5日目 友達
5―3「定まらぬモノの定め方」
可愛いって、愛してるとは違うよ。
可哀想って、言ってるのと同じくらい。
別の褒め方してよ。
<娼婦 レイン>
「ひゃっほお」
変に間延びした声だが、長老の声ではない。
シンベルグである。
トーマは特別、長老の首筋にその席を与えられた。
しがみつくでもなく、風を受けて寸先しか見えぬ闇の奥を見つめている。髪が後ろに流れている。
その後ろに、どういう仕組か仁王立ちしたシンベルグが盛大にマントをたなびかせ、雄たけびを挙げている。
甲羅に生えている草を片手で握りしめながら、立膝で顔をしかめているアルミスが、大声を出すなと注意したが、「大丈夫。傍目にはわたくしと長老が遊んでいるようにしか見えませんよ」との返事。
それ以来、注意を止めた。
長老は随分気を使って―それとも全力?―ゆっくりと平泳ぎの要領で前に進んでいく。それでも風当りはそれなりに強く、クララは必死で手近の草にしがみついていた。
一度、ふと気になってシンベルグに、なぜ長老なのか聞いてみたが「長老は長老ですよ」と事もなげに、むしろ不思議そうに返され、どうでもよくなった。先端では、長老が時折「おおん」と「むうん」を繰り返している。トーマと話が弾んでいるようだ。ちょっと羨ましく、すごく微笑ましい気持ち。
巨亀の背中に乗り、岸を離れてから15分ほど。クララが、もし、もしも村に戻れたら、もう一度亀を飼おうかな、と思った時。それまでしゃーしゃーと聞こえていた水を掻く音が止み、ちゃぷちゃぷと漂う音だけになった。トーマが振り返る。
「見えました。彼岸です」
「なんだか不吉な表現ですが、当たらずとも遠からず」
司書が呟くように言ったのが聞こえた。
長老の背中に吹く風が、少しづつ弱くなり、顔に体温が戻るむず痒い感覚がしてくる。特に声を出した訳でもないのに、口と喉が渇いている。トンっ、と何かにぶつかる感じがして、ちょっとだけ前に押された。恐る恐る立ち上がる。
長老の背中は大きいし、甲羅の亀裂の合間は深く、生い茂っている草に掴まっていれば安心感はあったが、やはり大地が恋しかった。
乗ったときと同じように、アルミスが差し出す手を掴み、長老の背中を降りる。
皆、無事に降り立った。長老との出会いからこの方、そんなに時間は経っていないが、何しろ不思議に満ちた素敵な経験だった、と思う。それだけに、しばらく立ち去り難い雰囲気が漂う。
それで、黙って腰に手を当てながら長老を見上げているトーマを、皆黙って見ていた。
トーマの瞳は、常闇の中でもそれとわかる程度に光っていた。一度、目元に手をやり、クララ達を振り返ると、再び長老に視線を戻し話しかけた。
「長老。ありがとうございます」
長老は、ぶほっと鼻息を吐く。
「お約束通り、僕を、僕の命を差し上げます」
「トーマ」
シンベルグが困ったような声でトーマに歩み寄るのを、トーマはやんわり両手を突き出して制止した。
「約束なんです。約束は、守らなきゃいけません。約束が守られない世界は、そのままでは存在出来ないんです」
なんだか、難しいこと言ってる。ただの少年だと思っていたのに。
「長老」
シンベルグは長老に話しかけた。長老は勢いよく首を振り上げると、トーマに向かって振り下ろし、ピタリとその頭上で止まった。クララは思わず両手を自分の頭の上でクロスする。クロスした腕の隙間から見たトーマは、微動だにしていなかった。
「おおん。しんべるぐう」
「はい」
「いつかあいってたあ、ものがたりというやつかああ」
「そうです」
「そううかあ。とりだーくにもどったらあ、きかせてくれい。とおまのお、とおまとお、なかまたちのお、ものがたりをお」
「では」
「めはあ、みえんがあ、はなしはあ、きけるう」
「でも長老。約束」
「やあくうそおくう?」
「何かしてもらったら、何か返さないと、師匠に怒られます」
「もう。もらったよお。とおまあ」
長老が鼻から水しぶきを飛ばす。
トーマは微動だにしない。
「な、なにをです?」
「おまえのお、ものがたりをお」
「だ、だめですよ。それは、僕じゃあありません!」
「そうかあ。それじゃああ。もういっこお」
「はい!」
「ともだちになってくれんかあ」
「はいっ?」
「おまえがあ、おまえをお、くれるというならあ、ともだちになってくれんかあ」
「と、友達?な、なぜです?」
「おもいだしたいのよお。くらい、くらあいあのくにのみずのそこでなあ。とおまあ、というともだちがいたことをお。そうしたらあ、なんだかたのしうなるきがするんじゃあ」
長老とトーマはしばし見つめ合った。
トーマが満面の笑みで頷く。
「分かりました!分かります、その気持ち。僕も師匠を思い出すと、楽しい気持ちになりますもん。僕と長老は友達です。僕も思い出します、長老のこと。そして、いつかまた、会いに来ます」
「んああ。うれしいのお。だれかをまつのははじめてじゃあ。だれかにおもいだしてもらえるのもなあ。とおまあ。たのしみにしてるぞお」
ブシュウ。長老の鼻から、シャワーのように水しぶきが飛んだ。
「じゃあなあ。ニンゲンのお。じゃあな、とおま」
妙にはっきり聞こえる言葉を残して、長老は体の向きを変え始めた。
「長老!」
「さらばじゃあ、ニンゲンのとおまよお」
完全に背中を向け、沈み始める。その巨体が湖面に沈む間際、長老の声で五文字の言葉がくぐもって聞こえ、それきり静かになった。
「行こう」
アルミスが長老のように踵を返し歩き出す。大人たちは続き、クララもその後に続く。少し心配だったが、すぐにシンベルグと何か話しながらトーマの声が聞こえてきた。
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