朱と鳥と、三人の皇子。 3
「あ、起きてたんだね。饅頭を貰ってきたんだけど、食べられるかなぁ」
朱衣は鳥の傍に腰を下ろすと、饅頭を小さく千切って左手に乗せ、口許に運んだ。
鳥は怪訝そうにしていたけれど、朱衣の掌に乗せられた饅頭を少しずつ啄む。
「食べれるのね、良かった。美味しい?」
碧英が朱衣の横に腰を下ろすと、鳥をまじまじと見詰めた。
碧英は自分の鷹を飼っていて、鷹狩を趣味にしている。鳥に関しても詳しいかもしれない。
「確かに、朱衣の言う通り綺麗な鳥だな。……でも、見たことがない」
「白麗にも言われたの。見たことのない鳥だって」
「書物バカの白麗兄皇子が言うんだから、余程珍しいのだろうな。大陸から渡ってきたのか、それとも東の島国か」
鳥が空になった朱衣の掌をつついた。
また饅頭を千切って乗せてやると、啄む。
「気に入ったのかしら」
「食欲があるなら大丈夫じゃないか。……ほら、朱衣もまだ食べてないんだろ。
あーん」
碧英は皿の饅頭を一つ手にとって、一口大に千切ってから、朱衣の口許に持ってきた。
「え」
「ほら、口開けろよ。俺が食べさせてやるからさ」
「いや、いやいや、そういうことじゃ」
朱衣が頬を赤らめて首を左右に振ると、碧英は不服そうにさらに朱衣の口許へと饅頭を近付ける。
「だって朱衣、今ソイツに飯あげるのに手使ってんじゃん。それとも、俺じゃあ気に入らないの?」
「気に入るとか、気に入らないとかじゃないんだってば!」
朱衣が真っ赤になって声を大きくすると、碧英は目を細めた。
「ほんと可愛いよな、朱衣は。二つも上には見えない」
碧英の右手が伸びて、朱衣の後頭部に触れる。
そして、碧英の顔がゆっくりと近付いてきて――
思わず、きつく目を瞑ってしまった。
けれど、次の瞬間、碧英の悲鳴が聞こえて、目を開けた。
「いって!」
荒々しく羽音を立てながら、鳥が碧英の頭をつついている。碧英が追い払おうと、腕を振って対抗するけれど、鳥は華麗に避けながら碧英の頭を狙う。
「こんの……!」
碧英はついに痺れを切らして立ち上がると、腰の刀に手を伸ばした。
「待って、乱暴しないで!」
「乱暴してるのは、この鳥のほうだろ!」
鳥は朱衣の腕に収まって、碧英を睨み付けている。
「きっと、わたしを守ろうとしてくれてるのよ」
ね、と声を掛けると、鳥は可愛らしく一鳴きしてみせた。
「チッ。邪魔しやがって」
碧英はどすんと音を立てて腰を落とすなり、鼻息を荒くして不貞腐れている。
「……なあ、朱衣。俺、これでも結構我慢してると思うんだ。
いつになれば、お前は俺の物になってくれる?」
「碧英……」
碧英の視線が痛くて、朱衣は腕の中の鳥を抱き締めた。碧英の目はいつも獣のように獰猛で、朱衣はいつか射抜かれてしまうのではないかと心配になる。
二人の間に、沈黙が降りる。
溜め息が漏れてしまいそうなくらい重苦しい時間がゆっくりと流れて、誰かが扉を叩いた。
「朱衣、入ってもいいかい?」
「白麗兄皇子か」
碧英が腰を上げて、視線を扉へと向ける。
朱衣はやっと、息を吐けた。
「碧英も居たのか」
「せっかくの朱衣との甘い時間をよくも邪魔してくれたな、クソ兄皇子」
白麗は朱衣と碧英の様子を見て、薄く笑った。
「甘い時間、ね。……朱衣、医生がお見えになったよ。こちらに案内してもいいかな」
「はい。お願いします」
白麗は後ろに控えていた侍従に声を掛けると、部屋へと入ってきた。
瞬間、白麗の笑顔が凍る。
「で、誰と誰の甘い時間……だって?」
威圧的な物腰に、さすがに碧英もいつもの軽口を返せずに黙り込んだ。
「白麗様、お連れ致しました」
「入れ」
現れたのは、小柄な朱衣よりもさらに小柄な女性だった。
拱手をして、女性は顔を上げた。
「
緑寧はとても手際が良くて、朱衣の抱えている鳥をすぐに診てくれた。
一重の涼やかな目元が、和らぐ。
「ふんふん、やはり怪我している箇所はないですね。新しい血痕もなさそうです。なにか病気、という訳でもなさそうですが」
言い淀む緑寧に、一同の視線が集中する。
「……この鳥は、どこから飛んできたものなんですか」
「飛んできたのかは、わかりません。血だらけで書庫に居たんです」
「……そう、ですか」
緑寧は、深く考えるような仕種をして、朱衣の肩に手を置いた。
朱衣が見詰め返すと、緑寧は困ったように眉尻を下げた。
「悪いことは言いません。一刻も早く、この鳥を追い出すことです。魅入られてしまう前に」
「魅入られる、とは?」
白麗も、彼の隣で聞いている碧英も神妙な面持ちで緑寧の言葉を待つ。
「昔、東の島国を治めていた王が、一羽の鳥に因って狂わされて、国を滅ぼしたと聞き及んでいます。その鳥は見目麗しく、艶やかな鳴き声で鳴き、皇のみならず、皇宮の殿方を翻弄した、と。
その鳥は朱の色の羽をして、
朱衣は「それならば」とくすりと笑った。
「大丈夫です。その話を聞く限り、翻弄されたのが殿方であるならば、わたしは翻弄されたりしないでしょう」
「朱衣、私は賛成しかねる。そんな危険なものを君の部屋へ置いておけない」
「俺も、白麗兄皇子の言う通りだと思う。怪我もないなら、もう放してもいいだろう」
朱衣は、胸に抱いた温もりに問い掛けるように視線を向ける。
金の目は、真っ直ぐに朱衣を見詰め返している。
朱衣は決意して、二人の皇子に向かって頭を下げた。
「この子が自分の力でここから出ていくまで、それまでの間でいいので、どうかわたしに面倒を看させてください」
暫し沈黙が降りて、二人の溜息が同時に聞こえてきた。
「朱衣は一度言い出したら聞かないからな」
「しょうがない。俺が守ってやるよ」
朱衣は嬉しそうに頷くと、鳥をそっと桶の上に戻してやった。
「それでは、私はこの辺で」
「ありがとうございました」
「広間まで見送ろう」
「そんな、白麗様に見送られるなんてとんでもございません」
「そう仰らず。急に呼び立てたのだから、そのくらいさせて貰いたい」
白麗にそう返されては、緑寧もそれ以上断ることは出来ずに「お願い致します」と頭を下げた。
白麗と緑寧の背を見送って、朱衣は腰を上げた。
外では日が傾いてきてしまっている。
「朱衣?」
袖を捲り始めた朱衣に、何をするのか、と問いかけようとしたところで、先に彼女から答えが返ってきた。
「これから書庫のお掃除しなくちゃ。白麗に頼まれた書物もまだ見つけだしてないの」
血だらけの書庫を指差して、彼女はやる気に満ちた顔で振り向く。
――ああ、そんな顔を見せられたら。
「しょうがないなぁ。俺も手伝う」
碧英も袍の袖を捲り上げた。
緑寧を見送りに広間へと来た白麗は、彼女と向き合う形で椅子に腰を下ろした。
緑寧は落ち着かない様子で、広間を右から左へと見回している。
元々、皇宮への客をお迎えするための広間で、人が百人は優に入れる広さだ。
警備のための兵士があちこちに居て、緑寧の様子を伺っている。
「呼び止めてしまってすまないね」
「いえ、そんなことは……」
「もう一つ、君の話で聞かせてもらいたいことがある。
君は知っているのかな。
あの昔話の鳥が、雄だったのか、雌だったのか……」
緑寧は記憶を紐解きながら、豪奢な天井を仰いだ。玻璃のあしらわれた天井は、窓から射し込む光を集めて四方に反射させている。
ここはどこもかしこも美しいけれど、まるで鳥籠の内に居るようだと思った。
「雌、だったかと思います」
緑寧の答えに、白麗は目を閉じた。
「そうか」
その一言は、臓腑よりも奥から滲み出たような、重苦しさを持っていた。
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