起こしそうになるけれど、背後には逞しい碧英の胸がある。
決して落ちることはない、という安心感が、朱衣の心を満たした。
最後に梗に会ってから何日経っているだろう。
あの碧英との家出事件が、今は遠い昔のようだ。
「さて、行きますか」
梗はゆっくりと走り出すと、徐々に速さを上げて、街道へ続く道を駆け抜けた。
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