7日目 踊り場にて 一生に一度
人に嫌われるのは怖くない。
嫌う人間に好かれる方が怖い。
でも、自分が好きなあの人の信頼を失うのは、本当に怖い。
<ギオ・ガブリング 司書 兼 七生の賢者>
雪が、振っていた。
真っ直ぐに落ちる、水分を含んだ大粒の雪が。
テントの横、大岩の陰に、3人ぐらいで腰かけるのに丁度いい大きさの石があり、その石の上に、傘が開かれている。
大きな傘だ。
貴族がピクニックで使うような。
ただ、おそらく貴族は好んで使わないだろう。
真っ黒。
しゃれてはいない。
傘の下は雪が積もっておらず、そこだけ結界を張ったようだ。
この雪では、闇の生き物の動きも鈍いだろう。
空を見上げて、そう思った。
司書は、石に腰かけ、いつものように書き物をしていた。
前に、日記だと言っていたのは、アイリだったか、キーラだったか。
クララに気付いた司書が手招きする。
クララは、歩を早めて、司書の横に座った。
手をつく。
ひんやり。
でも、お尻の部分に獣の皮。
フワフワ。
パタン。
司書が本を閉じた。
「さて。クララ殿」
はい。
「城に入ったら、迷わず上階を目指しなさい。目指し続けるのです。例え、なにがあろうとも。誰が倒れようとも。今までみたいに、治療に時間を掛けてはいけません。死力を尽くして、王の塔の最上階を目指すのです。究極的な判断は、一番年上の人間に従う。これは、みなさんに言ってあります。分かりました?」
抽象的だが。抽象的だから、頷くしかない。目標と目的の確認に過ぎない。
聞きたいことを聞く。
何人が辿り着けばいいとか、ありますか。特別に使う物とか。
司書は、いつになく真面目な顔で、クララをじっと見つめた。
「一人。一人辿り着ければ事足ります。その人間が、成すべきことを成す気力さえあれば。クララ殿が言ってるのは、侵食を終わらせる特別な武器とか、道具のことでしょう?そういった物は必要ありません。それが、どのような形をしているかは分かりませんが、侵食をもたらした物を、破壊出来ればなんでもいい。杖でも、椅子の脚でも、テーブルでも」
一体なにがあるのだろう。
聞いてみた。
「それは、辿り着いた者が確認するしかない。しかし、おそらくは、行けば分かる類の物です。私も、全知全能ではない。ルートや、手法が、いつでも確立されているなんて元凶です。時には、そこに行き、自分で考え、出来る限りのことをするしかない場合もある。多くは、本来、そういうものです。特に、理不尽に対するには」
司書は黙って正面を見つめた。
なんだか、なんだか、まるで何かを託そうとしているような。司書が辿り着けば、問題ないのではないか。七生の賢者だし、いや、それをおいても旅の途中、いろいろなことを、なんというか、上手にこなしてきたのは、司書なのだから。
司書さんが、辿り着けば、すぐに分かりますか。それが、元凶だとか、それへの対処方法とか。
司書は、真っすぐ、暗闇の中で静かに舞い降りる雪を見つめたまま、静かに言った。
「私は行きません。城には入らないのです」
えっ。
「聞いて下さい。クララ殿。人には人の役目があるのです。運命とか、宿命かもしれないし、そうでないかもしれない。単に、その時代、その時、その場所で最善と思われる事を、自分で、あるいは自分達で選択するだけの事かもしれません。怖い、訳ではありませんよ。誤解しないでくださいね。そう思われるのは、少し悲しいので、一応おことわりしておきます。残る方が、どちらかと言えば、怖い。いや、怖くはないか。ただ、寂しくはあります。皆さんの物語を、最後まで見届けられないのは」
なんだか、死ぬようなことを言う。そういうのは、嫌だ。だからそう言った。
「ああ。これは、申し訳ない。そういうことを言っているつもりでは、なかったのですが。そうですね。明日、城に入れば、侵食内に散る、数多の魔物やフォーリナーが、大挙して城に戻って来ることが考えられます。予感ではなく、予想です。侵食を引き起こした元凶が警報を発するでしょう。中には虫の知らせで戻って来る魔物もいるでしょう。あるんですよ、そういうことは。私も何度か経験しています。だから、城に入った仲間達が、目的を達成するまで、外で誰かが、敵を撃退しなくてはならない。それに一番適しているのが、私だ、というだけのことです。これは、もう、他の仲間には話していますし、了承済みです。こうして、個々に話さなければ、賛同されなかったでしょうね。アルミス殿やアイリ殿、老魔導士殿は腕に自信があるし、クララ殿を含め、他の面々も、勇気がある。しかし、それだけでは対処出来ない。私はそう感じているのです。知っている、と言ってもいい。知識と情報からシミュレーションした流れを、説明出来なくもない。でも、あまり意味もないのです。教えて出来ることと、出来ないことがあるのは分かるでしょう?」
クララは頷いた。アルミスの剣、アイリの弓、老魔導士の、キーラの魔法。トーマの予感や勇気。シンベルグの知っていること、その苦無。そして、司書の知識と見識。見てもいるし、自分が出来れば、とも思う。でも、出来ない。今はまだ。
司書は頷き返した。
「そう。みんな分かってくれた。この場合、それが一番嬉しいのです。信頼の証。感情的にならずに、分からなくても、頷いてくれる人は、そして、任せてくれる人は、侵食の中でも外でも得難い。それを、友情や愛、と言うのでしょうね。目に見えないモノを形にする力。目に見えないモノにも名前が有り、意味がある。目に見えないモノは、信じる力が、形を作る。目に見えるモノは、いつか朽ちていく。しかし、目に見えないモノは、形が無いからいつでもそこにあるのです。もちろん、形を与える人の心次第で、歪みも腐りもしますがね。形骸化も。スケルトンや、フォーリナーのようにね。だから、その時その時の、美しさを、正しさを私は書き留めるのです。そうすれば、言葉が美しい意味を、形をたもっていられるから」
なるほど。それで、司書は旅の記録をつけていたのか。出来事を、人の物語を。
「さて、講義はお仕舞です。クララ殿は、明日、みんなと共にお城に入り、王の塔の最上階を目指す。私は、王城の入り口で、皆を応援しながら戦います。やってくれますか?」
優しい目をした七生の賢者は、再びクララの顔を見つめた。
クララは、目を逸らさず受け止めた。
賢者は頷き、話を紡ぐ。
「そうです。ひとつ、忘れていました。それぞれの持つ神魔器の、正しい作用と反作用を教えてもいたのですが、クララ殿にも教えます」
クララは驚いた。知ってたんですか。
「当たり前です。私を誰だと思っているんですか?サンサワの司書の中でも一番の読書好きですよ?」
ニッコリ。憎めない人だ。クララは、胴当ての懐剣入れから、小刀を取り出した。
「ホープ。闇と霧の中で生まれた希望の光。その輝きは大きくは照らさない。一人一人の心に宿る。それゆえ、絶えることを知らず。闇がその深みを増した時、より、輝く。希望の光が、行く手を指し、成すべきを示す。それが、神の部分。魔の部分は、使った時から、死への歩みが始まる、です」
クララはお父さんから貰った小刀を見つめた。銀色の鞘に光が走り、一瞬懐かしい人たちの笑顔が見えた。お母さん、弟達、ラーフ。村の人達。
光は、沈む様に消えた。
「話は終わりです。何か質問はありますか?」
司書が立ち上がりながら言った。
そんな、司書のローブの袖を掴んで聞く。あの、また会えるんですよね。
「ええ。もちろん。こう見えても私、けっこう強いんです。シンベルグ伯も手伝ってくれるそうですしね。だから…」
だから。
「侵食を止め、闇を払った後で、皆さんの活躍を教えてください。この本の続きに書きたいので」
そう言って、腰に下げた本を小気味よく叩いた。
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