白の皇子は願う。 7
部屋に戻って来た朱衣を待ち受けていたのは、すっかり最近では見慣れた、
「おかえり、朱衣」
「ただいま。紅晶も来ていたのね」
「丁度手が空いたからね」
まだ始めたばかりのようで、お金の代わりである紙の花は夜伽と紅晶の手元に二、三個あるだけだ。
朝餉に行っただけのはずなのに、柳詩のこともあって、どっと疲れてしまった。
いつもならすぐに書庫に向かうところを、観戦中の碧英の横に腰を下ろした。
朱衣は自分の膝を抱えるようにして、夜伽と紅晶の戦局を見詰める。
「どうした?」
「ちょっと、疲れちゃったのかも」
珍しく弱音を吐く朱衣の背を、碧英の大きな手が優しく撫でた。
「たまには
碧英の晴れた空を思わせる笑顔に、気疲れしていた朱衣の心は少し癒やされる。
「うん。それも、いいかもね」
ここ数日の間、皇宮での穏やかな日常の陰で、不審な動きがあることに朱衣も気付いていた。
白麗の部屋を訪れていた
白麗は体が弱かったのもあって、紅晶や碧英と違い動物を飼っていない。
それから、白麗がわざわざ春画の表紙に変えてまで持っていた呪符の書。
恐らく春画と書いてあれば、朱衣が中身を見ないだろうという白麗の企みだったのだろう。
確かに、何故白麗が春画を、と思いはしたが、中身を見ようとまでは露程も思わなかった。
――このままじゃ、時間の問題ね。
一体朱衣の知り得ないところで何が起こっているのか。
夜伽、紅晶、碧英の顔を見て、悩みを全て打ち明けてしまいたい気持ちが膨らむ。一人で抱えているよりも、その方が楽になれる気もする。
――でも、相談しようにも、まだ何か足りない気がして……。
たまたま些末な『点』の問題が、目の前で重なって現れているだけなのかもしれない。
このまま誰かに相談しても、ただの杞憂だったという可能性も捨てきれない。
朱衣にくっつき回っている夜伽はともかく、忙しくしている紅晶達の手を煩わせる訳にはいかない。
「朱衣もやってみる?」
不意に名前を呼ばれて顔を上げると、紅晶が片目を閉じて微笑んだ。
「え?」
「おいで。俺が手解きするから」
紅晶に手招きされるまま、朱衣は紅晶の横に座り直した。
「でも、わたし華札をやったことがないのよ」
「大丈夫。朱衣なら記憶力もいいし、すぐに出来るようになるよ。おまけに、相手が碧英にならどんな素人でも勝てる」
「僕も教えるよ」
「紅晶
それにいくら何でも三対一は卑怯だろ」
「じゃあ、まずこれが――」
「話を聞けよっ!」
全て気のせいだったんじゃないか、そう思わせるほど、今ここにある日常が心地好い。
朱衣は夜伽と紅晶に挟まれながら、今は華札を楽しむことにした。
五試合をしたところで、碧英が席を立った。
「じゃあ、俺はそろそろ仕事に行ってくる」
「え? 今から?」
もう昼を過ぎて、夕刻に差し掛かろうとしている。
「これから祭りのことで、商人が話があるらしくてさ。じゃあ、また明日な」
碧英は朱衣を抱き寄せると、身を屈めて額に口付けをした。
朱衣は驚き身を竦めて、碧英を見上げる。
碧英は歯を見せて笑うと、朱衣の頭をぽんっと叩いた。
「ほら、戯れてないで行ってらっしゃい」
「さっさと行け」
「はいはい、わかってるよ」
碧英が扉を開ると、冷たい風が温まった空気を押し退けて部屋に入ってくる。
「碧英、行ってらっしゃい」
そう声をかけると、扉を閉める瞬間、碧英は朱衣の方を振り返って笑った。
碧英が朱衣の部屋を出たのと同じ時に、白麗の部屋から出てきた人物がいた。
華奢で勉強熱心で、真っ直ぐな目をした少年。
「
菫凛は碧英の姿を見止めると、目を見開いた。
「どうしたんだ、白麗兄皇子、調子悪いのか?」
「ああ、いえ……」
菫凛はいつになく歯切れ悪く、視線を彷徨わせて、顔色を白くしている。
「菫凛?」
次第に菫凛は体を震わせ、目に涙を浮かべて――碧英の腕にしがみついた。
「碧英様……っ!」
今にも崩れ落ちてしまいそうな菫凛を支えてやると、兵士の目を気にしてその場から離れることにした。
人目を避けて、中庭の
「大丈夫か?」
菫凛は途中から、碧英の肩を借りなければ歩けないほどだった。
「すみません」
震えが止まらないのか、声は掠れている。
「話せるか?」
菫凛は、二度、力無く頷いた。
しかし、続く言葉は出てこず、浅い呼吸を繰り返している。
仕方なく、碧英が話を先導することにした。
「菫凛、
菫凛が大きく頷く。
「もう一つ聞かせてくれ。菫凛、白麗兄皇子に毒を盛ったのはお前か」
菫凛は目を大きく見開いて、碧英を見上げた。
まだあどけない少年の柔らかな頬を、涙が滑り落ちて行く。
「碧英様、決して、決して
菫凛の涙ながらに訴える姿に、碧英は胸を締め付けられた。
「ああ、信じるよ。だから、教えてくれ。一体何があったのか」
菫凛の背を撫でてやりながら、碧英は焦れて問い詰めてしまいそうな自分を宥める。
菫凛は碧英が信じると言ってくれたことで、幾分落ち着いたのか、少しずつ口を開いた。
「もう、幾日前のことだったでしょうか。
最近は、朝も夜も、白麗様のことが気になって、時間の流れがおかしく感じるのです。
白麗様の侍従殿に、師の茜彗にも、誰にも何も話さずに来いと言われ、私は一人で白麗様のお部屋をお伺いしました」
まだ、夜伽が白麗の部屋に居た頃のことだ。
碧英は頷いて、先を促した。
「そこで、白麗様にある命を受けたのです」
菫凛は唇を
「毒を打ち消す薬を作れ、と――」
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