最終日 六段目 つなぐ杖
過去の痛み。
現在の痛み。
そして、未来の痛み。
痛みを恐れるな。
<セツエイ>
6階は真ん中に閉じられた部屋があり、円状の廊下が周りを囲んでいた。
キーラとクララは、その円を1周してみた。
何もない。
中央の部屋の中に入るしかなさそうだ。
1周して、中央に戻る。
部屋の前の大きな明り取りの前で、二人は佇んだ。
城の正面が見える。
闇の中、王城に遮られて、委細が見える訳ではないが、仄かな灯りと、鬨の声の様な音。
ただ音が聞こえることが、心細さを癒してくれる。
「2人ね」
キーラが言った。
そう。2人になってしまった。いや、司書を入れれば3人。キーラにそう言った。
「そうね!シンベルグ伯爵も入れれば4…人?でも、みんな行ってしまった…」
今は、考えたくない。考えれば、座り込んで膝を抱えて泣いてしまう。今すぐにでも。クララは、お願いされた約束の物が入っている革袋に手を押し付けた。
その場に踏みとどまる力と、前に進む勇気が湧いてくる。
「扉を開けて前に進むわ。これから先、何が起きても、くじけずに前に進みましょう。例え、どちらかが倒れても。いい?約束して」
普段優しいキーラの、強い口調。
もちろんだ。
キーラの綺麗な顔は、土で汚れている。
クララもきっと、酷い顔だ。
キーラが、ふっと微笑んだ。
「大丈夫。2人でやれるわ。そして、早く終わらせて、司書さんに加勢しましょう」
クララも微笑み返す。
この塔の様に、どこか寂しかったが、心は不思議と穏やかだった。
「行きましょう」
階段に通じる中央の部屋の扉の片側をそっと押す。
扉は音もなく開いた。
暗い。
中央の部屋に窓はない。
さっき1周したから分かっている。
部屋の中に入り、扉を閉めた。
何もない、石の壁と天井に囲まれた、寒々とした部屋だった。
まっすぐ奥にもう一つの二枚扉。
2人は、扉に近づく。
扉に手をかけ、2人でそっと押した。
扉は再び、音もなく奥に吸い込まれるように開いた。
扉が開き切り、視界が開けた。
もう手遅れだった。
弓と矢の仕掛け。
扉が開き切った瞬間、無数の矢が、暗闇の中を飛んで来た。
あつっ。
言った時には、もう腹部と両足、右肩に矢が刺さっていた。
寒々しい部屋なのに、矢が刺さった場所が、熱い。
隣でキーラが膝を着いた。
刺さっている矢の数は分からない。けど、1本ではない。
クララは自分の意志とは無関係に膝をつき、尻餅を着いた。
腹部の矢を引き抜きかけて、諦める。
内臓が激しい抗議の痛みを伝えて来たから。
口の中に血が溢れる。
窒息するのはごめんだ。
吐き出す。
血は塊ではなく、液体で流れた。
目の奥が暗くなっていく。
ごめん。
みんな。
キーラさん。
せめて、キーラさんだけで…
意識が途切れた。
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………ゴホッ。
ん…?
…………暗い。
真っ暗だ。
口の中がネバネバする。
風邪だと気づいた朝の寝起きみたい。
誰かが額に手を当てている。
冷たくて気持ちがいい。
お母さん?
枕がある。
これは、夢?
クララは、ゆっくりと目を開けた。
最初視界に入ったのは、黒々とした塊だった。
頭の方から薄明かりが差しているせいで、暗闇に目が馴れる。
影は覗き込む人の顔だった。
綺麗な顔。
キーラの顔。
目は閉じている。
キーラさん?
クララはキーラの顔にぶつからない様に横に転がり、起き上がった。
正座したキーラの肩を掴む。
その肩と腹部には、折れた矢が突き刺さっていた。
キーラさん!キーラさん!
名前を呼び、揺さぶる。
キーラの体が、ゆっくりと倒れこんできた。
そのまま受け止めて抱きしめる。
カラン、と音を立てて、杖が転がった。
杖を、杖を使ったのだ。
全てを癒す神の杖を。
使った人は、代償として、死に至るという、悪魔の杖を。
やだやだやだやだ!
キーラさん!目を覚まして!お願いだから!
キーラは何も答えなかった。
眠っている様にしか見えないのに。
ただ、その美しい顔は、ひどくやつれていた。
目の下が不自然に黒い。
口元を血の筋が流れていた。
一筋、どころではない。
薄い唇の下から顎にかけて、血で汚れていた。
顔にも点々と黒い染みがこびりついている。
そして、その体は、生気のないそれだった。
自分だって、痛かったでしょう?
苦しかったでしょう?
揺さぶられるままに、首が前後に揺れる。
クララはそれが悲しくて、キーラの体をそっと横に倒した。
キーラの体は、正座のまま、横に倒れた。
クララにも分かっていた。
キーラは、もう、あの歌うような美しい声で話すことはない。
キーラは、もう、はにかんだ笑顔で笑いかけてくることはない。
キーラは、もう、顔に似合わぬ毒を吐き、一息にウィスキーを飲み干すこともないのだと。
行かなくちゃいけない。
ここで、ずっと、全てを忘れて座っていたいけど。
夜が明けるまで。
行かなくちゃいけない。
光は、自らの手で、点けなければ、誰ももたらしてはくれない。
クララは、軋む体に鞭打つと、キーラの体を戸口から部屋の隅まで、なるべくキーラが痛くないように運んだ。
そして、正座を崩してあげた。
キーラの両手を胸の前で組み合わせ、杖をもたせる。
さようなら、キーラさん。
でも、ちょっとだけだから。
あたし、すぐに戻って来る。
この、どうしようもなく理不尽で頭にくる…何かを…どうにかして。
そしたら、お日様がまた照らしてくれる。
そしたら、みんなの約束を果たしに旅に出られる。
だから、さようなら。
ね。
ありがとうございました。
この命、無駄にしません。
お休みなさい。
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