今宵の夜伽は、君に捧げる。

美澄 そら

朱と鳥と、三人の皇子

朱と鳥と、三人の皇子。 1


 ――夢を見ていた。


 音も温もりもない真っ暗な世界の中で、一人途方に暮れていた。

 孤独にはすっかり慣れていたつもりでいたけれど、夢の中のわたしは心細くて、哀しくて、胸が締め付けられるほどに切なくて、今にも目の縁から涙が溢れてしまいそうだった。

 そうしてしばらく呆然としていると、どこかから吹いた風に舞って、羽がひらりと頬を掠めた。

 視線を上げると、少し離れたところに大きな一羽の鳥が翼を広げていた。



 なんて、美しい鳥なのだろう。



 暗闇の中でも、自ら力強く光を放つかのように、鮮やかな朱色の羽根をした鳥がこちらを見ている。

 孔雀のような気高さに、鷹のような獰猛さを併せ持つ容姿。

 尾は長く、金銀の細工で出来ているかのように、光を辺りに撒いている。

 翼を染める夕焼けのあかに目を奪われて、息が詰まる。

 先ほどの孤独を感じたときの切なさとは違う。

 記憶の奥底に眠る夕焼け。

 幼い頃、両親と手を繋いで見たあの日の、とろけて消えていく朱。

 それは、胸の深いところに触れたときの切なさだ。


 その鳥に触れたかった。


 近付いて手を伸ばしたけれど、指先は空を切り……目が醒めた。





 冬の朝は遅い。


 朱衣しゅいが目を開くと、暗い部屋の中で、天井へ伸びた自分の白い腕が淡く光って見えた。

 窓の外は未だに暗く、部屋の灯りは中心に置かれた火桶から漏れる柔かな光だけ。目を瞑れば、そこは真の闇の中だ。

 朱衣は体を起こすと、布団の上に被せていた上衣うわぎを纏った。しばらく布団の中で体を温めて、少しずつ寒さに体を慣らすと、やっと寝台から外に出ることが出来た。


 部屋の隅にある水瓶から桶に水を移し、朱衣はまだ寝惚けた顔を洗った。

 顔を洗い流す度に、意識はすっきりとしたけれど、凍えそうなほどの冷たい水に、溜め息が漏れでる。

 指先はすっかり体温を奪われて、手拭いのほうが温かく感じるくらいだ。

 窓から外へ水を流す。冷たい風が部屋に入り込んできて、朱衣の細い肩を震わせた。

 それから、薄桃色の襦裙ふくに着替えると、狭い部屋には似合わない豪奢な鏡台の前に座り、髪を梳いた。

 朱衣の髪は色素の薄い猫っ毛で、毎朝纏めるのに苦戦を強いられる。なんとか二つのお団子に纏めて、やっと一息吐けた。

 こうして日が昇る前に起きて、身支度を整えて――、日が昇る頃に隣の部屋に眠る彼を起こしに行く。


 冷たい風の吹き抜ける朱色の屋根の下、外廊下を歩いて、入り口の二人の兵士に挨拶をすると扉を開いて貰った。

 朱衣の部屋と違い、広い部屋の隅には侍従と護衛の兵士が控えている。大きな寝台には天蓋が設けられていて、つややかな絹のとばりがかけられている。

 中の人物が半身を起こしているのが陰で薄らと判った。


白麗はくれい様、おはようございます」


 朱衣が床に跪き叩頭すると、帳が揺れた。

「おはよう、朱衣」

 お言葉を聞き、おもてを上げる。

 帳をそっとけて、中から現れたのは、青白い顔をした美しい男だった。

 卵形の細面に、柔らかく垂れた目尻。薄い唇は、薄く笑みを湛えている。線の細さから、知らない人が見たら女性に間違えられかねない。

 まだ起きたばかりなのだろう。少し肌蹴た真白な寝衣しんいに、朱衣は視線を逸らした。


 ――また少し、痩せられた気がする。


「いつも言っているのに。私のために跪いた挨拶はしないでって」

 そんな朱衣の気持ちを知ってか知らずか、白麗は朱衣の手を取って微笑んだ。

 こうした仕草をしているとき、白麗はとても二つも上には見えない。

 けれど、自分の肉の付いた柔らかな手と違い、白麗の手はほっそりして見えても筋があり、硬さを感じさせる。

 子供ではないのだ、と現実を突きつけられる。

「そうは参りません。白麗様は、次期皇になられるお方です。 ……昔のようにはいきませんよ」

「……朱衣は手厳しいな。私は今でもあの頃と同じ気持ちだと言うのに。さて、朝餉にしようか」

 苦々しく笑いながら、白麗は朱衣の手を引こうとする。

「行ってらっしゃいませ」

「たまには朱衣も一緒に食べよう。さぞ弟達も歓ぶだろう」

「わたしは、白麗様に仕える侍女です。一緒につくえを囲むなど、許されることではありません」

 白麗は、やれやれと言ってやっと朱衣の手を放した。こうして朱衣が起こしにくるようになってから続く、いつものやりとりだ。


 一瞬見せた、白麗の表情の翳り以外は。


 気付いた朱衣が声をかける前に、白麗はいつものように柔らかく笑んだ。

「そうだ、朱衣。今日は東の国の絵巻物を持ってきて貰いたい。久しぶりに見たくなった」

「……かしこまりました」

 朱衣は平伏すと、お付きの者を引き攣れて部屋を後にする、白麗の背を見送った。

 これから別室でお着替えになって、朝食を召し上がるため、この建物からさらに奥の建物へと移動なさる。

 そこからまた、侍女や侍従が侍り、白麗の後ろに列をなす。

 朱衣は同じ侍女として扱われているものの、そうした列に加わることはない。

 白麗の見せた一瞬の表情の歪みが、目蓋から離れない。朱衣だから気付けた小さな変化だ。


 ――お加減が悪いとかでなければいいのだけれど。


 足音が遠ざかってから、朱衣も腰を上げた。

 白麗の寝台の横の小さな机に置かれた書物を引き取って、朱衣も退室することにした。



 白麗の部屋は、朱衣の部屋と隣合っている。

 そして、朱衣の部屋の奥は白麗の所持している、膨大な数の書物を収めるための書庫となっていた。

 この書庫は白麗の部屋からも繋がっているが、年頃の朱衣のことを忖度して、あちら側の扉を閉ざしてくれている。

 朱衣は白麗の持つこの書庫の管理をすることを仕事として与えられ、住み込みで働く侍女として皇宮で暮らすことを赦されている。

 元々、朱衣も書物が好きなので、この仕事に不満はない。

 けれど、快く思っていない人物が居ることも知っている。


 朱衣は持ち手つきの燭台に灯をともすと、自室の奥、薄暗い書庫へと踏み入れた。

 書庫は書物を傷めないようにと、最低限の明かりしか入らないように作られている。大人の男性の背で二人分くらいはある高い天井、本棚はその天井まで届くほど積み上げられていた。

 日中でも、時間によっては光が入ってこないため、こうして灯りが無いと心細い。

 白麗がご所望の絵巻物は奥の方に保管してある。

 足許に気を付けて、恐る恐る歩いていると、ふいに鉄の臭いが鼻についた。


 ――なに?


 本能で危険を感じとって、背筋が粟立つ。

 震える腕をいっぱいに伸ばして、灯りで進行方向を照らす。蝋燭の炎が揺らめく中、視界がゆっくりと闇に慣れていく。

 自分の口から漏れた震える小さな息だけが、響いて聞こえてくる。


 不安と恐怖に押し潰されそうな中、この書庫を守りたいという使命感が、朱衣の背を前へと押している。

 小さな一歩を踏み出すほどに、鉄の匂いが濃くなっていく。そして、床には引きずったような痕。

 まるでいざなわれているようだ。

 朱衣は恐怖に呑まれそうになりながら、さらに踏み出す――と、目を見開いた。


 鮮やかな朱色の羽根。

 孔雀のような気高さに、鷹のような獰猛さを併せ持つ容姿。

 尾は長く、金銀の細工で出来ているかのように、暗闇の中でも光を辺りに撒いている。  

 力が出ないのか、床に伏せているものの、一瞬でわかった。


 ――夢で見た鳥だ。


 朱衣は慌てて書庫から飛び出ると、箪笥から上衣うわぎを出して、また書庫へ戻った。

「大丈夫?」

 一抱えもある大きな鳥を、上衣で包むようにして運ぶ。

 鳥は警戒もせず、朱衣にされるがまま体を預けていた。



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