碧の皇子が望む
第二夜 夜伽。
朱衣に助けて貰ってから三日。
朱衣は書庫の整理に勤しみながらも、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
それが嬉しくて、人の姿に
それ故か警戒心が微塵も無く、擦り寄れば抱き締めてくれ、口付けしても怒ったりはしない。
――出来れば、人型のときに口付けしたいものだけど。
そして、夜な夜な人の姿になると、寝ている朱衣の甘露を上澄みだけこっそりと頂いていた。
そのお陰で、体力は少しずつ戻り、長い時間人の姿になれるようになってきた。
本来なら人の姿の方が楽だが、今はまだ、ただの鳥に思われていた方が都合がいい。
朱衣も部屋へよく来る第三皇子も、まさか僕が人の姿を取る
このままずっと鳥の姿で居れば、平穏に朱衣の傍で生きていけるのではないかとすら考えた。
けれど、一人だけ、目を光らせてこちらを見ている人物がいる。
第一皇子、白麗だ。
いつも僕と朱衣が戯れているとき、右手はいつでも抜刀できるように空け、左手はそれとなく鞘に触れている。
あの綺羅びやかな宝飾のあしらわれた鞘の内に、どれだけ凶暴な獣が眠っているか。想像するだけで背筋が寒くなる。
そしてそれは、ただいつでも斬れるという脅しや牽制などではない。白麗は正当に斬れる理由を探しているのだ。
白麗の前で、少しでも朱衣になにかしようものなら、瞬時に白刃が飛んでくるに違いない。
――恐ろしい男だ。
彼は常に朱衣のことを第一に考えていて、彼女を傷付けないためだけに、僕を放置して動静を見守っている。
けれど、
――その前に先手を打たねばならない。
「朱衣、起きて」
寝台の上。幼子のように丸まっている彼女を包み、上下する布団に近付く。
夢を見ているのだろうか。瞼が微かに動いている。
起こしてしまうのは忍びないけれど、髪が彼女にかからないように気を付けながら顔を寄せた。
そして、朱衣の柔らかな唇を吸い上げる。
昼間、鳥の姿でするものとは違う。
夜も目覚めさせないように、額に、触れるか触れないかの口付けをするだけだった。
ずっと、このまま鳥の姿でいれば……なんて詭弁だ。
朱衣に口付けて、自分の奥底にある願望に気付く。
彼女の甘露が、喉を伝って流れ込んできて、一瞬甘い目眩に意識を手放しそうになる。
朱衣の目がゆっくりと開いた。
そう言えば、昔こんな話を聞いたことがある。
遠く西にあるという亡き国に、永遠と眠り続ける姫君が居るという。
彼女を目覚めさせるために、幾人の王子が呪いを解く口付けをするものの、彼女は目醒めない。
彼女は自分自身で眠ることを選んだのだ。
目醒めれば、不幸が訪れることを知っていたから。
朱衣は三度、瞬きを繰り返した。
そっと、体を離すと馬乗りのような姿勢で、朱衣を見下ろす。
「貴方は、だれ……?」
意識がはっきりしてきたのだろう。大きな瞳には恐怖が滲む。
しかしそれも一瞬のことで、朱衣は華奢な体を縮めて、胸元に潜ませている懐刀を握り、鋭く睨みつけてきた。
抵抗しようという強い意志を感じる。
――これは、誤算だった。
朱衣に悲鳴を上げて貰い、隣の部屋に居る白麗を呼び出すつもりだったけれど、彼女は僕が思っていたよりも強靭な精神をしているようだ。
「僕は、
「夜伽?」
彼女に名を呼ばれるのはくすぐったい。
「そう。助けてくれてありがとう、朱衣」
僕は着ている墨色の着物の上だけ脱ぐと、朱衣の寝衣に手をかけた。
「なにするの」
そう。そうやって、声を上げて。
君の番犬を、目醒めさせて。
細い腕を絡め取り、寝衣の肌蹴た胸元から覗く、鎖骨を甘く噛んだ。朱衣は顔色を変えて、小さく呻いた。
抜け出そうと藻掻き、暴れるのを押さえつける。
――嫌な思いをさせてごめんね。
「や、やめて……!」
朱衣の小さな悲鳴を聞きつけて、早速皇子は駆け付けてきた。
慌ただしく響く足音、扉が勢いよく開き、次の瞬間に僕は壁へと叩きつけられた。
全快だったら避けれたんだろうけれど……床に転がっているのは無様で、あまり朱衣に見られたくはなかったな。
「……優秀だね。皇子よりも、兵士のほうが向いているよ」
「貴様……っ!」
目が血走り、光を浴びて炯炯と輝く。
冷静さを見失い、鬼のように狂った白麗。
扉の向こうで兵士たちがざわめいている。
そう、これでいい。
「待って、白麗。殺しちゃダメ!」
朱衣は白麗の右腕にしがみついて、なんとか止めようとしている。
体格差もあるし、その小柄な体を吹き飛ばすことなど造作もないだろう。
でも、彼には出来ない。鉄や石よりも重たい枷だ。
「朱衣、離せ!」
「ダメってば……!」
朱衣を傷付けないために、刀を手にした腕を大人しく下げる。
それでも彼の目はまだ殺意で煮えていて、美しい艷やかな長い黒髪が逆立っている。
僕は恭しく拱手をしてから、両手を広げてみせた。
「改めまして、僕は夜伽。東の島国からやってきた。
君たち人間の『精気』を食べて生きている夜の一族、妖だ」
白麗の切っ先が、僕の喉の先を薄く切った。
喉から温かい血の伝っていく感触が、静寂に包まれた室内で、唯一動いているものだった。
「は、白麗……?」
朱衣の大きな目から、涙が溢れ落ちていく。
緊張感に耐えられなくなったのか、はたまた僕の傷を心配してくれているのか。
「大丈夫、朱衣。かすり傷だよ」
白麗が向ける血に濡れた切っ先が、小刻みに震えている。
白麗の怒りの裏に隠れる感情が、少しずつ露わになってくる。そして、彼の隠し通していた『におい』に気付いた。
僕は、白麗の刀を辿りながら、彼に近付き耳許で囁いた。
――なぜ君から、死のにおいがする?
白麗の白い顔は増々白くなって、彼の右手から刀が滑り落ちて音を立てた。
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