白の皇子は願う。 4
翌日は、清々しい晴天に恵まれた。
朝の冷たい空気に、吐き出された白い息が冬の青空へ吸い込まれていく。
部屋は隣にあって、距離は変わらないはずなのに、何故だか遠く感じる。
白麗の部屋の前の兵士に挨拶をして、扉を開けて貰う。
「おはよう、朱衣」
いつものように拱手をして、白麗に挨拶をする。
「おはようございます」
膝立ちの状態から見上げた顔は、少し疲れているように見えた。
「白麗……」
思わず、敬語にすることも忘れて話しかける。
幸い侍従達の耳には届いていなかったようで、白い目は向けられずに済んだ。
朱衣は一呼吸して、心配でいっぱいになってしまった気持ちを落ち着けさせる。
「ん?」
「どこか、調子が悪いのではないですか?」
「そんなことはないよ」
朱衣の手を取り、白麗が目を伏せて微笑む。
すこし痩けた頬、目の下には薄らと浮かぶ隈。そして朱衣の手よりも冷たい手。
最近白麗は朝こうして会う以外は、部屋にいることも少ない。一昨日は朱衣が寝る頃に帰ってきたようだし、昨日も朱衣が夕餉を終えた頃に帰ってきたようだった。
白麗なりに、朱衣に会う時間を作ってくれているのかもしれない。
そう思うと、寂しいとは言えないでいた。
「……お忙しい、ですか」
「もうすぐ祭典があるからね」
現皇、
昨日朱衣の部屋で華札をしていた紅晶と碧英も、いつもの職務だけでなくその準備をしていて忙しいと言っていた。第一皇子である白麗は輪を掛けて忙しいのかもしれない。
皇子達が主体となって動かしているものなので、気安く休むようにも言えない。
朱衣が浮かない顔をしていると、白麗は朱衣の頭を撫でた。
昔から朱衣が落ち込んでいたりすると、白麗は頭を撫でてくれた。
「そう落ち込まないで。祭典が無事に終われば、いつもの日常に戻るよ」
「……そうね。でも、体を壊したら何にもならないわ」
「大丈夫。朱衣を置いて、どこかに行ったりしないよ。
だから、今だけは辛抱していてね」
白麗は朱衣の額に口付けると、以前自分が痕を残した首元を覗き込んだ。
「流石に消えちゃっているか。……お守りはまた今度、ね」
朱衣にだけ聞こえるようにそう囁くと、白麗は侍従達を引き連れて部屋を後にした。
朱衣は首筋に触れて、白麗のお守りについて思い出して――。
「朱衣殿、昨日白麗様が読み終わった本でございます。書庫へお願いできますか」
「え? あ、はい!」
侍従に渡された古い書物の表紙を見て、朱衣は目を丸くした。
――え……しゅ、春画?
思わず受け取った表紙を裏返して、見えないように胸に抱える。
朱衣は侍従に大きく頭を下げて挨拶をすると、急いで自分の部屋へと駆け戻った。
何故、白麗が春画を?
持っていたのが紅晶であれば、ここまで動揺せずに居ただろう。
朱衣は混乱して慌てていたせいか、部屋の入り口の溝で躓いた。体が前へと転びそうになる。
「朱衣っ」
気付いた夜伽が朱衣の体を受け止めてくれたものの、書物は宙を舞って、床に開いて落ちた。
「ありがとう、夜伽。……って、ああ!」
もしかしたら貴重な品だったかもしれないと思い、夜伽の腕をすり抜けて書物に手を伸ばす。
「え……?」
表紙には確かに春画と書かれていたはずだったけれど、開かれた頁には色気のあるようなものは描かれていない。
朱衣は手に取って、まじまじと覗き込んだ。
頁一面に、図と説明が書き込まれている。
「朱衣?」
夜伽も朱衣越しに覗き込み――目を見開いた。
「ねぇ、夜伽。これって……」
「呪符の書かれた書、だね」
朱衣は閉じ込められていた部屋に貼られていたことを思い出す。
「なんで、白麗が」
何故、白麗が呪符の書を持っていたのか。
そして、わざわざ表紙を変えてまで、隠そうとしていた理由が気になる。
しかし、朱衣はそれ以上深く考えられずにいた。
考えているはずが、頭がぼんやりしてきて――。
「朱衣? 朱衣、どうかした?」
夜伽に肩を揺さ振られて、朱衣は意識を取り戻した。
「あ、ううん。考え事しちゃってた」
「……そう?」
夜伽は朱衣の顔を覗き込み、額に手を当てる。
白麗と違って、温かい手だった。
「熱はないね」
「大丈夫よ、元気元気」
朱衣は両手で握り拳を作り、掲げると、笑顔を見せた。
「さて、朝餉に行ってこようかな」
「僕も行くよ」
夜伽は返事をするなり鳥の姿に変化すると、籠に収まった。
素早い行動に、思わず笑ってしまう。
呪符の書は、書庫に仕舞う前にもう一度中身を確認しようと、小さい箪笥の引き出しに仕舞った。
「お待たせ。行こっか」
夜伽の入った籠に布を掛けて、腕に通した。
朝餉を終えて、部屋に戻ってくると碧英が胡坐をかいて寛いで居た。
「おかえり、朱衣」
「あら、碧英。今日は早いのね」
まだ、日も天頂に達していない。
ここのところは昼餉を終えてから紅晶と来るのに、一人で居るのも珍しい。
「一応言っておくけど、サボってはないからな。今日のやることは全部終わったんだ」
「そうなのね」
疑ってはないけれど、早く来た弁明をしたいらしい。朱衣は小さく笑った。
「今日は書庫のこと、手伝うよ」
「助かるわ。丁度掃除をしようと思っていたの」
籠をそっと下ろしてあげると、夜伽が勢いよく飛び出て人の姿を模った。
そして、朱衣と碧英の間に割って入る。
「朱衣、碧英じゃ頼りないから僕も手伝う」
「あぁ?」
二人の視線が火花を散らして、一触即発といったところで、朱衣が二人の手を引いた。
「ほらほら、お仕事しますよ」
二人は大人しく朱衣に手を引かれて書庫へと足を踏み入れた。
夜伽は朱衣に指示されて書物を移動させながら、彼女の様子を観察した。
時折朱衣は目を虚ろにしている。
そして、微かに感じるにおいに唇を噛み締めた。
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