碧の皇子が望む。 4


 碧英の連れてきた洞穴は、聖なる至色ししきさんが昔お怒りになったときに出来たものらしい。

 至色山が火の山というのは、朱衣も昔話で聞いていた。

 洞穴は結構広く、梗と二人が入ってもまだ奥に余裕がある。天井も高く、背の高い碧英や梗も頭を屈めずに歩いて回れるほどだ。

 碧英は道中拾った枯れ草や木の枝を集めると、慣れた手付きで火を熾した。

「寒くない?」

「うん、ありがとう」

 二人の頬が炎に照らされて朱に染まる。

 外は暗く、本格的に雪が降り始めて、洞穴の入り口まで白く染めようとしている。

 冷たい空気が重たく寄り添ってくるので、袜子くつしただけの足先を守るように、膝を抱えて外套で包み込んだ。

 

「ごめんな、朱衣」


 じっと火を見詰めながら、碧英は消え入りそうな声で呟いた。いつも獰猛さを感じさせる瞳は、くらく力なく感じる。

「謝ることなんてなにもないじゃない」

「いや、俺、本当は白麗兄皇子アニキが考えなしにアイツを殺さずに居たわけじゃないっていうのは分かっていたんだ。

 ……それでも、朱衣を連れ出したのは俺の我が儘だ」

 碧英は洞穴の外へと視線を移す。

 外はさらに天候が荒れてきて、雪が風で飛ばされていく。

 洞穴の中で風の音が轟々と響いて聞こえる。

「……きっと、俺が朱衣を守りたかっただけなんだ」

 碧英は白麗と紅晶に劣等感をずっと抱いてきた。

 意見が食い違って、初めて感情が抑えられずに溢れてきたのかもしれない。

「碧英の気持ちは嬉しいわ。それに、誰も碧英のことを責めたりしないと思うよ」

 碧英は苦々しく笑って、「……そうかな」と呟いた。

 火にくべられた大きな枝が、音を立てて割れる。

 すると、急に大人しくしていた梗が、そわそわと落ち着かない様子で歩き回り始めた。

「梗、落ち着け」

 梗を宥めようと、碧英が立ち上がり、背を撫でてやる。

 それでも、梗は鼻息を荒くして歩き回っていた。

「梗……?」

 朱衣も気になって立ち上がろうとしたところで、梗は動きを止めて外をじっと見詰めた。

 碧英も同じように外へ視線を向ける。

「朱衣、伏せろ」

 碧英は背にしていた弓矢を手にし、矢を番えた。

 弓が張り詰めて、きりきりと音をを立てる。

 朱衣は邪魔にならないように、洞穴の壁に張り付いた。


 風の音と、焚き火の音――それ以外に聴こえるのは、自分の呼吸の音だけ。

 静寂の中で、招かざる客が来るのをじっと見詰める。

 灰色と白色の混ざった景色の中に、朱が混ざる。

 朱衣が視界に捉えたその瞬間、風を切って矢が飛んでいった。


 ――あ。


 朱衣が駆け出す。

 もしかして、もしかしたら。

 矢が、彼を捉えてしまっていたら……!

 血の気が引いていくのがわかる。


「夜伽……!」


 朱衣の悲鳴が洞穴の内で木霊する。

 鮮やかな朱の鳥が、嘴に矢のを咥えて、吹雪の中から姿を現した。

 夜伽は衣服を脱ぐかのように人の形へ変化すると、歯で箆の木の部分を噛み砕いた。

 二つに折れた矢が、音を立てて落ちた。

「随分なご挨拶だな、碧英」

 朱衣が胸を撫で下ろすと同時に、背後から舌打ちが聞こえてきた。

 ひょっとして、碧英はわかっていて矢を放ったのだろうか。朱衣は怒ろうとしたけれど、安堵して気が抜けてしまって怒る気になれない。

「寒かったから腕が痺れて、狙いが逸れたんだ。仕留めてやれなくて悪かったな」

「僕が避けてやったんだよ。勘違いするな」

「ま、まあまあ。無事でよかった」

 夜伽は朱衣を強く抱きしめると、深く息を吐いた。

「……それはこっちの台詞だ。朱衣になにかあったら、と思うと、心の臓が止まりそうだった」

 夜伽の吐息が耳にかかってくすぐったい。

 朱衣が身を捩ると、夜伽はこめかみに口付けを落とした。


「おいこら」


 碧英が弓で夜伽の頭を小突くと、夜伽は不愉快そうに振り返った。

「邪魔をしないで貰えるか」

「邪魔しているのはお前だ。国に帰れ、アホ鳥」

「……口が悪い」

「どっちがだ! いい加減離れろよ!」

 夜伽は渋々朱衣から体を離すと、背負っていた一抱え程ある荷袋を下ろした。

「これは?」

「過保護なお前のお兄様から」

「え?」

 碧英の手に荷を渡すと、夜伽は火の傍に腰を下ろした。

「もうじき日が暮れる。今晩はここで凌いで、夜が明け次第城へ戻ることだ」

 碧英は手渡された荷をじっと見詰めている。

 今度は城へ戻るという意見を拒絶したりしなかった。


 



 白麗は大きな袋に、毛布を三枚と、朱衣用に厚い外套を一枚と沓。さらに、三人分の水と饅頭を入れて、夜伽に持たせてくれていた。

「どおりで重たい訳だ」

 夜伽は自分の分の毛布も、朱衣に渡してやる。

「寒くないの?」

 夜伽は外套も纏っていない。羽織っているものは、墨色の、異国の薄い着物一枚だ。

 おまけに胸元が大きく開かれていて、見ている方が寒々しく感じる。

「うん。平気。僕よりも、朱衣が暖まって」

 寒さを感じないのは、妖だからなのだろうか。

 朱衣は有難く毛布を借りると、埋もれるようにして体に掛けた。

「二人は寝ろ。日が昇ると同時にここを出る」

「お前に火の番を任せろって?」

 碧英は夜伽を品定めするかのように見詰める。

 夜伽は聞こえるように溜息を吐くと、「やれやれ」と呟いた。

「末の皇子は行動力はあっても、視野が狭いな。

 この夜の内に雪がどのくらい降り積もるかわからない。そうなると、馬に乗って帰れるかも怪しい。

 朱衣一人なら抱えて飛べるが、お前も一緒となるとそうもいかない。明日は城まで歩くことになるかも知れないぞ」

 碧英は寝ようか寝まいか揺れていたものの、朱衣は疲れたのかあっさりと寝てしまい、穏やかな寝息が聞こえてくる。


「……お前から朱衣を守るために城を抜けて来たんだ。俺は寝ないで居る」


 夜伽は喉の奥で笑うと、「そうか」と呟いた。

 火を挟んで、二人は向き合っている。

 火を見詰めている夜伽の顔が朱に染まる。どこか白麗に似ているような気がして、目が逸らせなかった。

 しかし、白麗と夜伽は全然顔のつくりは違う。

 白麗は刀剣のように涼やかなのに対し、夜伽は妖艶で甘やかだ。

 それが似ていると感じるなんて、何故だろうか。

 火の揺らめきが、一層大きくなった。


 碧英がじっと見詰めていたのに気付いたのか、夜伽はゆっくり顔を上げた。

 視線が交差する。

 金の目に射抜かれると、碧英の思考は靄がかかったように薄れていき、瞼は石にでもなったかのように重くなった。


 ――これは、一体……。


「おやすみ、碧英」

 夜伽の甘やかな声だけが、夢に落ちる寸前に聞こえてきた。













 


 

 

 




 

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