3日目 蛇の背

3―1「三段目」                  

なによりも人は、

時を愛するべきなのだ。

<ミハエルフロエンス>

 

 砦を去る時の景色が頭から離れない。

 紫の花びらは、春の風に舞い、ゆっくりと絶え間なく、ベタな表現だが、雪のように降り注いでいた。美しく、儚い。終わりのような、始まりのような。

「どうした、クララ。へばったか?」

 はっ、と我に帰る。砦を出てから何度目かの丘を越える途中。装備の重さと、連続する起伏、そして、それだけではなく、暑さのせいで、皆無口だった。

 隊列も、砦を出た時とは大きく変わって、今横で話しかけているのは、オーヴォ・アクイナス。かの有名なトルファ王朝の老魔導士であった。「へたばったのか?」と老魔導士は言ったが、クララには、老魔導士こそ体力の限界が近いのではないか、と思えた。肩で息をしているし、フードを後ろに流し、むきだしになった額には、それこそ滝のような汗。薄暗闇の中では判然としないが、こころなしか、顔色も良くない。

 それで、クララは立ち止まった。すいません、と先を行く面々に声をかける。

 先頭を行く、アルミスとトーマが振り返り、乱れた隊列は止まった。一、二、と数えて二人足りない。振り返ると、20メートルほど後ろを、シンベルグがのんびりと、司書がしんどそうに付いて来ている。

 先を行くアルミスは、状況を理解したようで、右手を大きく振って、そのままクララから見て左手にある、岩場を指差した。

 各自、そこに向かう。アルミス、トーマ、アイリ、セツエイはさすがに鍛え方が違うのか、汗はかいているが、呼吸はさほど乱れていない。キーラは、一見涼しげな顔だが、白磁の頬は紅潮し、桃色になっている。ひっきりなしに汗を拭い、平静さを装うように、口元をきゅっ。と引き締め、鼻で息をしている風情が可愛らしい。クララは多少汗ばんでいたが、呼吸はそこまで苦しくなかった。

 老魔導士は、ついにはクララの肩に片手を置いて、ようやく岩場に辿り着いた。 

 それでも、平静さを装うべく、「クララが…な」と、さもクララのせいで休んだかのように一言漏らしたが、後が続かず、どうっ、と腰から座り込んだ。皆、そっぽを向いているが、必死で笑いを噛み殺している。クララはこの何倍もの年嵩の老人が可愛らしく感じて、ついつい笑顔になった。

 そして最後尾。

 見ると、司書は老魔導士以上に呼吸が荒い。何やら口をぱくぱくさせているが、言葉にならず、ただ、ゼーハーという音が漏れるだけ。シンベルグは相変わらずひょうひょうとして、その無機質につるんとした表皮に、汗ひとつ見えない。

「しかし、暑いな」

 アルミスが言った。皆頷く。「そうですか?わたくしはこの季節が一番好きですよ」とシンベルグ。「私も春は好きですが、暑すぎませんか?」とキーラ。

「春?」

 シンベルグが不思議そうな声を出した。司書が座り込んだまま、手を振って何やら言いたげだが、声にならない。セツエイが、「それがしが思うに」と変わりに言った。

「経験から言うと、闇の空気の中では人間界のそれとは時間の進み方が違う。正確に計ったことはないが、一日二日で二か月程度季節が進むようだ。だから、今は、たぶん初夏なのだろう」

 それで納得した。出発の時には、まだ雪が残っていたのに、昨日は花が散っていた。そして、今日は異常に暑い。おそらく、闇の空気が夏に変わった領域に入ったのだろう。冬の装備では、暑いはずだ。

「マキス川までは、あとどのくらいですか?」

 妙に晴れ晴れと、トーマが聞いた。クララは空を見上げる。相変わらず、空は薄暗いまま。そのせいか、余計に蒸し暑い気がする。トーマの晴れ晴れさが分からない。みな、地図係―司書―の方を見るが、依然弱弱しく手を振るだけ。

「あと坂を7つほどじゃ」

 態勢を立て直したのか、老魔導士が答える。クララの視界の隅で、司書が頷いた。

「マキス川が別名何と言うか、知っているか?トーマ?」

 老魔導士がトーマに聞いた。トーマは元気よく、「知りません」と答えた。クララも知らない。

「アルヌストブラッド」

 意外なことに、セツエイが答えた。老魔導士が面白そうに目を見開いた。

「よく知ってるの。お主。おそらくは司書ぐらいしか知らないと思ったて。司書がばてている今がチャンスだと思ったのじゃが」

 それを聞いて、気まずく思ったのか、アルミスが胸のあたりに手を挙げて、「自分も」と短く言った。

「ほっ、よく知っているの。では、その由来も知っているかな?」

 「詳しくは…」「そこまでは」と二人の騎士は答えた。遠慮しているんじゃ、とクララは思ったが、空気を読むのも大切だ、とも思った。ふむふむ、と満足げに頷くと、老魔導士は石の上に座りなおした。老魔導士を中心に車座になって話を聞くのは、野外授業を思わせた。

「その昔のことじゃ」老魔導士が語り始める。

 どこか遠くで、鳥が鳴いた。

「混沌の泉より泡と共に浮かび上がった島々が、形を成して間もない頃の昔。天空の神々によりストラウデス大陸と名づけられたこの大陸は、若干のおうとつはあるものの、ほとんど平らな土地じゃった。神々は丁度、わしらが模型遊びをするように、大地を眺めては、あそこに山を作ろう、河を作ろうといろいろと話しては、空想を膨らませていたそうじゃ。その内、生き物の神ダギリと、宝石の神オウルがささいなことで言い争いになってな。オウルがダギリに掴みかかった際に、オウルの首飾りが千切れて飛んだそうじゃ。首飾りについていた宝石は、地上に落ち、あるものは金の山に、あるものは水晶の山にと変化した。それが今もある、スルル山やケシゲ山と言われておる。まあ、それはともかく、ここで問題になったのが、首飾りの紐の部分じゃ。これは、大地に堕ちて、大きな蛇になった。これが、アルヌストの蛇と呼ばれる、ストラウデス神話の中でもとりわけ有名な蛇が生まれた由来じゃ。蛇は意思を持たず、無邪気に大地を転げまわった。ちなみに、首飾りの中で、紐だけが蛇になり、他の宝石類は山になったのは、オウル神が掴みかかり、ダギリ神がそれを払った際、紐だけに触れたからとされている。ダギリ神は生き物の神ゆえに、紐だけが生命を得たと。さて、広大な大陸を素早く動き回る蛇を、二柱の神は捕まえられず、大陸はみるみる荒れていったそうじゃ。困ったダギリ神とオウル神は、神々の長、ウエール大神に相談した。このあたりは、今も昔もじゃな。若者は何かことがあると、すぐに年長者を頼る。自分で責任を取ることを知らん」

 老魔導士はやれやれ、といった風に首を振る。クララは、反論せずに聞いている皆を、大人だなぁと思った。

「それでじゃ、ウエール大神は優れた神でな。大陸の様子を見ると、ダギリ神とオウル神に策を授けた。ここは、重要じゃ。いいか、策を授けたのじゃ。つまり、解決の方法を示唆しつつも、自分でやらずに当人達、とりわけ若者たちに解決させる、という手法を取ったのじゃ。これは大切なことじゃ。人を育てる上ではな」

 クララは、ヒトではなく、神の話では、と思ったが、言わない方がいいだろうと思った。

「まあ、この後の展開を聞くと、大人の汚さも垣間見えるがの。まあ、ともかく、ウエール大神が授けた策と言うのはこうじゃ。大陸の北の外れに、ダギリが大きな岩を落としなさい。そうすれば、その岩はダギリの力でなにかしらの食べ物に変わるはず。蛇は散々暴れまわって、お腹が空いているはずだから、匂いに魅かれて食べ物を食べにくるでしょう。蛇が食べ物を食べている間に、その体の長さ、幅に合わせて針を沢山落しなさい。そうしたら、針は大地に着いて、木へと変わり、大地に力強く根付き、蛇の動きを止めるでしょう。そうして動きを止めたなら、今度はオウルが弓で蛇の体の真ん中を射なさい。その後、頭と尻尾を射るのです。それで、蛇は動けなくなるでしょう。そう言った。ダギリとオウルは得心してすぐに行動に移った。このあたりは、若者にしては珍しく素直じゃな。さすが、神じゃ」

 ところどころ、いらない注釈も付くが、クララは老魔導士の話に魅せられた。

「ダギリは上手く蛇を誘導し、森で囲うことに成功した。それを見て、オウルが弓を射た。狙いは若干逸れて、蛇の下腹部に当たり、大量の血が流れた。それでも蛇は生きていたから、急いで頭と尻尾を射た。それで蛇は動かなくなり、神々は大陸の造作に再び取りかかることが出来るようになった」

 老魔導士が、軽く咳きこむと、トーマが腰の水筒を渡した。老魔導士は一口水を含むと、話を続けた。

「その時流れた血が、マキス川となった。アルヌストの血で出来た川だから、アルヌストブラッド、じゃな。そしてほれ」老魔導士は両手を広げ、両脇に広がる森を指した。

「森がダギリ神の落とした針。この辺り、ニューフィールドの門からカシュワルク城までの土地が、アルヌストの体の形ということになっておる。マキス川が、その真ん中ではなく、ニューフィールド寄りになるのは、オウル神の弓が、少し狙いから逸れたから、じゃ」

 はあ、とクララは感心した。昔の人の神話を作る巧さと、老魔導士の知識に。伊達に歳を取っているわけではないのですね、と心の中で言った。皆、なるほど、といった感じで頷いている。

「ちなみに、この神話には教訓があってな。ひとつは、先ほど言った、人の育て方じゃ。もうひとつは、後日談から来るのじゃが、知りたいかな?」

 意地悪くトーマに聞く。トーマは「是非」と答えた。

「うむ。それはこうじゃ。首尾よく蛇を動けなくしたものの、蛇は死んではおらなんだ。これは、ダギリ神が生き物を作り出す能力だけで、殺す能力を持たなかったためとも、不意に作り出してしまった生き物のため、寿命を授けられなかった、とも言われておる。まあ、神話には、他に死神も登場するし、神話上でも、権力を分散したのかも知れん。正しいことじゃな。ともかく、そんな訳で、蛇は生きたまま、貼り付けにされたわけじゃ。当然、恨みを持つ。その恨みの矛先が、ダギリ神とオウル神じゃった。策を授けたウエール大神ではなくてな。ここが、教訓その二、大人は汚い、とされる部分じゃ。ウエール大神は、当然蛇が恨みを持つことを予測して、直接手を下さずに、ダギリ神とオウル神に実行させた、ということじゃな。リスク回避じゃ。わしもよくやったから、ウエール大神の気持ちが分かる。そして、蛇の恨みはどのような形で出たかというと、分かるかクララ?」

 急に聞かれて驚いてしまった。何しろ、大人は汚いの部分が、印象に強く残って、後半をちゃんと聞いていなかったのだ。分からない、と答える。「そうだろうそうだろう」老魔導士は満足気に言う。

「その恨みというのは、寿命じゃ。蛇はダギリ神とオウル神を恨み、その作り出すものを壊すことに執念を燃やしたのじゃ。すなわち、生き物も建造物も死んだり壊れたりするのは、蛇が食べたり、壊したりするからじゃな。また、そこから派生して、蛇の体温が低いから、この地方は冬が長いとか、蛇が動けぬままに身もだえするから、地震が多いとかいう話も伝わっておる。そこで、教訓その三じゃ。例え故意ではない過ちだとて、過ちには必ずなにかしらの結果が伴うのじゃ。負の、な。そして、過ちは、基本的に消えることはない」

 「のじゃ」と結ぶ。

「それでは、私達は、その蛇の背を進んでいるのですね。尻尾から頭に向かって」

 キーラが言う。

「そうじゃ。頭の辺りが丁度カシュワルク城じゃからな」

「魔導士様。あといくつ丘を越えれば、マキス川でしたっけ?」

 トーマが聞いた。

「蛇の下半身のうねりは13。ですから、あと7つですね」

 いつの間に復活したのか、司書が元気に答えた。

「さあ、行きましょうか!」

 先に立って歩き出す司書を皆、しばらく見守ったまま、動けなかった。


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