5日目 予感
5―1「五段目」
嘘つきは泥棒の始まり。
泥棒が盗むのはお金だけじゃありませんよ。
嘘つきが盗むのは時間なんです。
分かりますかね?
<聖プーチ神殿 前神官長 故ベルゲグリューン>
順当と言うかなんというか。
翌朝起きた順は昨日寝た順そのままだったらしい。
クララはこの旅で初めて起こされることになった。
起こしてくれたのはアイリ。
優しく揺さぶられ、自分の涎にまず気づく。
恥ずかしいので頷いて目が覚めた合図に変える。
薄目を開けると、横でキーラマイが半身を起こして宙を見つめているのが視界に入った。
寝起きの色気にどきりとするのは、昨日という過去のせいだろうか。
そのすぐ先でどすっという鈍い音。
すぐに「いてて」と司書の声がした。
トーマの笑い声がする。
テント内の空気とその笑い声が、昨日テント内に充満していた何かが去ったことを教えてくれた。代わりになにかいい匂いがする。お腹がなるのを誤魔化すように、大きなアクションで跳ね起きた。
囲炉裏の周りに集まると、朝食時にしては二日ぶりに火が炊かれていた。
先ほど顔を洗いに表に出た時感じた通り、なるほど肌寒い。やはり、物凄い勢いで季節が移ろっているようだ。
「さて、そろったな」
いつものように、そういつものようにアルミスが話し始める。
「朝食の前に黙祷をしよう」
いつもと違う。だが、その通りだ。キーラの祈りの言葉に合わせて皆、セツエイのために祈る。
「…セツエイ様の心が、プーチ様のもと、永遠の信頼と安らぎの地で、その居場所を定めんことを」
「ありがとう。キーラ殿」
祈りは終わり、再び旅の始まりを告げる。
「さて。いろいろあったが聞き、話した。そして進まなくてはならない。残りの行程も三分の一弱だ。ああ、食べながら聞いてくれ。地図はいらないだろう。目指すカシュワルクまではどのルートでも、今までのペースで二日程度の距離だ。もちろん、何事もなければ、だが」
アルミスが言う。
「そのルート、ですよね、問題は」
司書がフォルト麦のパンをがりがりと齧りながら言った。
「言っても二通りじゃろうが。昨日の話だと」
老魔導士がいつもの、確かめるための疑問を呈する。さらさらと心に言葉が降りてくる。チームワーク。話し合いというのは、きっと正しく進める方法があるのだ。リーダーが意見を集め、皆が意見を出す。そうして、同じテーマをあちこちから眺め、穴を塞ぎ、整える。
「二通りというと、街道筋と、どこです?」
トーマが聞きたいことを聞いてくれた。
「アルヌストの涙」
司書が乾燥野菜を溶かした濃厚なスープを、ずずっと音を立てて飲みながら答える。アルヌスト、なんだか聞き覚えがある。
「蛇の涙?」
司書の右隣のアイリが、床に置かれた地図を拾いながら聞く。
「そんな場所ありましたか?」
キーラがすっと立ち上げると、アルミスの後ろを回り込み、アイリの手元の地図を覗き込む。
「ギ・ル・バ・ル・ド。ギルバルドという湖がカシュワルク城の右手前にあるけど…これのことでしょうか?」
顔を上げたアイリは、アルミスに聞く。
「そうだ。昨日の夜、魔導士殿と司書と相談したのだが。皆にも意見を聞きたい」
「湖を行きましょう」
アルミスの言葉が終わるか終らない内にトーマが雄々しく言った。あまりの唐突さと勢いに、皆一瞬固まる。
「なぜです?」
司書一人、フォレスト牛の干物を口の端で咥え、右手で引きちぎろうとしながら言う。口調はのんびりだが、顔は必死そのもの。
「昨日、いや、夕べ夢に師匠が出てきて、だから」
「夢、師匠?全然分からんな」
老魔導士が呆れたように言う。
「夢、師匠?なんです?それ」
今までどこにいたのか、クララは気配を感じて振り返ると、シンベルグが怪訝そうな顔で浮かんでいた。
「シンベルグ殿には後で説明するとして」
長くなりますから、と付け加えて司書が口をはさむと、右手をトーマに差し出す。先を、ということらしい。トーマは頷くと話を続けた。
「別に師匠がなにか教えてくれた訳ではないんです。ただ、夢に出てきて、手を差し出して、僕は握ろうとしたんですが、どうしても握れなくて。そのうちそんなことはどうでもよくなったのか、師匠は笑いながら右手を指さしました。最初、ただ光っているだけの場所だったんですが、あれがどうかしたんですか?と聞くと指で何か描き始めました。そうすると、視界が急にはっきりして、明るい青い空の下に、水たまりが出来たんです。僕は変だな、って思って。だって師匠は絵が下手だったんです。だから、師匠に絵、描けるんですね、って言おうとしたら目が覚めました」
人の夢の話を聴くというのは、本当に感想に困る経験だ。そうか、としか言いようがなかった。しかも、なんとなく言わんとしていることは分かったが、だから湖に行くというのも、なんだかな、という気がした。
「トーマ。気持ちは分かるが、それだけでは」
アルミスが諭すように言う。
「それだけじゃないんです」
「それだけじゃないの?」
アイリとキーラマイがびっくりする。
「師匠の名前は、ギルバルド・カシマスというんです」
ああ、と全員妙に納得する。クララも初めて聞く名前だが、トーマが言い出した意味がようやく分かった。トーマの顔を見ると、トーマが真剣な顔で、力強く頷く。なんとなく、味方してあげたい気持ちになって、正面のアルミスを見る。アルミスは困ったような片眉で、司書と老魔導士を順に見る。老魔導士も困ったような口元で司書を見る。司書は二人の視線を受けると、両眉を上げて答える。
「いいでしょう。実は湖を目指すのは昨日わたしが二人と話していたことなのです。まあ、こんな話の流れになるとは思いませんでしたが。わたしがアルミス殿と魔導士殿に提案したのは、先だってのマキス川決死行の経験と、その後のお二方の経験から、水がある場所は闇のモノが極端に少ないことがほぼ確実だと思われたからでして。まあ、この際、根拠がひとつ増えて心強いってことで良いのではないでしょうか」
そう言われるとなんだかそんな気がする。元よりクララは否応ない。アイリは仕方ないわねといった感じで肩を竦め、キーラは微笑みながら首を傾ける。
「では、ギルバルドの湖を目指して出発しよう」
アルミスが言うと、トーマは威勢よく立ちあがった。
テントの外は、秋、としか言いようがない空気感が漂っていた。空を見上げて、先ほどのトーマの話を思い出す。夢で見た青空。光。出発前も曇っていたから、もう太陽を見なくなって1週間ほどになるだろうか。木枯らしが吹きつける。空気は秋らしく澄んでいて、空も心なしか高く見えるが、暗闇の圧迫感と不安感は如何ともしがたい。なおかつ寒いとあっては気が滅入る。
クララは司書から支給された髪の毛と同じ色の緑のマントで顔を覆いながら黙々と歩くことにした。
それにしても、アルミスと老魔導士と再び会えて本当に良かった。先頭を歩くアルミス、中ほどを歩く老魔導士の背中を見て心から思う。あの二人の背中が見えなかったら、どれほど心細く、寂しいことか。いつかどこかで読んだ詩人の言葉を思い出す。生きるのは辛いけど、死ぬのは寂しいから僕は生きる。なんとなく、分かる気がする。説明は出来ないけど。風に当たる顔が冷えるのを意識しながら歩いていると、老魔導士とトーマの会話が風に乗って流れてきた。
「トーマよ。ギルバルド湖がお主の師匠の名前だというのは分かったが、アルヌストの涙と呼ばれるのは何故か分かるか?」
「はい。魔導士様。多分ですが」
「ほほう。いいぞ。頭を使うのじゃな。言ってみよ」
「蛇が泣いたから、ではないでしょうか」
「おっ。お主なかなかやるな。男子三日会わざれば、括目して見るべし。なるほどなるほど。成長しておる」
なんだそれ。わたしもすぐに分かったのに、とクララは思った。
「ところで、お主の師匠とは、なんの師匠か。剣か?」
「いえ、いや、はい。剣でもあるのですが。何と言いますか、全部の師匠です」
「全部の。剣だけではなく、人生のか」
「そうです。今ある僕のすべては、師匠のおかげです」
「そうか。どんな人物なのじゃ?」
「そうですね…」
「おいっ」
トーマと老魔導士の会話に、先頭を行くアルミスの声が被さった。必然的にアルミスに視線を移すと、立ち止まって前方を指している。うす暗闇の中に仄かに光り波打つ水面と、微かに聞こえる波音。
湖が近いようだ。
アルミスとアイリのところまで歩み寄る。
そこからは集団で湖に近づいた。暗闇の中で見る湖の不安感は、マキス側の比ではなかった。奥行きが違う。川は対岸が見えていただけに、それこそ見切れていたが、怖くて二十歩ほど距離を保って見るその圧倒的ボリュームは、恐怖をはるかに超越した畏怖だった。
クララはどちらかというと高い所が苦手で、何かの機会に鐘楼などにあがると、常に体が揺れている様な不安定さと、足が竦み、腰が変な圧迫感に襲われて動けなくなるが、今が丁度そんな感じだった。
腰の圧迫感に逆らわず、座り込んで大地の力強さを感じたかった。
そうもいかない。
剣を杖にして踏ん張ってみたが、どうにも脚が震えるので、手近にいた司書にすがってみた。
急に倒れこむように縋ったせいか、司書はびっくりしたように逃げかけた。
縋ってみると、司書も震えている。
二人は顔を見合わせて、ニコリともせず頷き合った。クララは右手で司書を掴み、左手の届く範囲にいたキーラを掴んだ。キーラは怪訝そうな顔でクララの掴んだローブの辺りに視線を送ったが、特に何も言わなかった。
全く震えていない。クララはようやく落ち着いた。
「それで」
アルミスは司書の様子に気づかないで尋ねる。気づかないふり、というよりは本当に気づいていないようである。
「それで、とは?」
司書が心細さ満開の声で返す。
一瞬波の音と、秋の風が湖面をなぞる寒々しい音だけになった。
「これから、どうする?どうすればいい?」
「えっ?」
木枯らしが吹き抜けた。何でもいいから早く何か起きて欲しい。
「いや、えっと、船、そう、小舟がありませんか?」
アルミスとアイリがすすっと湖面に近づきーそれだけでドキドキするー手を翳して湖面を見渡す。
「暗くて良く分からんが…見渡す範囲にはないな」
「少なくとも岸にはないわ」
「えっと」
クララは掴まっている右手から、司書の動揺を感じ取った。そんな。この人本当に困っている。
「そもそも、船とは何の船じゃ?」
老魔導士が少し呆れたように言いながら近づいてくる。
「いや、だって湖にはあるでしょう?普通」
「なんて薄弱な根拠!」
皆の意見を代弁してキーラが言い切るように言った。普段口数が少ない人が、毒を吐かないとも限らない。ある意味キーラを見直す。
「いや、あったはずなんですよ。調べたんです。イブラハム湖のこと!王城とこちら側を行き来するための渡し船が2艘と、釣りとか遊覧するための船が二十艘ほどって、観光案内に書いてありました」
なんなら、パンフレット、と呟きながら巾着を開き始める。観光案内まで読むんだ、この人。浸食に臨む前に司書がビスケットを齧りながらパンフレットを読んでいる姿が浮かんできて思わず笑みがこぼれる。しかもビスケット。絶対ビスケットだ。それ以外のモソモソしたものではない。
クララの勝手な妄想を、右手を目の前に庇のようにした格好のシンベルグが打ち破る。
「ないなぁ、船」
おそらくクララ達より視えているはずのシンベルグが言うのだからそうなのだろう。
「ないか」
「ないんですか?」
「なんじゃ、ないのか」
「ないんですね」
「ないとなると、どうなるのでしょう」
各々同じことを、追い打ちをかけるように呟いた。どうしようもない問題にぶつかったときに、言っても仕様がないと知りつつ状況確認する、おなじみの口調。言外に若干非難が含まれている。司書はちょっと項垂れている。打ちひしがれているのか、考えているのか。おそらくその両方。クララが右手で少し揺すると「ありがとう」と言った。別に慰めたわけじゃない。皆と同じように言葉にするときついから、態度で示しただけ。勘違いの甲斐あってか、閃いたように不意に顔を上げた。
「分かりました。この間の大雨ですよ!」
どうやら、ずっと言い訳を考えていたらしい。クララは気づいたら水辺の恐怖を忘れてしまったようだ。足腰が常態に戻っていた。
皆呆れたようにそれぞれ鼻から口から溜息を吐くと―シンベルグは大仰に両手を挙げて肩を竦めている―笑い出した。
「なんです!何が可笑しいんですか?船が無いのは雨のせいですよ!」
「分かった分かった。別に責めてないよ。司書のせいじゃない。これまで随分助けてもらったしな」
アルミスが頭を掻きながら言った。今度は口々に皆慰めの言葉をかける。
「さて、それで、どうするか、じゃな」
老魔導士の声には楽しげな響きが混じっている。
「袋の中には入っていないんですか?」
キーラが聞く。
「それが…まさか船を使うとは…現地調達で何とかなる物は別にいいかと…」
司書が、モゴモゴと口籠った。
「そうだ、トーマ!」
司書が慰められて余計辛いのか、俯いていた顔を上げて叫ぶ。
「はい」
「君、何かあるでしょう!」
意味が分からないでもないが、無茶ブリな気もする。アイリがトーマをフォローする。
「いいのよ、司書はちょっとプライドが傷ついただけ。皆で考えましょう。何かあるわよ。魔法の道具とか。だから…」
「あります」
「そう、あるの、って。えっ?」
「予感がするんです」
予感という曖昧な概念をきっぱりはっきり言い切るトーマに、何かを感じて皆、黙り込んだ。
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