6日目 現実問題

6―1「対極と相性」

誰にでも長所と短所がある。

そして人間は沢山いる。

大変だな、おい。

だからつまり、相性ってやつだよ。

<ギルバルド・カシマス 剣士>


 翌朝、昨日よりも更に冷たい風で目が覚めた。瞼が熱っぽいので、そのひんやり感は目覚めには心地良かった。頭も妙にすっきり爽やかだ。

 だけど布団から出るのはうんと嫌だった。

 顔に感じる冷気を、全身に浴びるかと思うと、想像するだけでゾクゾクする。もう少しだけ、と思う願い虚しく、布団はトーマの手によって引っぺがされた。

「おい。今日は早めに出るってよ」

 うう。しょうがない。クララは木の燃える匂いを頼りに中腰で囲炉裏を目指す。囲炉裏の周りにはすでに皆が勢ぞろいしていた。

「おはよう」

 アイリが手を振る。

 すでに朝食の用意はされていて、更に皆、すでに食べ始めている。

 そうなるとバツが悪い。

 クララも急いで朝食の席に着いた。

 今日の朝食は、麦芽と木の実のパンを薄切りにして焼いたものに、こけももジャムとベリーのオープンサンド。それに人参と大根のピクルスが添えられている。汁物から立ち上る湯気が、食欲をそそり、椀の中を覗き込むと、すり潰したジャガイモのポタージュ。濃厚で甘い香りに、口中が唾液でいっぱいになる。クララは思わず唇を舌で舐めた。

「さて」

 いつものように食べながらのミーティングが始まる。進行役はアルミスだ。あと何回、こうして皆と朝ご飯を食べることが出来るのだろう。冬になるとどうしてもこういう考えになる。旅は終わらせなきゃ行けないのに、終わりを望まない自分もいる。そうか、だからいつでも一生懸命関わらなきゃイケないんだ。飛躍した思考だが、クララは妙に納得して、一人頷いた。

「ありがとう。クララ」

 アルミスが勘違いしたようだ。

 でも、食べることに一生懸命で、面倒なのでもう一度頷いておいた。

「さっきも少し話したが、今日は昨日までのように歩きづめにはならない、と思う。司書」

「はい。皆さん、シンベルグ卿が持っている地図をご覧ください」

 司書はシンベルグの上手な活用方法を編み出したようで、司書の横、トーマとの間にシンベルグが、地図の両端を、上品なのか、汚いものだと思っているのか、指の先で摘まむように持って広げて立っている。相変わらずちょっと浮いているので、丁度教壇の後ろの黒板のように見やすい。

「皆さんも遠慮なくモグモグしながら聞いて下さい。まず、我々の現在地ですが、カシュワルク城の右横手前、丸をした位置におります。凄く近く感じます。でも実は地図の特性上、お城が大きく書かれています。ほら、ギルバルド湖とほぼ同じでしょ。間違いです。実際は湖の半分の半分の半分ぐらいです。あはは。ということで、実際の距離は18キロ程。時間にしてと5時間と半分ぐらいです。が、おそらくあと1時間も経たない内に雪になるでしょう。城の方は、もう降っているかもしれません。積もってもいるかも。多分積もってます。ということは、足元が悪いので、倍の時間が掛かると思っていいでしょう。しかも、何事もなければ、です。一応、シンベルグ卿が言うには、闇のモノは雪も苦手、らしいです。ねっ」

「あん。そうです。寒いし、濡れると面倒だし、やる気が起きない」

 なんだか、根拠のない説明だが、当の本人がいうのだから正しいのだろう。

 それで、と司書が続けようとしたところで、すでに朝食を終えて、食後の珈琲を注いでいたアイリが注ぎながら顔を上げずに口を挟んだ。

「じゃあ、ここから先は慎重に進めばいいんじゃない?今日半分、明日半分、明後日入城でどう?」

 隣のキーラが頷く。

「そうですよ。他のグループも追いついて来るかもしれませんし。皆でカシュワルク城に、ええと、攻め込んでは?」

 大根のピクルスを齧るのが妙に様になる老魔導士が、珍しく賛同した。

「そうじゃな。もう城まで至近、といってもいい。作戦を練りながら近づいても良かろう」

 トーマとクララは無言。クララはどれも真っ当な意見に聞こえたが、同時に作戦担当の司書が言うからには、なにか理由がある気もした。それで、司書のことをじっと見た。司書は皆の意見を小刻みに頷きながら聞いていたが、クララと目が合うと情けなさそうな目をして下唇を噛んだ。そして言った。

「確かにおっしゃることはいちいちごもっとも、なのですが」

 けひひひひ、と何が可笑しいのかシンベルグが調子外れの笑い声をあげ、合わせて地図が揺れた。

「司書が言うには、ああ、もう時間がないらしい」

 アルミスが司書に助け船をだす。皆の顔に緊張が走る。

「まさか、なにか大きな変化があるの?」とアイリ。

「違います。侵食は始まったら広がるだけです」

「では、なぜです?」とキーラ。

「いや、こちらの都合です」

「まさか、お主体調でも悪いのか?」と老魔導士。

「いや、残念ながら健康そのものです。多分百まで生きる調子です」

 けひひひひ、とシンベルグが笑った。今度はなんとなく分かった。横目でシンベルグを睨みながら司書が言う。

「もうほとんど野営の道具がないのです。一番やばいのは薪です」

 ええっ、と一斉に驚く。まさか、そんな理由とは。ちょっと想像していなかった。ていうか、食糧はどうなるのだろう。クララの心配が伝染したのか、トーマが代わりに聞く。

「えっと、司書さん。それはもうご飯が食べられない、ということですか?」

「いいえ、食糧はまだ相当あります。袋の中は腐らないですし」

「えっ、だってその袋、なんでも入るんでしょ?ほぼ無限、って言ってなかった?」

 アイリが心底驚いたように聞いた。

「もっと沢山入れてきたら良かったじゃないですか。それとも重くなるとか、そういう理由ですか?」

 キーラが明らかに詰問調で言った。ええっ、と司書が傷ついたような声を出した。今度はシンベルグも笑わなかった。もちろん、笑いごとではない。「そうぽんぽん怒鳴られても」と司書が呟くように言った。司書は気が弱いのか、優しいのか。クララだったら一方的にあれこれ言われたら、自分が悪くてもだんだん頭に来るのに「参ったなあ」と頭を掻きながらアイリとキーラを交互に見ている。そんな司書を、男性陣は心からの同情の目で見ている。「一応、説明しますね」と前置きして司書は話し始めた。

「無い物はないんで、そんなに責められるのもどうかと思いますが、一応、説明します。確かに私の神魔器は、ほぼ無限に物が入り、十に一つは物が無くなります。まあ、それぞれ十ずつ入れれば、だいたい大丈夫でしょう。私も分かっています。でも、私の説明不足も悪いとは思ってますが、皆さんも忘れていることがあります」

「なに?」

「なんです?」

 アイリとキーラマイのイライラを、クララもなんとなく分かった。司書はいちいち思わせぶり過ぎる。

「私は一介の司書だ、ということです」

 一瞬、ぽかんとする。そりゃそうだ、とクララは思った。一同は、それぞれの反応を見せた。アルミスは笑いを噛み殺している。老魔導士は膝を打った。アイリとキーラは顔を見合わせ、トーマは小首を傾げた。アイリとキーラが同時に口を開こうとするのを、機先を制して司書が右手を前に突き出した。

「ああ、すいません。ほんとはずばり言いたかったのですが、言い難いことなので、遠回しに察してもらいたかったんです。恩着せがましいのも嫌ですし。ほんと、すいません。言いますよ。言います。あのですね」

 女性陣が身を乗り出す。

「皆さんが召し上がった物も、泊まったテントも、アイリさんが使い切ったオルトロスの涙も、キーラさんが飲み干した三十年物のウィスキーも、薪も、デコイもお札も、魔法の布も、全部、全部ですよ、私の持ってる全財産で買ったんです!」

 あっ、と口が開いた。皆で顔を見合わせて、すまなそうな顔をする。司書はそんな皆の顔を見て「参ったなあ、だから言いたくなかったのに」と頭を掻いた。それでも言い足りなかったのか「そりゃ限界があるでしょうが!」と続けたので、アイリにキッと睨まれた。

「まあまあ」と苦笑いのアルミスが言い、話を先に進める。

「事情は共有化出来た所で、目的地だが、カシュワルク城の右、今は形骸化している見張り台を今日の目的地にしよう。司書に確認したところ、まだ二、三日分は野営用具も持つらしいから。なあ、司書」

「はあ、なんだかすいません」

 司書が頭を下げたので、アイリとキーラも「ごめん」「こちらこそ」と口ごもった。

「では、行くか!」

 老魔導士がまとめるように言うと、全員一斉に頷いた。

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