第五夜 過去
僕達夜の一族は人に疎まれる存在だから、群れることをせず、
だから僕も、両親以外の顔はよく知らない。
その両親も幼い頃に別れたきりだから、今も生きているのかも判らない。
たまに同族と思われる匂いとすれ違うことがあったけれど、必要以上に干渉することはなかった。
僕達が群れないのは、仮に人間に正体を暴かれても、決して仲間の場所を教えないためだ。
それが、僕達夜の一族の生存戦略で、暗黙の了解だった。
まだ、幼い頃のことだ。
僕は両親から自立して離れたあと、ある
当時の東の国は荒れていて戦も多かったから、無人の山小屋を棲家にして、両親を戦争で亡くしたことにした。
昔から髪の色と目の色は人と違うものだったし、術はまだ上手く扱えなかったから、会えるとしても同じ年くらいの子供ばかりだ。
けれど、残念なことに子供に紛れていられたとしても、子供の『精気』はそれほど美味しくない上に、薄くて腹に溜まらない。
餓えを凌ぐために、深い夜に息を潜めて村に降りる生活は、このときから既に始まっていた。
村は山間にあるせいか、あまり人の出入りはなく、女は少ない。口に合う『精気』は限られていた。
その限られた人数を、気付かれないように渡り歩く中で、一人だけ違う味をしていることに気付いた。
喉を潤す極上の『甘露』。
他の『精気』ならば、気付かれないように一口だけに留めるのに、その晩はもう一口、と欲張った。
気付かれないように腕から頂こうとしていたその時に、「うまいか」と問いかけられた。
深く眠っているのを確認していたので、目が合った瞬間肝が冷えた。
何故、起きている……?
「いいよ、お食べ」
彼女は霞という名前だった。齢は二十そこそこといったところだろうか。艷やかな黒髪の女性だった。
僕は慌てて変化して彼女の部屋から飛び立つと、棲家にしていた山小屋で、震えながら夜が明けるのを待った。
僕を殺しに追っ手が来るかもしれない。
けれども、一日経っても二日経っても追っ手は来なかった。
霞は僕の存在を誰にも言わなかったみたいだ。
それから暫く、村に近寄らずに様子を見ていると、村で祭りがあって――そこで、霞は大きな桶に入れられ、生きたまま地中へ埋められて人柱にされた。
僕達夜の一族は、『精気』は吸うけれど、人を殺そうなんて思わない。
できることならば、共存をして、日向を歩けたらとさえ思っている。
僕達の中にも人を殺めた者もいるけれど、本当に少数だ。何百年に一度、あるかないか。
その行動は自分の身も危うくさせ、一族にも被害が及ぶかもしれない。
つまりそんな危険な橋を渡るのは、身の程知らずの馬鹿だけだった。
それに比べると人間は、簡単に人間を殺すのだと思った。
神に与えるという名目で、たった一つしかない彼女の命を奪うのだ。なんて非道なんだ……って、幼いながらに思った。
僕は当時あまり術を使えていなかったけれど、一番最初に覚えて、唯一使えたのが夢渡りだった。
僕はまだ地中で息をしていた霞に、夢の中で語りかけた。
「何故、僕のことを見逃した?」
霞は目を丸くして微笑んだ。
「……あんたは、あのときの。
見逃すもなにも、子供の悪戯を咎めたりしないさ」
「……こんなとこに埋められて、死は怖くないのか。
こんなところで死んでいくのは嫌じゃないのか」
僕は、心から彼女を救いたかったのかもしれない。
初めて人の情に触れられて、嬉しかったから。
「怖いさ。死が怖くない生き物なんていないだろう」
「なら、ここから出よう。僕が掘るから」
「……いや、あたしは出ないよ」
「なんで! 人柱なんて、神が本当にいるならばそんなことを望む訳ないだろう!」
僕の言葉に、霞は目を伏せて頷いた。
「そうだな。でも、神が望んでいなくても、あたしが望んでこうしているんだ」
霞は笑った。この空間では違和感に感じるほど朗らかな笑みで。
「あたしには、あんたくらいの子供がいたんだ。子供は病で先に逝って、旦那も戦で死んじまった。
もう、こっちに未練はないんだよ。
だから自分から頼んだんだ。あたしが人柱になりますってね」
霞の決意は固かった。僕がいくら言葉を積み重ねたところで、彼女の心には響かなかった。
だから、僕は彼女の最期を見守ることにした。
それから、霞が死ぬまでの間、毎晩彼女の夢を訪れては話をした。
最期まで、霞は外に出たいと言わなかった。
そして、最期まで笑顔のままだった。
「朱衣、眠ってしまったの?」
僕の過去の話を聞きたいと言ったのは君だったはずなのに。
無防備であどけない寝顔。口から漏れる安らかな寝息に、こちらの心も安らいでくる。
「ごめんね」
後で怒ってくれていいから、今だけは赦して欲しい。
朱衣の被っている布団を捲ると、寝衣の胸元を大きく開いた。
月明かりの中に朱衣の柔らかな双丘と白い肌が浮かび上がる。
そして目を引く、鮮やかで赤い、花弁のように散る痣。
――ああ、やっぱり。
朱衣がどこか遠くを見詰めるようになってから、ずっと気になっていた。
隣の部屋に住む白麗から漂ってくる死のにおいなのだと思っていたけれど、違う。
気付かない振りをしていたんだ。
君から死のにおいがするなんて、信じたくなかった。
「朱衣……っ!」
霞の息子がかかっていたという病と症状が酷似している。
目が虚ろになっていき、赤い花弁のような痣が全身に広がっていく。
そして、次は熱に浮かされて……。
薬では治せない病だと聞いていた。
死がゆっくりと朱衣を蝕んでいくのだと思うと、胸が哀しみでいっぱいになる。
僕は頬を伝っていく涙を拭った。
たった一つだけ、僕にしか出来ない方法がある。
でも、もしかしたら彼女は受け入れてくれないかもしれない。
僕は、朱衣の甘くて柔らかい唇に口付けをした。
今は、これしか出来ることがない。
朱衣の喉が僅かに上下して、微かに鳴った。
「お願いだから、僕と共に生きてくれないか――」
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