7日目 記憶
忘れないように、箱にしまいましょう。
<キーラ>
「アイリ!クララ!ええい!くそっ!」
階下で大声がした。
ギシギシと力強い足取り。
声で分かり、行動で、音で分かる。
「アルミス様!」
アイリが大きく返事した。
生気に溢れた銀色の鎧が、階段を上がり切った。
アイリが、クララが抱き付いた。
「おおう、おおう。羨ましいことじゃ。モテるの。ワシも騎士になるべきだったか」
老魔導士が茶化すように言った。
「騎士ではこれほどの働きが出来たかどうか。魔導士殿、さすがの一言。復活されたのですね」
アルミスが、両手に女騎士と騎士見習いを抱えて、老魔導士に言葉を返した。
「復活?それは一度倒れた者に使う言葉じゃ。ワシは少しばかり寝ていただけよ」
「その憎まれ口。もはや頼もしいとしか言えません。助かりました。ありがとうございます」
「なんの。一人除け者もつまらん。ワシらは仲間じゃろうに。当然の事じゃ。例には及ばん」
老魔導士はうるさそうに、目の前を払った。
「ちょっと!上は大丈夫ですか?」
階下から焦った声がした。司書だ。
「おお!そうであった!魔導士殿。来てください。フォーリナーの一団は殲滅しましたが、1体、様子が変なのです」
「そうか。よし、行こう」
「それと…」
「なんじゃ?」
「屋内で火の魔法を使うときは気をつけた方がいいかと…」
「ん?」
老魔導士が不思議そうにアルミスの顔を見あげる。
「司書が言うには、自分が来るのが遅れたら、危うく見張り塔ごと焼け落ちるところだったと…」
「は!うっかりしてたわい!なんじゃ、この見張り塔、木製か?石造りじゃないんか?」
「いや、壁は石ですが、床と階段は木製のようで…」
「んん…すまん」
老魔導士が頭を掻いた。
「良いんですよ。結果助かったんだから。ね、クララちゃん」
アイリが元気に言った。クララは大きく頷いた。
全員で下に降りる。
階下では、びしょ濡れになった司書が待っていた。
「ああ。無事だったんですね。魔導士殿も。良かった!いや、めちゃめちゃ燃えてましたよ!焦って油撒くところでした。ちゃんと袋詰めした水を撒きましたがね」
それでびちょびちょらしい。足元には炭化した三体の塊があった。
「司書。それよりまだ持ちそうか?」
「えっ?ああ。治癒魔法が効かないようです。そう長くは…」
「そうか。魔導士殿、急ぎましょう」
「お、おお」
アルミスは大股で見張り塔から出る。
老魔導士が続き、残りが後を追った。
白銀の世界が、静寂を取り戻していた。
そこで踊る様に剣を振るっていた白銀の騎士団は、もういない。
刹那の出会いだったが、少し寂しくなる。
遠く、司書の使った道具の残り火だけが、戦場の名残を伝えていた。
土塁の手前。
ふわふわと浮いたシンベルグが見下ろす中、キーラとトーマが横たわった誰かの手を握っていた。
「あれは?」
老魔導士が眉間を寄せる。
「ブリリアントパークの騎士です。警護騎士団の一員で、王国内を巡回中に侵食にあったそうです。侵食を過ぎて1か月ばかり後からの記憶は半分ないそうですが、なにかの拍子に完全に目が覚めたとかで、こちらに味方してくれたのです。部隊の仲間が闇に落ちていくのも、自分が少しずつ変異していくのも認識出来ていたらしいのですが、侵食の内に居て、どうしようもなかったと言っています」
アルミスの説明に頷きながら、老魔導士が横たわる騎士に近づいた。
クララもアイリの後ろにしがみつきながら、恐る恐る近づく。
老魔導士は、騎士の傍らに膝をついた。
キーラを見る。
キーラは悲し気に首を振った。
「聞こえるか?」
老魔導士が語り掛けると、眠る様に目を閉じていた騎士の目が開いた。
「うう…き、聞こえます。ただ…」
「ただ…?」
「目が…良く見えません…全部が、ぼんやりとしています…暗い…そして…寒い…」
「そうか…騎士よ。名は?」
「ロンド…ステファン・ロンド…王国の騎士です」
老魔導士の陰から覗き込んだ騎士ロンドの目は、白く濁り、顔は立派な髭と同じくらい土気色だった。しかし、先ほど対峙した兵士たちに比べ、わずかならが生気が感じられる。見張り塔で戦った兵士たちの顔は腐りかけ、崩れていたが、ロンドの顔は、顔色こそ悪いものの、人の形をしていた。
「ワシの仲間を助けてくれたそうじゃな。礼を言う。何があったか教えてくれんか?」
「いいえ…我ら警護騎士団が、王の命令もなしに他国の騎士を襲うなど…あってはならないこと…何もかもが、おかしくなってしまった…あの日、王の塔に黒い雷が落ち、そこから黒い霧が吹き出してから…瞬く間に闇が広がり、王城と城下町と包み込んでしまった…侵食だと気づき、逃げた者も大勢いますが…何しろ初めての事で…湧き出る魔物を退治しに、王国内を転戦している内に、我らもいつしか闇に飲まれてしまいました…闇の中こそ安全だと…仲間が腐っていくのも分かっていましたが、何も出来なかった…」
「おぬしら、食料はどうしていたのじゃ?」
「それは…おっしゃろうとしている意味は分かります…各地で人が人を襲うのを見ましたから…噂では、王城の中も、悲惨なことになっているとか…しかし、我々の隊は人は食べていません…隊長が…それだけはするなと…空き家に残された穀物や、パン、時には馬を犠牲にして上をしのぎました…」
クララは目を閉じた。想像するだに、辛い。
「大変だったな…ところで、なぜお主だけ、人の意識が残っておるか分かるか?」
老魔導士が優しく聞いた。
「多分…考える時間は沢山ありましたから…これが…」
騎士ロンドは右手をキーラの手から離し、震える手で、胸元から引きずり出すようにゆっくりとペンダントを取り出した。
銀色に輝く、ハート形のペンダント。
「これ…これに…神の御加護が…ゴホッゴホッ」
「おい、無理する出ない」
「大丈夫です…もう、私は助からないのでしょう?分かるんです…無理に…話をさせてください…黙っていると…怖いんです…」
「分かった。水を飲むか?」
「少し…」
司書がキーラに水筒を渡し、キーラがロンドの体をそっと起こすと、水筒を傾けた。
老魔導士が、ペンダントを触る。
「ロンドよ。これは神魔器か?」
「ええ…おそらく…親父から渡された時は冗談だと思っていたのですが…しがない田舎騎士風情に、神魔器などと…ただ、これしか考えられません…他にはなにもないのです…」
「神魔器だとすると、その効果を知っているか?」
「分かりません…ただ…」
「ただ?」
「ひょっとすると、遠くにいる人の姿や生活が見えるのがそうじゃないかと…」
「どういうことだ?」
「闇が広がってから、時々、このペンダントを握りしめて思うと、侵食の前に里帰りした妻の姿が見えるんです…最初は夢かと…妻はこっちを見ているんですが、私の姿に気付きません…ひどく悲し気で…それで、私が、あんまり悲しそうな顔をするなよ、と言うんです…お腹に子供がいるものですから…子供まで悲しくなってしまいます…そうすると、妻は辺りをキョロキョロと見渡すんです…まるで私の声が聞こえたように…でも、少しずつお腹が大きくなってるんです…それが…」
「神魔器の力」
「はい…」
「なにか…副作用はあったか?」
「ええ…これもおそらくですが…目が…だんだん白く濁り始めました…遠くの物が見えづらくなって来て…城の物見塔に配属希望だったんですが…これではもう駄目ですね…ははっ…ゴホッゴホッ」
今度は前より激しくむせ、口の端から粘度のある液体が頬を伝った。
「痛むか?」
老魔導士が聞く。
「いえ…先ほどまでは少し…今はただ、体が重い…そして…寒い…眠くなって来てます…もう…起きられない気がします…」
「大丈夫だ。なんとか考える。気を強くもて!」
「いいえ…分かるんです…胸から下は、もう無いように感じます…だから聞いて下さい…見ず知らずの方々にお願いするのは心苦しいのですが…どうか憐れと思って、死に行く者の最後の頼みを聞いて下さい…」
「分かった」
「ありがとうございますっ…この、このペンダントを…ディスペックの街にいる、マーファ・ロンドに渡して下さい…デイライト通りの角の家です…私の…私の妻なんです…お礼にこのペンダントを差し上げます…」
「差し上げますって…このペンダントを渡すのだろう?」
「いいえ、このペンダントの…」
言ってペンダントの表面を右手だけでずらした。ロケットペンダントだ。中に何か入っている。
「中身を渡して欲しいのです…紙に名前が書いてあります…エルぺス…希望という意味です…ロンドが…ステファン・ロンドがそう言っていたと妻に…ゴホッゴホッ、グフッ」
「分かった。分かったからもうしゃべるでない」
「ありがとう…ありがとうございます…最後に皆さんに会えて、これで心置きなく旅立てます…神よ…感謝致します…ああ…暗い…でもなんか…暖かい…」
ロンドの首が力なく傾き、その傾いた頬を、一筋の涙が流れ、落ちた。
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