3日目 崖の上から

3―4「道」

あの生物の絶滅は、種による意志の継承が       

正しく行われなかったからではないか。

<ブリリアントパーク国アカデミー>  

              

 シンベルグはゆっくりと一行に合流すると、開口一番「少し時間が伸びたね」と言って、尖った歯を剥き出して笑った。

 そのまま、ふわふわと漂うようにマキス川手前最後の丘に向かう。

 みな、シンベルグの言葉の意味は分かったが、内容は理解出来なかったので、司書を見たが、司書は曖昧に「さあ」と言って首をかしげた。とりあえず、シンベルグを追う。

 先を行くシンベルグは、少しも急いでいるようには見えないのに、距離はいっこうに縮まらなかった。

 ようやく追いついたのは、次の丘の上に到達してからだった。

 丘の上にある、大きな岩場の影から、シンベルグはちょこんと顔を出し、下界を見下ろしている。

 先に着いた順に―アルミス、セツエイ、アイリ―岩場の影から同様に丘の下を見下ろしている。クララも同じように岩場の影から覗くように、見下ろした。一瞬クラッ、とする。今までのなだらかな斜面と違い、最後の丘から下に麓にかけては、まるで、というか、ほぼ崖だった。クララは初めてマキス川を見た。まだまだ旅の途中なのだが、妙に感慨深い。

 クララの想像では、二、三十歩歩けば渡れるような川だったのだが、実際のマキス川は、川幅が200メートルはある、大きな河だった。お城の堀どころではない。

 視界の丁度真ん中あたりに、長く太い橋が架かっている。

 あれが、夏風の橋。

 川のこちら側には、岸沿いに百人近い人影が、対岸に向かい、横一列で並んでいる。丁度橋の辺りで列は厚みを増し、三重の列を成している。橋の幅は、人間二十人分ぐらいか。崖下、列の後方には、複数のテント。大小五十はありそうだ。

 その周囲を、大勢の人影が走ったり歩いたりしているのが、ところどころに置かれた松明の明かりに照らされている。

 なるほど、丘越しに見えた、空を照らす明かりは、これだったのかと納得する。

 クララは、対岸に視線を移す。

 対岸は、薄ぼんやりとした闇の中。

 少し、霧が出ているようにも見える。

 何かが動いているように見えて、目を凝らすと、曖昧な闇の中に、光っては消える小さな光が見えた、ような気がした。

 アルミス、セツエイが岩を背にしてもたれかかる。シンベルグは岩を背に腕組みし、後続を待った。

 すぐに、トーマ、キーラが追いつき、崖の下の景色をこっそりと見る。

 続いて、老魔導士と司書がほぼ同時に辿り着いた。司書も老魔導士も、息が荒いまま、下界をそれぞれの仕様で眺める。

「なにか見えるか?」

 アルミスが聞く。

「こちら側は、同様に。向こう側は見えません。魔導士殿、キーラ殿は?」

 司書が答え、質問を回す。二人は同時に首を振り、老魔導士が目の前の印を解いて答えた。

「見えんな。あれは、普通の霧ではないようじゃ」

 司書は黙ってシンベルグを見て、目で聞く。

「まだ三百体ぐらいかな。でもきっと、まだ何も起きない。多分、勝てないから。今は互角かな。あいつが合流していたら、そろそろ始まっていただろうけど」

「いま仕掛けたら?」

 アルミスが下界を見つめながら聞く。その顔は、下からの明かりに照らされて、明るく見える。

「混戦が始まるね」

 シンベルグが答えた。

 アルミスは口元に手をやり、顎をさすりながら、何か考えているようだ。崖の下では、鎧を着た騎士や、ローブをはおった道士、道服姿のモンクらが絶えず動き回っているのだが、ディスペックの城でもそうだったように、不思議と物音はそれほどしない。

 奇妙な静寂。

 クララは―不謹慎かもしれないが―村で見た葬式の風景を思い出した。

「とりあえず、明朝まで休みましょう」

 司書が眉を掻きながら言った。

 アルミスが反対するのでは、となぜか思ったが、アルミスは「そうだな」とだけ言った。

 丘の上、大きな石と木の影―川側の崖から見ても、見えない―に昨日も使った魔法のテントを張る。このテントは、周りの景色に同化するそうだ。中に入ると、妙に落ち着く。人間は、最早自然の中では生きられない生き物なのだろうか。

 夕飯は、ナス、ズッキーニ、トマトをチキンスープで煮込んだ煮物と、川魚を囲炉裏で焼いた物、それに、プチフォカッチャが付いた。

 食べる前は、暑さのせいで食欲がないと感じていたが、目の前に用意されると、あっという間に平らげてしまった。トーマなど、煮物を四杯も食べて、皆を驚かせていた。あんた、食べすぎじゃないの、とクララが言うと、「だって、もったいないから」と口をもぐもぐさせながら答えた。まあ、クララも二杯は食べたし、フォカッチャは四つ食べたが。

 普段、皆の食事中には、あまり関心無さげに過ごしているシンベルグに、「なんでそんなにそればっかり」と驚かれて、急に恥ずかしくなって、フォカッチャに齧りついたまま俯いてしまった。

 クララは、元々、もそもそした、喉に詰まりそうな食べ物が好きなのだ。パンとか、シフォンとか。キーラが、上品にフォカッチャをちぎりながら、「いいのよ。沢山食べなさい」と優しく言ってくれた。しまった。今日はキーラの食べ方を見て覚えるつもりだったのに、忘れていた。

 食事が終わると、いつものように車座になって、明日のことを話し合う時間が来た。

 毎日恒例なので、今日の昼、何か名前を付けたらどうか、と言ったら、アルミスは「戦略会議」と言った。堅苦しすぎる気がしたし、なんというか、分かりにくいように感じたので、いろいろ考えて「もう少しかわいい名前がいい」そう伝えると、しばらく黙って歩いたあと、「基本行動計画戦略会議」と答えた。いつも仏頂面で、この世の責任を一身に背負っているような顔をしているが、本当はとても優しくて、とても頼りになることを、クララは知っていたが、冗談は上手くない、ということも、だんだん分かってきた。

 そして、これも恒例、アイリが皆に珈琲を配る。今日は暑いので、アイスコーヒー。

 アイリの食事の仕方も上品だが、キーラほどではない。クララの見るところ、キーラを見習って、なるべく上品に食べようとしているような上品さを醸し出している。だが、珈琲を入れる姿はとても美しい。そして、とても楽しそうに淹れる。一昨日、それぐらいなら出来るかも、と思って、珈琲を淹れるのを代ろうか、とアイリに言ったら、眉間にしわを寄せて「いやっ」と言われた。おかげで、というか、クララは朝に司書とトーマとシンベルグを起こす係ぐらいしか、仕事の割り当てがない。まあ、なにもないトーマよりはましだな、そう思ってトーマを見ると、なにを勘違いしたのか、ニィと笑顔を見せられた。

「それで、どうする?」

 唐突なアルミスの問いでその夜のミーティングは始まった。

「まずは、下にいる人間たちに合流するかしないか、じゃな」

 とは、老魔導士。

「それは」止めた方がいい、とセツエイと司書が質問を予期していたかのように、同時に答えた。

「なぜですか?」

 アイリが聞く。司書とセツエイは、再び同時に話そうとして顔を見合わせたが、司書が手の平をセツエイに向けたので、セツエイが話しだす。

「それがしの意見は、特に根拠というものはないのだが…前の逢魔の刻の時の経験上、そう考える。あのときは、特に疑問もなくやつらとの戦争に参加したが、最終目標が違う以上、いたずらに闘うべきではないと思うのだ。特に大規模な乱戦は。後詰もない、勝ったところで効果も分からん。危険なだけだ」

 セツエイは言う。アルミスは珍しく何も言わずに、腕組みをし、目を閉じて頷いている。

 セツエイが司書を見る。

「わたくしも同じ意見ですな。私たちの最終目的は侵食を終わらせること。この一戦に勝てばよいのなら、参加するべきでしょうが、そうでなければ参加するべきではない」

 司書が言う。アルミスはまた頷く。

「まあその点では異論はないの」

 老魔導士が言うと、キーラ、アイリも頷く。シンベルグが立ったまま、少しふわりと移動した。シンベルグには、座ったり、横になったりすることがないのだろうか。夜も立ったまま寝ているし。今度司書に聞いてみよう。

「まあそうだろうな」

 今まで黙っていたアルミスが、口を開いた。目も見開いている。

「そこまではそうなのだが、先を急ぐとして、どうあの中を通るかが問題だ。さっきからずっと考えていたが、名案が浮かんでこない」

 そう言って腕組みを解くと、胡坐をかいた膝に肘をつき、顎に手をやった。クララは行儀よく正座していたが、足が痺れてきていた。確かに。これから戦争が起きようとしている危険区域をどうやって抜けるのか。学校でも習ったことはない。男性陣は胡坐をかき、アルミスと同じような恰好で考え込んでいる様子。時折トーマだけ、不自然に胡坐を組み直している。キーラは、凛と背筋を伸ばして正座したまま、目を閉じている。アイリは横に足を流して、右隣のセツエイにもたれかかってように見える。

 昨日まで、アルミス寄りだった気がするが考え過ぎだろうか。

 アルミスが言う。

「援軍が来るわけでもない。参戦するにはリスクが大きい。無傷で抜けたい。敵の数も把握出来ない。終わるのを待っていられない。迂回路も考えられない。中央突破も危険過ぎる。単純に敵を叩けば良い訳ではないだけに、さて、どうしたものか…」

 誰かに話す、というよりは、自分の中で考えを整理する、そんな口調だった。誰も何も言わない。アルミスが大きく息を吐くと、顔を上げて薄眼を開け、司書を見て言った。

「司書、何かあるのだろう?」

 司書は、にやりと笑うと、「ええまあ」と言って話し始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る