朱と鳥と、三人の皇子。 2
朱衣は洗濯用の大きな桶に、夏用の
生きているようだけれど、元の羽根の色が
生憎、皇宮内には人を診る
城下からお呼びする間に、死んでしまわないか不安になる。
まだ火の残る火鉢に薬缶をかけて、出来たお湯を、水を張った顔を洗うときに使う小さな桶に注いだ。温度を調整して、手拭いを濡らすと、慎重に鳥の体を撫でてやる。
鳥は相変わらず目を瞑ったまま、微動だにしない。
――白麗に頼んで、お医生さまを呼んで貰おう。
意を決して朱衣が立ち上がろうとすると、鳥が後ろで小さく鳴いた。
振り返ると、朱い鳥は首をもたげてこちらを見詰めている。金色の瞳に、朱衣の安堵に満ちた顔が映り込んだ。
「大丈夫? 今、お医生さまをお呼びするからね」
離れようとすると、また鳥が鳴く。
朱衣はどうしたものか右往左往しながら悩み、結局鳥の傍に腰を下ろした。
鳥は嬉しそうに一鳴きすると、朱衣の方に首を伸ばす。
見た目も華々しくて綺麗だけれど、鳴き声もとても澄んでいて美しい。鈴の音のような、風鈴のような、涼やかな鳴き声に、朱衣は聞き惚れた。
手を伸ばすと、鳥は自ら朱衣の手にすり寄ってきた。
夢の中では届かなかった、鮮やかな夕焼け色の羽根。柔かな羽毛。
温もりを感じて、愛しいと思った。
朱衣の手が心地よいのか、鳥は何度も顔を寄せ……朱衣の人差し指を甘く噛んだ。
その瞬間、体中に痺れが走った。
驚いて、慌てて手を引き寄せる。
――これは、なに?
心臓が早鐘を打つ。漏れでる息が、自分の物ではないほど艶やかで、羞恥心で顔が熱い。
鳥はこちらを静かに見詰めている。
疚しい感情を見透かされているようで、恥ずかしくなって顔を覆った。
「朱衣?」
声を掛けられて、体が凍ってしまったかのように冷たくなった。
振り返ると、龍の刺繍が施された鮮やかな青の
「扉を開けたままで、どうしたの?」
洗濯用の桶を借りてきたときに、開けたままにしてしまったらしい。
「あの、白麗様」
「二人のときは白麗でいいよ。朱衣」
「あ、……うん」
白麗は部屋へ入って来ると、後ろ手に扉を閉めた。
日が高くなってきたとはいえ、寒さに気付かなかった。それほど、焦っていたのだと思い知る。
白麗の顔を見て、心が落ち着いた。
やっと、状況を整理できて、朱衣は白麗とまっすぐ向き合った。
「あの、白麗。書庫に鳥が迷い込んでしまって、怪我をしているみたいなんです。お医生さまをお呼びしたいのですが」
「鳥? ……この子?」
朱衣が頷くと、白麗は鳥を抱き上げて様子を検める。
「今のところ怪我をしている様子はないよ。血が固まっているところがあるけれど、傷口は無さそうだ」
「え? でも、書庫にも血の痕が……」
「……うん。朱衣が見た通り、怪我をしていたのは間違いないのかもね」
白麗の言っていることが解らずに、朱衣は眉根を寄せた。
「傷口が治った、ということだよ。見たことのない鳥だ。アヤカシかもしれない」
白麗が『アヤカシ』と言った途端、鳥は羽根を羽ばたかせて暴れた。
白麗の腕から逃れて、朱衣の元へと飛んで来る。
慌てて受け止めると、朱衣の首筋に顔を埋めて落ち着いた。
「おやおや、随分朱衣のことを気に入っているんだ ね」
「元気になるまで置いてあげてもいいかしら」
「……あまり、許可はしたくないな。鳥とはいえ、雄のようだし」
「わかるの?」
「なんとなく。自然界では、雄の方が鮮やかみたいだしね」
白麗は、朱衣の左手を掬うように手にすると、甲に口付けをした。
朱衣の胸が、音を立てて跳ねる。
「でも、心優しい朱衣のことだ。きっと、放っておけないだろう?
何かあったら、すぐに私を呼んで。いつでも駆け付けるから」
朱衣の淡く染まった頬を優しく触れて、白麗は微笑した。
幽鬼のように青白い肌。体調がよくないのにも関わらず、白麗はいつも朱衣を気にかけてくれる。
「……はい」
朱衣にとって白麗は、幼い頃から兄のようで、憧れであった。
「一応、医生を手配しよう。朱衣は心配せずに朝餉を摂っておいで」
部屋を出ていく白麗を見送って、口付けされた手の甲を見詰めた。
鳥は何か気に入りなかったのか、朱衣の額をつついてくる。
「あ、ごめんね。なにか、食べられるものを貰ってくるね」
桶へと下ろすと、鳥は一声鳴いて、また眠りについた。
朱衣ら侍女や侍従から女中、小間使い、そして兵士など皇宮内で働く者のために食堂が与えられている。
住み込みで働いている単身者にとっては有難い。
食堂は朱衣の住まう白麗の建物と別にあって、そこそこ距離は離れている。
朱衣が駆け込むと、もう食堂は空いていて、厨房からは皿洗いの音が響いている。
「お、おはようございます」
朱衣が声を掛けると、皿洗いをしていた女中は聞こえるように舌打ちをした。
「遅いじゃないか。もう、
「十分です! 頂いていいですか?」
「勝手に持ってきな」
朱衣は頭を下げると、饅頭を二つ手にした。
中に何も入っていない饅頭なら、千切ってあげれば鳥にも食べやすいかもしれない。
朱衣はお皿を借りて、盛ってある器から饅頭を移していると、後ろから手が伸びてきて、器の饅頭を一つ浚っていった。
「よぉ、朱衣」
顔を上げると、八重歯の印象が強い、弾けるような笑顔の男性がいた。日に焼けた健康的な肌と野性的な雰囲気が、白麗と対照的だ。
発色のいい橙の袍がよく似合っている。
碧英は三人の皇子の中でも、一番背も高くて筋肉質な体付きをしている。ぱっと見ると兵士のようだ。
「
「様ぁ?」
拱手をしようとすると、手で遮られた。
不愉快そうに口を膨らませている。
「……貴方様は第三皇子でしょう。もう、またはしたないことをして」
注意している間にも、器から饅頭を一つ二つと手に取っていく。
朱衣は碧英から取られないように、皿に取った饅頭を自分の元へ引き寄せた。
「鳥を拾った?」
「ええ。とても綺麗な鳥なの。夕焼けの朱色をしていて、鈴の音のような鳴き声をしていて……」
「ふぅん?」
饅頭を噛りながら、碧英が付いてくる。
三人の皇子達は、それぞれ別に住まいを宛がわれている。皇子達は年が近いこともあって、あまり気にせず自由に出入りしているけれど、周りの者は快く思っていない。
白麗の屋敷の小間使い達が碧英の姿を見て、慌てて
「碧英様、そろそろお戻りになられたらどうです?」
「嫌だ。屋敷が違うんだ。白麗
碧英が後ろを歩いているため表情はわからないけれど、長年の付き合いで声でなんとなくの感情は読み取れる。
――怒ってる、というよりは、拗ねてる、かな?
結局、碧英は部屋まで付いてきてしまった。
朱衣が渋々招き入れると、休んでいた鳥が顔を上げて黄金色の瞳で碧英を睨み付けた。
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