紅の皇子は祈る。 6
夢を見ていた。
――幼い頃、かくれんぼをした夢。
三人の兄弟の中で、朱衣に一番初めに心を開いたのは碧英だった。
朱衣にべったりくっつき回って、まるで姉と弟のようだと傍目に思っていた。
同時に羨ましい、とも。
俺には、人に言えない心の闇があった。
小さな頃から、母親の出自のことで偏見があったし、白麗
いくら努力しても、白麗兄皇子の背中は見えない。
生まれ持った天才には追い付くことも出来ないのか、と半ば皇位など諦めていた。
その頃皇になりたかったのは、母親の為だった。
皇の妃という存在でありながら、皇宮内では母親を見下す人が多かった。
俺は、自分が皇になれば、そうした皇宮内で囀る奴ら一掃出来るようになるだろう、と考えていた。
現実は、そう甘くなかったけれど……。
白麗兄皇子に追いつけなくても、優秀な皇子という立ち位置は維持していなければいけない。
そうした圧力を、内からも外からも感じていた。
そうした俺や白麗兄皇子と反対に、碧英は皇位に興味は無さそうだし、朱衣は朱夏先生の元でのびのびと育ってきたのだろう。
純粋で、真っ直ぐで……それを許されていて。
二人を見ていると、嫉妬で思考が埋め尽くされてしまう。眩しくて、切なくなって、同じようになれない自分が悲しい。
俺は二人を視界に映さないように目を背けるようになっていた。
朱衣の父親である朱夏先生は、随分変わった人だった。
勉強の合間、休み時間になると、よく庭に転がっている石を見つけては、次の授業で俺達四人に見せびらかしていた。
朱衣と碧英は面白がっていたけれど、俺にはただの石にしか見えなかったし、白麗兄皇子はもう石で喜ぶ年齢ではないから、と冷めていた。
その日も外で授業をして、庭から廊下へと上がり休んでいたところだ。
「見てごらん、紅晶。素晴らしい形の石があったよ」
朱夏先生が差し出した石は穴がぼこぼこに空いていて、歪な楕円形をしている。お世辞にも綺麗とは言い難い。それどころか、薄気味悪い石ころだ。
「そうですか」
興味のなかった俺は、周りの大人にするみたいに、笑顔を作って見せた。
すると、お世辞と勘付いた先生が眉尻を下げて笑った。
「紅晶は興味がないかい?」
「……正直申しますと、石は石でしょう。特別綺麗な訳でもないし、そこらじゅうにたくさんあるものではないですか」
朱夏先生は拾い上げた石を色々な角度で見詰めながら、俺の答えに楽しげに微笑んだ。
「そうか。そこらじゅうにね。
じゃあ紅晶、あそこにいる兵士の名前は知っているかい?」
先生が指した先には、傷だらけの鎧を着た老兵が居る。
たっぷりと蓄えられた白い髭、長くて、黒と白の入り交じった眉毛から覗く瞳は、高齢になっても未だに炎を燃やしている。
皇宮内でよく見かける兵士だ。でも、記憶にない。
「……いえ、知りません」
「それは、君の中で兵士という肩書き以上に彼に興味がないからだろう。
彼は
「鴎茶……」
名前を聞いてから、急に鴎茶という人物の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
「どうだい、紅晶。名前を聞くと、彼が兵士という一括りではなくなっただろう」
してやったり、と言わんばかりに朱夏先生が笑う。
時折、朱夏先生は子供よりも子供らしいことをする。
「……それと石になんの因果関係があるんですか」
「そうだねぇ。例えば、この石を庭に放ったとする」
朱夏先生が石を庭へと放り投げる。
石はあっという間に転がって、他のものと見分けがつかなくなった。
それから朱夏先生は庭へ降りると、すぐに自分の放った石を拾ってきた。
俺でさえ見失ってしまったのに、俺より目の悪い朱夏先生にわかる訳ない。
「何故、すぐに見つけられたと思う?」
――何故、だろう。
「なにか、
俺は朱夏先生の手から石を借りて、転がして見て首を傾げた。
最初の印象のまま、ぼこぼこと穴が空いていて、気味悪いと思ったくらいで、この庭にある他の石から特別差別化できるような特徴はない。
こんな石、庭にはごろごろ転がっている。
けれど、投げた石で間違っていないのだろうと思った。
朱夏先生は嘘をついたり、誤魔化したりする人ではないと、俺は信じていた。
「紅晶の答えは半分正解なんだ。答えはね、私がこの石を『宝物』だって思っているから。
『宝物』って特別な印を与えたことで、この石は石という枠組みから抜け出したんだよ」
「枠組みを抜け出す?」
「そう。例えば、君は
だから、人々に紛れ込んでも紅晶は私達を見つけられるんだ。
鴎茶さんのこともそう。名前が解ることで、その他大勢の『兵士』という枠から、鴎茶さんが抜き出される」
「石もそうってこと?」
「そう。庭に転がる石から、私の『宝物』の石になったってことだね」
朱夏先生は不思議なことをよく教えてくれた。
その時はわかったような、わからないような曖昧な感じだったけれど、今では朱夏先生の話は正しかったと思う。
まるで、これから俺に降りかかる災難を知っていたかのように。
「紅晶。君は聡いから、反対の方法もわかるだろう」
「反対の、方法?」
「そう。いいかい? 君を守ってくれる家族や兵、侍従はたくさんいる。私も守りたいと思っている一人だ。
でもね、心だけは自分にしか守れない」
朱夏先生が、俺の手を大事そうに包む。
そんな父親のような仕草が、なんだかくすぐったかった。
「全て人の認識だからね。枠から外すことが出来るように、枠に戻すことも出来るんだよ」
「それって――」
朱夏先生と話していると、バタバタと騒々しい足音が近付いてきた。
「先生! 朱衣がぁっ!」
駆けて来た碧英は次々溢れる涙を拭き、しゃくりながら、「朱衣が……」としきりに朱衣の名前を繰り返している。
朱夏先生は一瞬顔を強張らせたけれど、碧英の前にしゃがみこんで、顔を覗き込んだ。
「どうした、碧英。ゆっくりでいいから、話してごらん」
「俺、俺……」
碧英は混乱していて、話が一向に前に進まない。
俺でもじれったいと思うのに、朱夏先生は湧き上がってくる不安を押し殺して、根気強く、優しく、碧英の言葉を待っている。
「俺、朱衣とかくれんぼしてて……朱衣、いなくなっちゃって」
「え?」
「どこら辺でしていたの?」
碧英の話を聞きながら、碧英の後ろを、俺と朱夏先生が朱衣の名を呼びながら走り回る。
「おかしいなぁ」
子供の歩き回るであろう範囲を探し回っても、朱衣の返事ひとつない。穏やかな笑顔の朱夏先生にも焦りの色が見えてきた。
皇宮は広く、闇雲に探しても仕方がない。
どこか、朱衣が行きそうなところ。
「もしかして――」
俺は来た道を引き返す。
そして、探していた教室周辺と反対側にある、白麗の部屋に駆け込む。
その日、白麗
「白麗兄皇子、朱衣を見なかった?」
一生懸命探し回っていた朱衣は、白麗兄皇子の寝台に寄りかかって眠っていた。
白麗兄皇子は、口許に人差し指を当てて、俺に静かにするように促した。
追いついてきた朱夏先生が目を丸くして、そして安堵に弛んだ笑顔を見せた。いつもと違う、父親の表情だったと思う。
きっと、朱衣は、白麗兄皇子の様子を観に来たのだろう。
昔から、心根の優しい子だったから。
見付かった安堵感に、こっちは必死に探していたんだぞ、と小言一つ言えなかった。
「――紅晶
目を開けると、図体ばっかりでかくなった碧英が泣きそうな顔で覗き込んでいた。
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