紅の皇子は祈る。 4


 月が天頂を抜けて沈みかけて来た夜更け、紅晶はゆるゆると目を醒ました。

 ――俺、眠っていたのか……。

 三日も眠れなかっただけに、眠っていたことの方に驚く。

 痛くて鉛のように重かった頭がすっきりして、気持ちも落ち着いている。

 しかし、ここはどこだ?

 真っ暗な中、天井には金銀砂子が瞬いている。一瞬野外なのかとも思ったけれど、風によって窓が揺れる音がしたので違うようだ。

 見慣れているような、いないような。

 ただ、不思議と心が落ち着く。嗅いだことのある柔らかな匂いに満ちた部屋。

 紅晶が寝惚け眼で暗い中を見回していると、やっと眼が慣れてきて、隣に眠る朱衣に気付いた。

 穴が空いていた心に、温かなものが溶けて広がる。

 そっと、朱衣の柔らかな体を抱き寄せて……はたと気付いた。


 ――あれ、俺、なんで朱衣と寝てるんだっけ。


 心臓が早鐘を打つ。朱衣しか目に入らないほど、甘い目眩に酔う。

 何故この状況に陥っているのか誰かに聞きたいが、唯一事情がわかりそうな朱衣は夢の中だ。

 ――一緒に寝台ここに居る、ということは、寝台で一緒に寝ることを許して貰えたってこと、だよな。

 記憶にはないけれど、一線を越えてしまった感じはしない。

 いや、もしかしたらこれから越えようとしていたのではないか。


「朱衣……」


 あどけない寝顔。寝息の漏れる、薄く開いた柔らかそうな唇。

 ――ずっと、この瞬間が来ることを祈ってた。

 朱衣の小さな顎を少しだけ上げて、目を瞑り、夢じゃないことを祈りながら、口付けをしようと近付いた――ところで、何者かに額を掴まれた。

 紅晶は驚いて、その手から逃れるために体を仰け反らせた。

 そして、仰け反らせたことで視野が広がり、やっと彼女の向こうに夜伽が寝転んでいたのに気付いた。


「え?」


 何故夜伽も一緒に寝台にいるのか、紅晶は甘い熱に溶かされていた思考から、冷静さを取り戻した。

「白麗兄皇子にいさんの部屋を抜け出して、そこでなにをしているんだい」

 言外に野暮なことをするな、と含ませたつもりだが、夜伽は夜目にも鮮やかな金の目で睨んでくるだけだった。

 紅晶は溜め息混じりに寝転びながら、朱衣越しに夜伽に問い掛ける。

「どうしてこんな事態になっているんだ」

 夜伽は頬を膨らませると、朱衣を自分の方に引き寄せた。

「こんな狭い寝台で、大人が三人で寝るっておかしいだろ」

 皇子達の使っている寝台と違い、朱衣の寝台は二人が肩を寄せ合えばやっと寝れるくらいの広さだ。

 今その寝台に無理矢理詰め込まれた状態で三人は横になっている。

 紅晶が乾いた笑い声を上げると、夜伽は膨らませていた頬から空気を抜いた。

「お前がこの部屋の入り口まで来て倒れたんだろう。覚えていないのか」

「覚えて……ない」

 夕餉を食べながら、父である皇に視察してきた港の様子を告げたのは記憶にある。

 その後、女中に誘われて、キツイ言葉を並べて断ったのも。

 そこからいままでの記憶に関しては、靄にかかっているようで、はっきりと思い出せない。

「……俺、ここ三日ずっと眠れなかったんだよ。なんだか、時間と時間の間を切り抜かれたように夜が終わっていく」

 紅晶は夜伽の金銀の髪によって、星空のように煌めく天井を見上げながら、息を吐いた。

 溜まっていた暗い感情の残滓が、未だ胸に燻っている気がする。

「……眠ろうとすると、黒いものに飲み込まれるような気がして怖いんだ」

「ふうん。……紅晶は一番人らしいな」

 夜伽が喉の奥で笑う。

 褒められているのかよくわからないけれど、不思議と悪い気はしない。

 紅晶もつられて笑う。

「なんだよ、それ」

「白麗は僕よりもずっとバケモノっぽいし、碧英は獣っぽい。朱衣はときどき人形のようだ」

 夜伽の例えは妙に当てはまっていて、一笑に付すことが出来なかった。

 紅晶は「そう」とだけ返す。

 急に訪れた静寂の中で、朱衣が窮屈そうに身動ぎした。

 あまり騒ぎ立てると、目醒めてしまうかもしれない。

「もう少し、寝ようかな」

 紅晶が朱衣に擦り寄ると、引き離そうと夜伽が朱衣を抱き寄せる。

「朱衣に近付くな」

「この狭い寝台で近付くも何もないでしょうが」

「んん……」

 起こしてしまったろうか、と顔を覗くと、まだ安らかな寝息を立てている。

 紅晶と夜伽は視線で停戦を決めて、朱衣を起こさないように、夜が明ける近くまで静かに過ごすことにした。



「おはよう。紅晶、夜伽」

「おはよう、朱衣」

 朱衣は起きるなり、隣に座る紅晶の顔色を見て、熱が無いか額に掌を当てた。

 まだ外は薄暗く、蝋燭の明かりを点してやっとお互いの顔がはっきりと見える。

「大丈夫? 風邪じゃない?」

「ただの寝不足だよ。心配かけてごめん」

 寝不足だ、という一言では安心できなかったようだ。朱衣の眉は増々下がる。

 心配されているのだと思うと、くすぐったい。

「ねぇ、朱衣。また眠れなかったら来てもいい?」

 紅晶が神妙な面持ちで訊くと、朱衣は笑顔で頷いた。

「いつでも来て。待ってる」

 それは男としてはどう思われているんだろうか。

 紅晶は喜んでいいのか、複雑な思いを抱きながら、朱衣の笑顔に笑顔を返した。

 二人の間を遮るように、夜伽が朱衣を後ろから抱きしめて、昨夜のように頬を膨らませている。

「もう、夜伽ってば放して」

「いやだ」

「支度しないと。冬はただでさえ日が短いんだから、時間が勿体無いわ。

 それから、白麗のところに行かなきゃ」

「もっとやだ」

 離れたくない夜伽と、朝の支度をしたくて離れたい朱衣が言い争っているのは面白いけれど、そろそろ朱衣に助け舟を出してあげようか。

 紅晶は夜伽に向かって話しかける。

「夜伽」

 紅晶が声をかけた途端、夜伽の鋭い眼光が飛んできた。

「……そう睨むなって。どんな術を使ったかは知らないが、今宵のことは不問にしてやるから、部屋に戻れ。俺も人目につかない内に戻るとするよ」

 夜伽は渋ってはいたけれど、ここに居たことを白麗に打ち明けられるよりはいいと思ったのだろう。紅晶の提案を受け入れることにした。

 


 朝陽が昇る前に部屋に戻った紅晶は、昨夜の女中の姿がないことに安堵した。

 つくえに茶器が用意してあること以外、部屋には変わりが無さそうだ。

 薄暗い部屋の中。出窓に腰を掛けると、朱衣の部屋から持ってきた手持ちの燭台の明かりを頼りに煙管に火を点ける。

 朱衣の移り香が消されてしまうのは残念だったが、今は朱衣の傍から離れた寂しさを埋めてしまいたい。

 胸一杯に紫煙を吸い込む。



 ――今夜は眠れるだろうか。



 吐き出された紫煙に、昇ったばかりの朝陽が触れて、淡く輝いている。




 

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