碧の皇子が望む。 1


 朱衣は薄暗い部屋の中、白麗の着ている白い寝衣の背中を見詰めていた。

 刀を滑り落としてからというもの、白麗は石になってしまったかのように微動だにしない。

 その前に夜伽という男が何か耳元で囁いていたようだったけれど、朱衣には何も聞こえなかった。

 白麗が中傷くらいで動揺するとは思えない。

 もっと、彼を驚かせるような何か……?


「白麗……?」


 朱衣がパオの袖を引くと、白麗は目を見開いて振り返った。

 いつも冷静沈着な彼が、こんなにも感情を露わにして取り乱しているところを初めて見る。

 白麗は刀を拾い上げると、改めて夜伽に突きつけた。


「……一緒に来てもらおうか」


 夜伽は自らの首から流れた血を指先で掬いながら、不服そうに言った。

「僕、男と寝るような趣味はないんだけどな。『精気』も口に合わないし」

「檻に入れると言っているんだ」

「檻なんかで閉じ込めておけると思っているの?」

「……なら、私の部屋に来てもらおう」


 白麗と夜伽を中心に剣呑な空気が漂う。

 今にもはち切れてしまいそうな泡の中に包まれているようで、居心地悪い。


「白麗」


 朱衣が不安そうに呼び止めると、白麗は朱衣を抱き寄せ、額に口付けをした。

 いつもの熱を帯びた口付けとは違って、子供をあやすような優しさを感じる。

「おやすみ、朱衣。もう誰も君の眠りを妨げたりしない」

「でも……」

 妖とは怖いものなのだ、と白麗の書物読んだことがある。

 人を頭から骨ごと食べたり、騙して魂を抜いてしまったり……。

 白麗の肩越しに、そっと夜伽の様子を窺う。

 

 切なさを覚える、夕焼けの朱色をした髪。膝まで流れる髪の先は金糸銀糸のようで、暗がりの中でも煌めいている。

 透き通りそうなほど、滑らかな白磁の肌。墨色の異国の着物によって、余計に白さを際立たせている。

 黄金の瞳は強く光を宿して見えるのに、春の陽のように優しくて、視線が重なる度に胸が音を立てて跳ねる。

 美しいのは容姿だけではない。

 彼の声は甘く、耳に溶けるように響いてくる。


 確かにいたる所の特徴があの鳥と一致していて、鳥の姿が見えないことからも本人なのだろうと思う。


 怪我をしていた鳥の様子を診てくれた、緑寧の声が耳に蘇る。


 ――悪いことは言いません。一刻も早く、この鳥を追い出すことです。魅入られてしまう前に。


 夜伽の美しさを目の当たりにして、魅入られる、という意味がやっとわかった気がする。

 彼を見ていると、胸が弾むのと同時に、苦しくなって涙が込み上げてきそうになる。相反するはずの感情が、同じ器の中でぐるぐると渦を巻く。

 だから、その美しさをずっと見詰めていたいような、すぐにでも目を逸らしてしまいたいような、迷って行動を選択することも出来ずに、朱衣はただ立ち尽くしていた。

 これは魅入られているせい、なのだろうか。

 朱衣だけがこんな風に混乱していて、白麗は魅入られたりしていないのだろうか。

 夜伽の魅力には、男女という線引きは無意味で、簡単に超越してしまうのではないかと思う。


 そんな朱衣の不安を余所に、白麗は堂々と夜伽と向き合っている。


 白麗が控えていた兵士に声を掛けて、縄で夜伽の腕を締め上げると、彼を連れて部屋を後にした。

 朱衣は声をかけることすら出来ず、二人が出ていくのをただ眺めいた。



「へー、さすが皇子様のお部屋。豪奢な造りだ」

 観光でもしているかのように、楽しげな声で夜伽は部屋を見回す。

 腕が縄で縛られていなければ、友人の部屋でも訪ねて来たかのようだ。

「黙れ」

「客人に対して随分な言い草だね。連れてきたのはそっちじゃないか」

「……そう仕向けたのは貴様だろう」

 白麗は夜伽を床に向けて、背を蹴飛ばして乱暴に転がした。

 夜伽は腕の自由を奪われているので、一度横になってから体を起こす。

 見下している白麗の感情のない目を見て、どっちが妖かと夜伽は嘲笑った。


「朱衣の前で切っ先を向けさせることが目的だったのだな」


 夜伽は「そう」と、頷く。

「この先僕の姿が見えなくなれば、朱衣は白麗に不信感を抱くだろう。

 今はただ妖一匹消えただけとしても、朱衣の心に残った小さな蟠りを君は払拭することはできない。そうして少しずつ侵食した不安によって、白麗の傍にいることが朱衣にとって毒になる。

 君たちは離れることを選ぶだろう」

 夜伽は殺されないために、先に朱衣から白麗に対して疑惑を持たせることにした。

 実際朱衣は白麗を諌めていたし、夜伽を殺しかねないと思ったことだろう。

 白麗は寝台に腰を掛けると、高笑いしてみせた。


「それがなんだというんだ」


 白麗の答えに、夜伽は顔を顰めた。

 地を這うような白麗の声に、肌寒さすら感じる。


「例え私がお前を殺して、朱衣が傷ついたとて、一時のこと。

 朱衣は私が慰めればいい。傍を離れるなど許さない。

 朱衣は誰にも渡さない。



 誰にも、だ」


 聡い男だと思っていた。けれど、ここまで理性よりも感情を優先する男だとは思わなかった。

 朱衣は優しい男だと言っていたけれど、とんでもない。夜伽から見た彼は、妖怪あやかしなんかよりもよっぽど化け物だ。


 白麗は息を荒くし、糸が切れるように寝台に横たわった。

 刀の先が震えていたことから察していたことだが、相当無理をしていたらしい。

 あっという間に白麗の周りは侍従と兵士に囲すわれて、すっかり姿が見えなくなった。

 医生いしゃを呼べ、熱があるから水を持ってこい、と慌ただしい声が部屋中に響き渡る。

 夜伽は部屋の隅に追いやられて、七人の恰幅のいい兵士達に見張られることになった。



「僕は君が嫌いだよ、白麗」


 今も残る死のにおい。

 夜伽のぽつりと洩らした声は、誰の耳にも届かず、部屋の夜の闇に溶けて消えた。







 翌朝、白麗の部屋には朱衣と弟皇子達が集められた。

「どうしたんです、兄皇子にいさん。朝餉にも顔を出さないで」

 寝台で上体を起こした土色の顔をした白麗を見て、紅晶は顔を顰めた。

「……って、寝ていなくて大丈夫ですか」

 朱衣が駆け寄って、体を支えてやる。

 白麗は苦しそうではあるものの、笑顔を見せた。

「ありがとう、朱衣。それよりも話しておかなければならないことがある」

 白麗の視線の先を辿る。部屋の片隅で、兵士達の作った槍の檻の中、夜伽が顔を上げた。金の瞳が光る。


「おはよう、朱衣」

 一瞬戸惑ってから、朱衣も「おはよう」と返す。

 すると、夜伽は柔らかな表情で笑った。

 白磁の頬が、薄っすら桃色に染まって見える。

 物騒な槍の先の銀に囲まれていると思えないほど、夜伽は緊迫感を感じさせない。

 まるで無垢な赤子を見ているようで、思わず朱衣まで顔が綻ぶ。

 それを見ていた碧英が、面白くなさそうに、

「で、なんで俺と紅晶兄皇子アニキは呼び出されたんだ」

 と二人の間に割り込んだ。



 




 





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