紅の皇子は祈る。 9


 それから、二日後。

 朱衣の体調もすっかりよくなり、いつもの日常が戻ってきたように見えた。

 そうした中、紅晶は方々を駆け回り、事態を丸く収めようと尽力していたが、柑惺かんせいの罪は皇の知るところとなり、紅晶が考えていたものよりも重い処罰となってしまった。

 皇宮からの追放、である。

 しかし、その話を聞いた柑惺は、反論することなくすぐに処罰を受け入れていた。

 もしかしたら、事件が明るみになったときから、自ら皇宮を出ようとしていたのかもしれない。


「柑惺」


 荷をまとめて、皇宮から出ていこうとしていた柑惺を、紅晶は呼び止めた。

 冬の昼下がり。日差しは暖かいけれど、吹き抜けていく海風は冷たい。

「紅晶様」

 柑惺は荷を足元へ置き、拱手をしてから、晴れやかな笑顔を見せた。

「ありがとうございます。わたくしの新しいお勤め先を探してくださったと聞きました」

「いや……君もある意味被害者だから」

 紅晶は持っていた扇子を広げて、口許を隠した。

 言いたいことを隠すときの紅晶の癖だ。

 柑惺の新しい職場は、皇家にも卸している生地を作っている店だ。彼女の針の技術は十分に活かせるだろう。

「二つほど、君に聞きたいことがある」

「はい」

「俺の部屋に睡茶すいちゃを用意したのは君か」

「ええ。女中の間でお話がありまして、よく眠れるお茶なのだとお聞きしました。

 最近、紅晶様、お疲れのようでしたから」


 睡茶。身体を温めて、睡眠を促進するとされているお茶だ。甘い香りが特徴的で、比較的苦味も少ないことから、冷え性や睡眠不足で悩む人に好まれている。

 昨日、菫凛に確認をとって、睡茶だと確信した。


「ありがとう。お陰でよく眠れたよ」

「いえ……少しでも振り向いて貰いたかっただけなのです。疚しい気持ちでしかありませんでした」

 その言葉を否定して慰めることは、自分の立場では出来ない。紅晶は胸を締め付けられる思いを感じながら、言葉を飲み込んだ。


「もう一つ、聞かせて貰いたいことがある」

 こちらが本題だった。

 紅晶は扇子を閉じると、一度目を閉じて呼吸を整えた。

「朱衣を閉じ込めていた空き部屋の鍵。

 あれはどこで入手をした?」

 柑惺は、「確か……」と記憶の蓋を開けて探す。

「あの日、わたくしの部屋に置かれていたのです。ご利用ください、と」

「元の利用者と面識は?」

「ありませんでした。同じ屋根の下に居るので、すれ違うことなどはあったかと思いますが……誰が住んでいたのかは存じ上げません」


 柑惺は嘘を吐いていない。

 紅晶は事態を丸く収めようと駆け回りながら、柑惺のこととあの空き部屋の状況を調べていた。

 柑惺は確かにこの空き部屋に住んでいた人物も知らないことだろう。働いている部署も違えば、住んでいる部屋も遠い。

 その上に、柑惺が呪術に明るくないのも解った。壁や扉にあった呪符は、彼女が用意したものではない。

 空き部屋に関して――通常寮の部屋には三つの鍵が存在している。一つを寮を管理している部署が持ち、あとの二つは利用する者に渡される。

 三つあるはずの鍵が、前の晩から一つ消えていたようだ。

 前回の利用者は皇家の飯炊きをしている女中で、紅晶も顔を知っている。

 碧英に仕えていた侍従と婚約。皇宮外に家を構えたため、半年前に寮を出て行き、現在は通いで仕事に来ている。

 女中は寮を退所する際に、二つの鍵を返していて記録がしっかりと残っていた。

 おまけに柑惺は呪符について、前の住人の物だと言っていたが、この飯炊きの女中も呪術には興味がなさそうで、呪符を見せたところなんの反応も見られなかった。

 何者かが柑惺の元へ管理所から盗んだ鍵を持っていき、さらにその部屋に夜伽に気付かれないように細工を仕組んだということだ。

 ひょっとしたら、睡茶の噂も柑惺の耳に届くよう意図的に……?


 ――一体、誰が? なんの為に?


 紅晶は思い出せる限りの侍従、侍女、女中、下働きに官吏の顔を思い浮かべてみたけれど、どの顔も当て嵌まりそうにない。

 用意周到で、自らは手を汚さない狡猾さに舌を巻く。


 ――ここから先は、白麗兄皇子にいさんの方が詳細を調べているだろう。



「やはり、君は被害者だ。皇宮へ戻れるよう、俺から皇に話を通そうか」

「いいえ。わたくしはそうは思いません。

 例え利用されたのだとしても、わたくしの心に隙があったまでのこと。

 それに、皇宮ここを出ることになって、すこしホッとしているんです」

 柑惺は冬の青空を見上げて、風に煽られた髪を指先で耳へと掛けた。

「わたくしの実家は、他の方々と違い、それほど裕福ではございません。ですから、両親はわたくしが皇宮へ勤めることになったことを、本当に心から喜んでおりました。

 そんな両親を見ていて、紅晶様に見初められたと言えたら恩返しが出来るかと思ったのです。

 ……けれど、今は違うと考えを改めました」

 柑惺の表情は、憑物が落ちたように晴れ晴れとしている。

「一つ心残りがあるとすれば、紅晶様のこと、ちゃんと好きになればよかったですわ。そうしたら、嫉妬に狂って朱衣殿を傷つけることもなかったかもしれません」

 強く紅晶を愛し、想えていたなら、こんな風に嫉妬をせずにいれたのではないか……柑惺はそう思い至ったのだろう。

「そうだな。俺ほどにいい男など他にいないだろうし」

 わざと胸を張り、おちゃらけて言う紅晶に柑惺は笑みを溢した。

「朱衣が君を赦すと言っていた。俺も、君を赦そうと思う。

 ……達者でな、柑惺。君の名前は、ずっと忘れない」


 柑惺は大きく頭を下げて、海へと続く街道を真っ直ぐに進んで行った。

 紅晶は踵を返して、皇宮へ戻ろうと門を潜ると、門の裏手で鴎茶が拳から親指を突き上げて笑っていた。



 ――全て人の認識だからね。枠から外すことが出来るように、枠に戻すことも出来るんだよ。

 

 足元に転がる石を拾い上げる。

「先生、ごめん。枠を作ることで傷付かない方法を教えてくれたけど、これからは傷付くことを躊躇わずに人と関わっていこうと思うよ。

 でも、犠牲になろうとか偉そうなことは言わない。今度からは、自分も相手も傷付かないような選択を一緒に探して、後に間違えたって思わないように努力する……ってどうかな」

 朱夏は今の紅晶を見て、何を思うだろうか。

 石を日に翳して、朱夏の笑顔を思い出す。


「さて、行きますか」


 『宝物』を懐に仕舞って、紅晶は風に向かって歩き出した。



 

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