6日目 夜 踊り場にて
6―4「踊り場」
辛いことや悲しいことがあったら、
未来に楽しいことや幸せな自分を想像して、
どうしたらそうなれるか考えましょう。
でないと同じ悲しみや苦しみを繰り返すことになります。
<聖 ブイ>
暗闇に慣れたからと言って視界が良くなるわけではない。
もちろん、前から吹きつける雪のせいで、あまり良く見えなかったという事もある。だが、浸食の中にいるのだと改めて思い知らされたのは、激戦地から30分ほど歩いた時。
目の前にクララの身長の五倍ほどの大きさの建物があり、そこから少し視線をずらすと、カシュワルク城の巨大な横腹がそびえ立っているのに気付いた時である。 闇の中に浮かび上がる影は、聞き及んでいた美しい城ではなく、行く手を阻む壁のような、ただただ不気味で巨大な何かであった。
例によって司書が魔法の道具で、監視塔を調べる。
ついでシンベルグが中に入って行った。後を追おうとすると、司書に止められた。中を調べているらしい。
寒さに耐えかねて、足踏みしながら皆に目を配る。
動きが変わらないのは、アルミスとアイリだけで、他はみんな肩を落としている。アルミスとアイリは北方騎士団の出身らしいから、寒さにも強いのだろうか。
特に疲労しているのは老魔導士のようで、橇の上で腕組みしたまま動かない。本当に大丈夫なのだろうか。
「大丈夫ですよ」
監視塔の戸口から顔を出して、シンベルグが言った。ほうっ、と溜息を吐き、監視塔に入る。老魔導士には、アルミスとトーマが肩を貸した。
監視塔の中は、別に火の気があるわけでもないが、風と雪がないだけで、随分暖かく感じられた。
「一階で食事にしましょう。わたしは結界を張ります」
司書はそう言って外に出た。
アルミス、キーラが老魔導士を見張り塔の2階へ連れて行く。
2階にはベッドがあるのだそうだ。
クララは残る2人と食事の用意をした。
なるべく暖かいもの。
アイリは料理はあまり得意でないようで、じゃがいもの皮が剥けない。
北国の監視塔らしく、部屋の中央には囲炉裏があり、壁際には暖炉もあった。
アイリには火を起こすのをお願いして、クララとトーマで食材を切る。
じゃがいも、大根、人参、トマトの皮を剥き、とっておきの牛肉の塊を切る。
アイリが起こした暖炉の火で、小麦粉をバターで炒め、カットした野菜と牛肉を入れて塩コショウで味付け。
お湯とワイン、ローリエの葉を入れ、囲炉裏の火に鍋ごとかけた。
後は、火加減を見ながらアクを丁寧にとる。
ふつふつと表面に泡が立つ頃には、部屋の中は甘酸っぱい匂いで満たされた。
司書が外から戻る。雪塗れ。
入り口で雪を叩き落とすと、例の巾着から、大きなフランスパンを取り出してアイリに渡した。
アイリが手際よく切り分ける。
そういうのは得意らしい。
食事の準備が整う頃、2階からアルミスとキーラが降りて来た。
老魔導士の具合を聞こうとして察した。
二人共、明るい表情ではない。
「どうです?」
司書が尋ねた。相変わらずのストレートな物言い。
これに匹敵するのは、トーマの天然ぐらい。
「そうだな。落ち着いているし、死にいたるほどの傷ではないが…すぐには動けないだろう」
アルミスがそう言ってキーラを見た。
キーラも頷く。
「そうですね。痛みは抑えたと思いますが、止血するまではまだ時間がかかりそうです」
めいめい、頷きながら、車座に囲炉裏を囲む。
「なるほど。それでは、1日様子を見た方がよさそうですか?」
司書の問にアルミスが答えた。
「ああ。そう思う。置いていく訳には行かないし、魔導士殿は大きな戦力になる。城に入れば、一人でも多く力が必要だろう?」
「そうですね」
司書が答えた。
「まあ、ここまで来たんだ。城は目と鼻の先。城に入ったらノンストップだ。じっくり話し合うのもいいだろう」
アルミスが、ビーフシチューの椀を豪快に傾ける。
クララは小さく手を合わせると、ビーフシチューをスプーンですくった。
旨い。食べながら涎が垂れる程旨い。共同作業のトーマを見ると、トーマは力強い目つきで頷き応えた。シチューの汁気に、乾いたフランスパンの食感が良く合う。
「それなんですが…」
司書が椀を置いて、アルミスに向き合った。
椀はすでに空だ。
老魔導士の分を考えても、若い二人が作った鍋には、まだ相当な量が残っている。クララは、そっと司書の前から椀を持ち上げると、ビーフシチューをよそった。肉多めで。
司書が会釈と笑顔で礼をする。
「ん?話し合いか?」
アルミスが椀を置いた。アルミスの椀も空だ。隣のアイリが、椀を持ち上げ、鍋からシチューを注ぎ入れた。
「はい。明日、大筋で打ち合わせした後、個別にお話させてください」
司書が言う。
もうすでに、信頼のバロメーターが高くなっているのだろう。
旅の始まりの頃だったら、アルミスだけでなく、誰かしらが不信感を現したであろう司書の発言に疑問を挟む者は居なかった。
「ああ。司書が言うんだったら、それでいい。明日でいいのか?」
「ええ。今日明日はゆっくり休みましょう。魔導士殿が怪我をされたので、不謹慎かもしれませんが、そういう天啓なのかもしれません。わたしも、最後の詰めをゆっくり考えてみたいのです」
そう言って、みんなを見渡した。
目が合う人間が、首を縦に振ることで、賛同の意を表す。
最後に司書はアルミスと頷き合った。
「そうであれば、司書、ひとつ頼みがある」
アルミスから司書に頼み事は珍しい。司書もそう思ったようで、ビーフシチューの椀ごと、少しのけぞった。咽ている。
「な、なんでしょう?厄介事ですか?」
「いや、すまん。驚かせるつもりはなかった。ただ、その、酒が欲しくてな。このビーフシチュー、ワインの風味が絶妙でな。つい、その、飲みたくなる」
あまり見たことのない、少年の様な照れ笑いが、囲炉裏の炎に浮かび上がる。
アルミスの対面に座る司書が、ニヤリ、と笑みを浮かべた。
この笑みも、囲炉裏の炎に浮かび上がったが、こちらは不思議と嫌らしかった。「いいでしょう。もうあまり残りを気にする必要もありませんし、今日は飲みますか」
「じゃあ、あたしも飲もうかな」
珍しく、アイリが乗って来た。
「では、わたしも」
キーラまで。
「じゃあ…」とトーマが言いかけて、全員から却下された。
当然、クララもそうだろう。挙げかけた手で、シチューをもう1杯。ヤケ食いしかない。
司書が巾着をゴソゴソと漁り、ワインやら何やら取り出した。
酒宴が始まる。
大人の時間だ。
クララとトーマはおつまみの木の実や干し肉、干し魚を分けてもらう。
お酒が入り、緊張がほぐれたのか、話が盛り上がった。それぞれから聞いたエピソード。旅の途中のあれやこれ。
クララも時折会話に混ざりながら、もらった乾物を火で炙っては、お茶で流し込んだ。これもまた、旨い。塩気のある乾き物でキュっとしまった喉を潤すのはたまらない。
いつもどこで食事を済ませているのか、食事時から夜にかけて行方不明になるシンベルグが、炙り物の匂いに釣られたのか、いつの間にかクララの後ろで鼻を鳴らしていた。
「シンベルグ。どうだ1杯」
これもまた珍しく、アルミスがシンベルグに陽気に話しかける。
シンベルグは喉を鳴らして答えた。
「いいの?飲むよ、けっこう」
キーラが無言でグラスを渡し、アイリがこれもまた無言で注ぐ。
「乾杯」
シンベルグは貴族らしく―久しぶりに思い出した―上品にグラスを傾けた。
「乾杯」
大人たちが唱和した。
そこからはシンベルグも混ざり、話は続いた。
クララはさすがにお腹がいっぱいになって、眠くなってきた。
でも、まだ眠りたくはない。ここに起きて居たい。
そこで、少し外に出て夜気に当たって目を覚ますことにした。
「あまり遠くに行かないように」という司書の注意に頷く。
パタン。
外に出ると、雪はすでに止んでいた。
辺り一面銀世界。
侵食に入ってから変わらない、空からの仄かな灯りが、雪に反射している。
見張り塔の出入り口にある階段に腰かけた。
クララはクララなりに、昨日までのこと、それからこれからのことを考えてみたくなった。少し、ほんの少し、なぜだか悲しくなった。
パタン。
扉が閉じる音がして、隣に誰か座った。
司書だった。
いいんですか、お話に混ざらなくて、というクララの問に、司書が赤ら顔で首を振った。
「いいんです。今はそれぞれ、侵食に来た理由を話しています。わたしは一度聞いてますから」
パタン。
再び音がして、誰かが出て来た。
振り返ると、そこには少し浮いた伯爵が居た。
手にワイングラスとワインのボトルを持っている。
「いいんですか?シンベルグ伯。それぞれの物語を聞かなくて?」
司書が、クララに聞かれたことを、そのままシンベルグに投げかけた。
「いいんです。今の話は、司書殿とクララ殿同様、僕も聞いた話ですから」
こともなげに答える。というか、いつの間に聞いたのだろう。クララの表情を正確に読み取ったシンベルグが答えた。
「闇の中にも夜はあります。そして、夜はたいがいの音が聞こえるんです」
よくは分からないが、なんとなくは分かった。
司書も頷く。
「それではシンベルグ伯。今宵はあなたの話をしてください」
「僕?」
「そう、僕」
「言わなかったっけ?」
シンベルグが無邪気に答えた。
「言いましたよ。七生の賢者を探しているとか。でも、それだけですか?」
司書が問う。
シンベルグは、ボトルを司書に手渡すと、顎に手を当てた。
「ううん。そうですね。深い。深いなあ。確かにそれだけではありませんね。不思議だったのです。なぜ、侵食が起きて、なぜ、争いが起きて、なぜ、それを止めようとする者が居て、なぜ、それは止まるのか。更に付け加えるなら、なぜ、死ぬと分かっていてそれに挑むのか。考えても分からない。トリダークの国で聞いても分からない。僕が分からないんだから、誰も分からない。聞いてみたかったし、こちら側に立つことで、見て見たかった」
「しかし、それは裏切りではないのですか?シンベルグ伯のお仲間にとって」
「それは違う。みんな、僕に会い、オーリンズに会い、エカチェリーナ男爵夫人に会い、長老に会ったでしょう?みんな、不思議そうにはしていたけど、裏切り者とはいってなかったよね。そういうこと。僕らにとって、侵食でこちらへの扉が開くことは特に意味のあることじゃない。ただ扉が開いて、ただ、行きたいものが扉の向こうに足を踏み入れるだけ」
「なるほど。最初のお話の通りですね」
「そう。でも、ずっと疑問だったんだ。僕がこちらに来る度に、お互いに意味も分からず殺し合う。そして、人間達は、意味も分からず襲い掛かり、そして死んでいく。なぜだろう。だいたいみんな死ぬよね。生き残ったセツエイだって、なんでか死んだ」
「人はいつか死ぬんですよ」
「そうなんだろう、とは、その、想像?想像出来るけど、意味は分からない。だからそう、知りたかった。知りたかったし、話して見たかった。人間と。でも、誰も答えてくれなかった。何百年も。だけど、今回は違った。なんでか、みんな話を聞いてくれた。それも不思議だった。だからそう、不思議だったから最後まで付いて行ってみようと思った。最後まで付いて行けば、少しは分かるのかも知れない。生きると死ぬ、が」
ガブリ、と食べるようにワインを飲み干す。
司書はその横で、ワインを傾けるように飲んで、腰の水筒をクララに渡して来た。
水筒の蓋を開けると、湯気が上がった。一口飲む。キーラの話を聞いた時と同じ、甘い味がした。
「それで、分かりそうですか?」
司書が聞く。シンベルグは、顔を縦にも横にも振らなかった。
「ううん。もう少しで分かりそうな気がするんだけど、分かった、とまでは言えない。ただ、少しずつ、何かが積もって行くのは感じる。目に見えないけど、心?この体の真ん中に。長老が言ってた、友達もそう。暗闇の中でも思い出せる思い出が、少しずつ。雪と違って、溶けては消えないけど、みんなの顔とか、物語とか、動きとか、悲しみとか、笑顔とか。それは、目に見えないけど、なんだかとても大切な物の気がする。それが積もって行く度に、生きることの意味が分かって、死ぬことに意味が出来る、そんな気がしてきた」
静寂の舞台。階段に腰かけた二人と、階段脇で浮いたままの一人。
「司書さんは分かってるの?」
唐突にシンベルグが聞いた。そうだ。司書は分かっているのだろうか。クララには、話の意味は理解できるが、シンベルグ同様、分かっているとは言えない。
「わたしですか?いいえ、分かりませんよ。お二人と一緒です。いつも想像していますし、考えてもいますが、分かりはしません。ただ、こうだろう、という道を選んで歩いているだけです。いつか、その時が来たら、分かるだろうと思います。いつかその時が来たら、後悔せずに受け入れることが出来るように、生きているだけです」
いつか、その時が来たら、後悔せずに、受け入れられるのだろうか。
司書が続けた。
「全ての人が、そうであればいいな、と思います。だから、きっと我々は侵食と言う理不尽に立ち向かうのです。理不尽は後悔を、不条理な悲しみを生み出す。それに立ち向かい、少しでも世の中から悲劇を、苦しみを消す。そして、後に続く者達へこの世界を渡す。それが、先に生きている者、気づいてる者の役目ですから」
「そうかあ」シンベルグは頷いた。
「ただ死ぬんじゃないんだなあ。ただ、生きているんでもないんだなあ」
独り言の様だった。
クララは水筒を煽り、司書もグラスを煽った。
シンベルグは手の中で空のグラスをこねくり回している。
キィィ。
後ろで扉が開き、暖かい空気が流れて来た。
振り返ると、アイリとキーラが楽し気な笑顔で扉の向こうに立っていた。
「ちょっと!何してるの?風邪引くわよ?入りなさい」
アイリが言った。
「そうですよ。今度はみんなのお話を聞かせてください。司書さんが結婚してるかどうかで盛り上がってますよ!」
キーラが言って笑った。
「ええ?わたしの話ですか?勘弁してくださいよ」
司書がトホホ、と言わんばかりの表情で立ち上がった。
いいんだ、そういう話も。
クララは勢いよく立ち上がり、扉の中に入った。
パタン。
後には静寂が残った。
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