紅の皇子は祈る。 2


「碧英様、夕餉のお時間でございます」

 夕刻になり、碧英を呼びに来たのは見慣れない侍女だった。 

 彼女は拱手をしてから、顔をあげる。

 猫目とくっきりとした面立ち。幼さと力強さの調和が絶妙で、可愛らしく感じる。

「朱衣は初めて会うよな。最近入った侍女の柳詩りゅうしだ」

「はじめまして、朱衣さん」

「よろしくお願いしますね、柳詩さん」

 一瞬険のある目つきをされて、朱衣は息を呑んだ。

「どうした?」

 不審に思った碧英が顔を覗き込んできて、朱衣は慌てて表情を取り繕った。

「あ、いえ。綺麗な人だなって思いまして」

「ん? ああ、そうだな」

 照れもせずに頷く碧英。すると、柳詩は頬を真っ赤に染めて「恐れ多いです」と顔を隠して呟いた。


 ――碧英のことが好きなのかな?


 そう考えると、先程の険のある視線にも納得がいく。朱衣には皇子達に恋心を抱いている者から疎まれることが度々あった。

「ほら、碧英様! お迎えがいらっしゃったんだから行って下さい」

「はいはい。ってか、急にお姉さんづらするなよ、朱衣。

 また明日な」

 碧英は朱衣の頬に口付けすると、駄々をこねる夜伽の首根っこを掴み、引きずる形で連れて行った。

 二人で家出をしてから、碧英はなんだか大胆になった気がする。

 朱衣は口付けされた頬を抑えた。


「そ、そうだ。わたしもご飯食べに行こうっ」


 誰もいない部屋で一人呟いて、羞恥で頬を染めた。




 外に面した、風が吹き抜ける廊下を渡り、食堂へと向かう。

 寒さに身を縮めて歩いていると、辺りに漏れないように押し殺した小さな笑い声が聞こえてきた。


「――ねぇ、聞いた? 最近、白麗様のところでアヤカシを飼っているらしいわよ」


 いつもなら、早足に通り抜けるのに、気になって足を止めてしまった。そのまま、足を釘で打たれたかのように、踏み出せない。

 聞き耳を立てることに抵抗はあったが、白麗と夜伽の噂となると聞かなかったふりをして行くことも出来ない。

 朱衣は覚悟を決めて、息を潜めて柱の影に姿を隠した。

 話していたのは三人。女中の中でも古株の者たちで、噂好きで有名だ。

「それでね、とっても綺麗な顔をしているらしいわよ」

「でも、アヤカシなんでしょう?」

「あら、見たくないの?」

「そりゃあ、綺麗な顔は見たいわよ。薄汚い旦那の顔には飽き飽きだもん」

「言えてる」

 目尻の涙を拭いながら、彼女たちは声を抑えて笑った。

 ――なんだ、早とちりか。

 夜伽の美麗な容姿についてなら、いくらでも話していてくれて構わない。

 朱衣は胸を撫で下ろして、食堂へ向かおうとしたところで、話が続いた。


「でもさ、そのアヤカシのせいで白麗様が具合悪いらしいじゃない」


 心臓が掴まれた気がした。そんなことない、と飛び出して否定したかった。

 白麗の体が弱いのは以前からで、夜伽が来たのは偶然だ。そこに因果関係はない。

 楽しそうに声は続く。

「やだわぁ。ただでさえあのネズミ女が白麗様に付き纏っていて、みっともないから追い出して貰いたいところなのに。

 皇宮の秩序が乱れるわよね」 

「本当よね」

「それが、噂なんだけど……ネズミ女がそのアヤカシを呼び寄せたらしいわ」

「アヤカシでもいいってこと? 相変わらず男になると節操ないわね。やだやだ」

 ネズミ女とは朱衣を指すのだろう。

 朱衣は、大きく息を吸うと、ゆっくりと息を吐き出して感情を押し殺した。

 この皇宮で自分のことを面白おかしく囁かれていることには慣れている。

 身分の無い朱衣が皇宮内に居るだけでも嫌がる人がいて、さらに皇子の側仕えさせて貰っているとなると、色目を使ってるだとか、誑かしているだとか散々な言われようだ。

「あ、そうだ。節操ないって言えば、紅晶様だけど……最近、紅晶様のお部屋から女の泣き声がするらしいわよ」

 昼間、紅晶が約束があると言って朱衣の部屋を出ていったことを思い出した。

 女の泣き声、とは何だろうか。

「やーね。うちの国は大丈夫なのかしらねぇ」

 笑い声が遠くなっていく。

 朱衣は紅晶の流し目を思い出して、胸元で拳を握った。

「紅晶……」

 たかが噂だと思う反面、火のないところに煙は立たないとも思う。そんな噂があるということは、何かあったのだろうか。

 声をかけたいところだが、男女の問題であるなら、朱衣は畑違いだ。

 ただ根掘り葉掘り聞くだけなら、噂話をしている先程の女中たちと変わらない。

 朱衣は胸につかえた物を溜息に変えて、食堂へ急いだ。




 夜伽は二畳分のむしろの上に腕を枕にして横になっていた。

 白麗の部屋の隅、この筵の上だけが夜伽に与えられた空間で、夜の間は兵士三人に囲まれて過ごす。

 何より朱衣の部屋と真逆の壁に置かれているのが、夜伽には不満だ。

 七人の兵士に槍の檻を作られるよりはずっと快適になったものの、夜は退屈で仕方ない。

 白麗は仕事以外は天蓋の帳を下ろし、書物に夢中で話し相手にもなって貰えない。おまけに部屋中に居る兵士や侍従に至っては返事すらして貰えない。

 人は多いのに、静寂な部屋だ。


 しかし今宵は、そんな退屈な長い夜を過ごすつもりはなかった。


 隣から物音は聞こえないから、まだ朱衣は部屋に戻っていないようだ。

 耳を澄ませていると、廊下から小さな足音がして、そろそろと扉が開いた。

 月明かりが射し込んでくる中、夜伽には見たことがない少年が、拱手をしてから入ってきた。

 白麗は側仕えの侍従を下がらせて、少年と耳打ちするような距離で話をしている。

 少年から漂う、漢方くすりの香り。

 時折、少年から「でも」、「そんな」という悲痛な声が聞こえてくる。


 ――ふぅん、なるほどね。


 夜伽は白麗の企みを悟って、怪しく笑んだ。

 少年は顔を青ざめながらも頷いて、部屋を後にした。 


 ――さて、僕も支度をしようか。


 袂に潜ませていた石を、大きい順に積み上げていく。

 見張りの兵士が一瞬眉を顰めたけれど、退屈しのぎに石を積み始めただけだろうと見逃してくれた。

 積み重ねること十個。胡座で座っている夜伽のヘソの辺りの高さまで積み上がった。

 そこに息を吹きかけると、夜伽は静かに立ち上がる。

 兵士達は夜伽が立ち上がったことに気付かないのか、見向きもしない。

 そのまま夜伽は、筵の枠から一歩踏み出した。




 

 

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