第四夜 嫉妬
夕餉から帰ってきた白麗は、侍従、兵士すらも部屋から追い出し、僕と二人きりになった。
広い部屋の中。お互い離れた所に居座り、じっと相手の様子を窺う。
燭台から漏れる火の揺らめく光が、白麗の美しい顔の半分を妖しく照らしている。
そして白麗から伸びた影が、大きく部屋の壁を埋めて、僕を今にも飲み込もうとしているかのようだった。
心地好い雰囲気とは、口が避けても言えない。
「……僕と二人になりたいなんて、一体どういった心境?」
居た堪れなくなって、おちゃらけてそう訊ねると、白麗は表情を変えずにぽつりと呟いた。
「いい加減お前を解放してやろうと思ってね」
あれだけ頑なに、僕を槍の檻に押し込めていた人物の言葉とは思えない一言だった。
突然の申し出に拍子抜けして、眉を顰めていると、白麗は喉の奥で嗤った。
「解放って、この部屋から?」
「そうだ。その狭い筵の上も飽きただろう。それに、夜な夜な変な術を使って出て行っていたことはわかっていた」
「……なんだ、気付いていたのか」
白麗が何かを企んでいるのはすぐに察した。
けれど、この男がすぐに心の内を吐き出すような男ではないのは、この短い期間でもわかっている。
「この状況から解放してくれるのは有難いけれど、君は信用が出来ないんだよ。第一皇子、白麗」
いつも微笑みの裏に何かを隠していて、他の皇子達とは違って人らしさを感じさせない。
そして、漂ってくる死のにおい。
「僕の術に気付いたのは、君があっちの世界へ足を踏み入れているからだろう。
いい加減その薄っぺらい笑顔を止めて、何を企んでいるか話したらどうなんだ」
「話したところでお前にはわからないだろうよ。
言うなり、白麗は手を打って、侍従たちを部屋に呼び戻した。
強制的に、話はそこまでだ、と切り離されてしまった。
槍の檻から開放された僕は、堂々と筵の枠を抜け出て朱衣の元へと向かった。
部屋を一歩出ると、冷気に包まれる。
見上げると、吸い込まれそうなほど真っ黒な空から、白い雪が降り注いできた。
軒の下から手を伸ばすと、指先に触れて、夜伽の熱で溶けていく。
朱衣が女中に因って幽閉されていた時のことを思い出していた。
いつまでも戻ってこない朱衣。
やっと気配がしたと思って、急いで飛んでいくと、彼女は紅晶の腕の中に居た。
力なく、寒さに肩を震わせている朱衣を見て、目の前が赤く染まった。
あそこまで理性を失ったことは、生まれてから初めてかもしれない。
紅晶は丸腰ではなかった。戦うことは出来たはずだ。
それでも、彼は僕と応戦することよりも朱衣を守る方を選んだ。
しかも妖である僕のことを信じて、戦わないというやり方で。
紅晶の澄んだ目を見て、意図が読めた瞬間、殺意は霧が晴れたのように無くなって、ただ虚しさが残った。
きっと、戦っていても、僕は勝てなかっただろう。
朱衣の部屋の扉を手の甲で叩く。返事はすぐに返ってきた。
「はい」
扉を少し開けて覗き込むと、鏡台の前で下ろした髪を整えていた朱衣が首を傾げた。
「どうしたの、夜伽」
いつもなら、勝手に部屋に入ってくるのに。
そう言いたそうな目をしている。
部屋へと踏み入れると、外の冷気から人の居る部屋の温もりに包まれて、強張っていた体が解れた。
僕は座る朱衣の前に跪くと、彼女の手を取り、その甲に額を付けた。
碧英も、紅晶も、静かな水面のようだった朱衣の心に、次々と波紋を残していく。
それが羨ましくて、憎らしくて、堪らない。
「夜伽?」
朱衣は、いつになったら僕の
番に選んでくれるだろうか。
焦れても仕方のないことだけど、僕と違って人間である朱衣の時間は長くない。
僕を見下ろしている朱衣の目を見詰め返す。
「朱衣」
「うん?」
「……ううん、今夜もちょうだい?」
朱衣は頬を赤らめて、視線を逸らしながらも小さく頷いた。
僕は立ち膝になると、柔らかな頬に口付ける。
そしてそのまま、体を抱き寄せて、朱衣の右の髪を耳に掛けて除けた。
隠れていた白い首筋が露になると、以前白麗が付けていた口付けの痕を思い出して、また嫉妬心が沸き上がる。
僕は朱衣の耳に軽く口付けると、耳の縁を舌先でなぞった。
「や……夜伽っ」
「うん?」
朱衣はびくりと大きく反応して、僕の腕から逃れようとする。
さっきまで頬だけだったのが、今では耳まで赤く染めて、僕の舐めた耳を押さえて目の縁に涙を浮かべている。
その表情が加虐心を煽って、僕の心臓がどくりと音を立てる。
――ねぇ、朱衣。その表情がどれだけ僕を煽るかわかる?
「朱衣」
「や、だ」
大きな目から、涙が頬を滑り落ちていく。
「……うん、ごめんね。ヤキモチ妬いてたんだ」
「やきもち?」
「そう」
朱衣を抱き上げて、寝台へと運ぶ。先に腰を下ろすと、膝の上に彼女を乗せて、後ろから抱き締めた。
「朱衣が他の
「夜伽……」
「こんな風に、誰かを強く想うことなんて初めてだ」
寝衣をずらすと朱衣の薄い肩口に顔を埋めて、口付けた。
そこから『甘露』を啜る。
朱衣は一度甘い吐息を漏らしたあと、唇を噛み締めて耐えていた。
「ねぇ、朱衣。もし白麗が、よからぬことを考えていたらどうする?」
朱衣は甘く霞んだ意識の中で、首を傾げた。
思考が回っていないのだろう。今にも溶けそうな、とろんとした目が可愛らしい。
「……ううん、いいんだ。今は僕のことだけ見ていて」
君が傷付かないように、きっと僕が守るから。
続
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