白の皇子は願う。 2
「っあぁー! まった俺の負けかよー!」
朱衣が仕事を終えて書庫から部屋に戻ると、碧英が頭を抱えてのたうち回っていた。
床に散らばる花の形の木札と、碧英の元に咲いている白い色の紙の花。華札をして遊んでいたようだ。
対戦相手になっていた夜伽は、碧英の元から紙の花を嬉しそうに攫っていく。
最近、三人は朱衣の部屋で顔を合わせると、華札をして遊んでいる。特に約束をしていたようではないようだけれど、書庫で仕事をしている朱衣を待っている間に自然と三人揃ってしまうようだった。
現在、夜伽の元には十個、紅晶の元には十五個、碧英の元には二個花が咲いている。
どうも今回も碧英が劣勢のようだ。
「碧英は弱い」
「表情が読み易いからね。何が手札にあるかすぐにわかる。
おまけに単純思考で高得点を狙いすぎ」
「うるせーなぁー!」
紅晶が居て、碧英が居て、今は夜伽も居て。
毎日が穏やかで、賑やかで楽しくて……。
でも、そこには白麗がいない。
最近また仕事に忙殺しているようで、朱衣も朝の挨拶を交わすくらいだ。
紅晶も碧英も、朝餉夕餉で顔を合わせるけれど、それ以外皇宮で見かけないと言っていた。
ただ相変わらず商人を呼び寄せて、書物は購入しているようで、侍従が届けてくれる。
最近は東の島国の書物が多く、小説から資料まで様々だ。あまり東の国の文字は読めないから、何が書いてあるのかわたしにはあまりよくわからない。
――元気ならばそれでいいのだけれど、やっぱり寂しい。
「お疲れ様、朱衣」
夜伽が朱衣の髪に勝ち取った花を飾ると、朱衣は夜伽の顔をぼんやりと見上げた。
「朱衣?」
「え?」
「疲れてる?」
反応がないのを気にして、夜伽が心配そうに見下ろしてくる。朱衣は頬を押さえて首を振った。
「ううん、疲れていないわ。大丈夫よ」
「朱衣は働き者だからね。最近いい香を手に入れたんだけど、よかったら俺の部屋に来ない?」
「紅晶
「おや、香を焚くだけだよ。ね、朱衣」
そう言いながら、紅晶は絡ませるように朱衣の腰を抱き寄せる。
艷やかな声が耳を刺激して、擽ったい。
すると、頬を膨らませた夜伽と碧英が、朱衣から紅晶を引き剥がした。
「じゃあ、また明日ね」
「手ぇ出すんじゃねーぞ、夜伽」
「僕は碧英と違って野蛮ではないよ」
「なんだと!?」
「ほぉら、行くよ。碧英」
二人が帰って行くと、夜伽は朱衣の背に張り付いた。
以前はこうして抱きつかれる度に、頬を赤らめていた気がするけれど、少しずつ夜伽の触れ合いに慣れてきたのか、今はされるがままだ。
「夜伽、埃っぽいから先にお風呂に行くね」
「うん。わかった」
柑惺という女中が朱衣を幽閉した事件があったせいで、部屋から出るときは夜伽は鳥の姿になって、朱衣にぴったりと付いてくるようになった。
何度も断ろうとしたけれど、自衛出来なかったのは自分のせいなので渋々受け入れることにした。
鳥の姿になっているのは夜伽なりの気遣いで、人の姿だと目立つから、ということだったけれど、鳥の姿も目立つことにはあまり変わりない。
朱衣は持ち手のついた大きな籠に夜伽を入れて、そっと布を掛けて連れ歩くことにしていた。
「よいしょ」
籠を腕に引っ掛け、お風呂セットも抱えて、朱衣は部屋を後にした。
三日前に降った雪が、冬の冷たい空気をさらに凍てつかせ、露出している肌を刺激する。
皇宮内は綺麗に雪掻きがされているけれど、庭の端には雪の塊が我が物顔で転がっているのが見える。
朱衣の腰を超えるものもある。日陰のものは春まで溶けないかもしれない。
白麗の部屋を通る前、丁度扉が開いた。
そして、中から現れた人物に、朱衣は目を丸くした。
朱衣よりも小柄な女性――
緑寧は、書庫で血塗れになっていた、鳥の姿をしていた夜伽を診てくれた医生である。
しかし、彼女は皇宮内に所属している医生ではなく、城下に住んでいる医生である。
それがなぜ、白麗の部屋から……?
緑寧は朱衣を目に留めると、深く頭を下げた。
「これは朱衣様、ご無沙汰しております」
「あ、はい。緑寧さんも変わりはないですか?」
「えぇ、この通り元気にしていますよ」
緑寧は胸を張ってそう言うと、朱衣の持つ籠へと視線を向けた。
「あ、えっと……」
特別隠しているつもりはないけれど、大っぴらに見せるのもどうかと悩んでいると、緑寧が笑った。
「ああ、そんなにお気になさらず。妖くんも元気なら何よりですよ。
追い出した方がいい、と言ったのは決して嘘ではありませんが、妖だって命があるものですからね」
籠を見詰める緑寧の瞳は、優しく温かい。
医生として、命を大切に思っているのが窺える。
「なにか、白麗にご用事だったのですか?」
朱衣が問うと、緑寧は少し視線を逸らして「ええ、まあ……」と言い澱んだ。
不審に思って、さらに訊ねようとした所で、緑寧は頭を下げて去っていってしまった。
「なんだろうね」
籠の中から、夜伽が声を掛けてきた。
「そうね」
閉ざされている扉の向こう、白麗がなにを考えているのかは想像もつかない。
「……行こうか」
「うん」
夜伽を脱衣所の外に隠して待っててもらい、朱衣は体を流してから大浴場に身を沈めた。
いつも人の少ない時間を選んではいるけれど、今は夕餉の時間ということもあっていつになく人影がない。
二十人は体を伸ばせる大きな浴槽に、朱衣も入れて三人が浸かっている。
湯気が立ち込めているので、誰が居るかはわからないけれど、朱衣も自分の姿を隠せていると思うと落ち着いて入れた。
お湯に肩まで浸かると、突然左腕に痺れるような痛みが走った。
不思議に思って左腕の内側を見ると、肘の近くが赤くなっている。
丁度人差し指の爪ほどの大きさの痣だ。
――どこかにぶつけたかしら?
朱衣は痛みのある痣に触れて、身に覚えがなくて首を傾げた。
あまりゆっくり浸かって、寒い中夜伽を待たせるのはよくない。
朱衣は体が温まったのを見計らって、湯船から上がることにした。
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