2日目 夜 踊り場にて 散る夜桜
2―4「踊り場」
気付くものと、
気付かぬものと、
どちらがより幸せか。
<村立図書館の碑より>
クララはここ二年寝つきが悪い。
暗闇を見つめるのが好きだからか、寝つきが悪いから自然とそうなったのか。
実家に居たときも、窓から差し込む月光の橋を見つめて、何が悲しいのか涙してた。
今もそう。
涙こそ出ていないが、暗闇の中で、霧の夜に差し込む光のような、どこか均一で不自然で曖昧な光の橋がテントのムーンリーフから差し込んでいるのを見つめて、じっとしていた。
寝息やら、イビキやらが聞こえる。
夜の静寂は、とても悲しく感じる。
だけど、どうしようもなく好きでもある。
急にガタッ、と音がして、それからスルスルという衣ずれの音がした。魔法のテントの入口が開き、人が外に出て行った。
ほんの一瞬の後、また一人出て行く。
クララは音を立てないように、ゆっくりと、そして素早く身を起こすと、入口にそっと向かう。
実家でもよくこうして夜中起きだしては、夜の空気を吸いに出ていたので、手慣れたものだった。
木の下に司書が立っている。
あのローブは他にいない。
向かっているのはアイリだ。
あのフォルムと髪は見間違えようがない。
クララは後ろをそうっ、と伺うと、テントを出て、木の下に―右に迂回ぎみに―向かった。クララが木の幹に取り付くと、丁度二人は幹を挟んで反対側で立ち話をしていた。
「寝付けなくて」
アイリの声がする。
「私は日記を」
司書が答え、パタンと本を閉じたような音がした。
「アイリ殿はどうしてここに?」
司書が聞いた。
「夜は人を素直にするのですかね。そう、あたしは…アルミス様と共に、侵食に挑もうと思って」
「そうですか…ひとつ質問しても?」
「はい」
「不躾な質問かもしれませんが」と前置きする。
「トルファの魔導士様もおっしゃっていましたが、黒い死神とも呼ばれるあなたが、なぜ北の巨人と呼ばれるアルミス殿と侵食に挑んだのか、私には理解出来ないのです」
「それは」とアイリは口ごもる。
「自分自身も少し分からないのです。ただ…」
「ただ?」
「あたしはアルミス様のおかげで、生き抜いてこれました。いろいろ教わったことも多いです。その恩返しを少しでも出来れば、と思って」
しばし沈黙。「なんというか」アイリが続ける。
「司書さんはご存じでしょう?いろんなことを知っているから。ハルクの国は、私たちの国は、もう駄目かも知れません。あたしはこの五年ですが、アルミス様は十二年、ハルクの北国境を守り、そして領土を拡大して来ました。そして、その功績により、あの若さで三将と呼ばれる役職に任命されました」
「三将。バルクにおいて実質軍人の最高位にいる三人に与えられる役職ですね。残り二つの内、一人は南方騎士団長の、エンデルス将軍。そしてひとつは空席ですが、王宮騎士団のコルノ将軍が実質その責を負っている。二人共アルミス殿より一回りは年嵩ですね」
アイリがくすくすと笑う。
「ほんとに何でも知っていますね。まあ、あたし達、アルミス様の騎士団配属の騎士達は、当然だと思っていました。そして、アルミス様に着いて行くことで、国を平和で豊かに出来、みんな幸せに楽しく暮らせる、そう信じてました」
すごいなアルミス殿、クララは思った。なにより、アイリさんに、ここまで信頼されているのがすごい。こんな美人に。司書がアルミスの戦績を話している。クララは幹に背中を預け、首をもたれかけた。
「守勢に粘り強く、逆境に強いようですね。趣味でいろいろ調べるのですが、非常に興味深い。けして派手ではないですが、相当な戦術家であり、戦略家ですね。まあ、アイリ殿にお話ししても、実際一緒に戦って来られた方ですから」
「それに、アルミス殿の戦績について話したら、夜が明けてしまう」と司書。
ふふふっ、とアイリが笑う。
「そうですね。でも、あたしが知らないことも、司書さんは知っていそう。あの方は、あまり自分の事はお話になりませんから。部下のことは、よく知っていますけど」
「アイリ殿を含め、優秀な方も多い」
「そうでした。皆、どうしているのか」
アイリの声が憂いを帯びた。
「私にしては、アルミス殿、アイリ殿とご一緒出来て、光栄ですし、非常に心強いですが、アルミス殿は、なぜ、侵食行を決意されたのでしょう?」
少し改まった司書の声がする。
「そうですね…おそらく、嫌気が差したんでしょう。いや、確かにそうなのです」
アイリが言う。
「ほう?」
「直接のきっかけは、二年前、もう二年前か、コモティニの戦いが終わった後、デシャルプ王がご崩御されたとの知らせと一緒に届いた、降格と配置換えの命令書だと思います。その命令は、すでに長年の戦いと、それでも良くならぬ国に疲れていたアルミス様の何かを壊してしまったのだと思います。もちろん、思慮深い方ですから、命令を聞いても取り乱すようなことも、怒るようなこともありませんでした。ただ、一言、そうか、とおっしゃっただけでした。むしろ、あたし達の方が、混乱していましたし、頭に来ていました。なかにはアルミス様に、独立を宣言するべき、と進言する騎士もいました」
「なぜ、降格されたのですか?そこの理由が、いくら調べても分からなかったのですが」
「デシャルプ王が亡くなって、ご子息のザイールⅡ世王が跡を継ぎました。ザイール王は、人を信じられる方ではなかったのです。特に、損得なしで働く人間がいることを信じられなかったのでしょう。アルミス様に対する讒言は、デシャルプ王の時代からありましたが、王と王国の幹部達はアルミス様を信頼されていました。ザイール王は、そんなアルミス様を恐れていたのでしょう。先ほどの三将の内の一人、エンデルス将軍、この方がアルミス様に関するあることないことを、ザイール王に吹きこみ、王はそれを信じた。そして、私たち、アルミス様配下の騎士達は所属を方々に分散。アルミス様自身は、三つあった傘下の騎士団を二つに減らされ、辺境守備騎士団の団長を命じられました。アルミス様は、命令を受ける、君たちも従うように、とおっしゃいました。納得出来ないあたし達を、命令に従わなければ斬る、とまでおっしゃいました。あの夜のことは、きっと一生忘れません。皆が新しい任地に向かう前の晩です。そこでも騎士達は納得がいかないと騒ぎ出し、王、エンデルス将軍に怒声をあげ、中には泣く者まで現れました。アルミス様は、いつもどおりに見えましたが、努めて、あたしにはそう見えました、明るい声で言いました。
騎士ならば王命に従え。騎士は美しいものを守るために戦う。我々は美しいものをいくつも守ってきた。いつか再び集まる日が来る、と。我々の戦いは常に正々堂々の中にあった、再び正々堂々生きて、再び王国のために集まろう、と。いや、私の力で、再び集めて見せる、と。普段あまり大言をおっしゃらない方です。騎士達は、それを聞いて、それまでの騒ぎが嘘のように静まり返りました。多くの者が信じました。しかし、あたしや何人かの騎士は、信じられなかった。いいえ、アルミス様の力を疑った訳ではありません。あの方は、希代の名将です。王国が危機にさらされたら、王は必ずアルミス様を頼る。エンデルス将軍ごときは、口だけの方ですから。そうしていつか、やはりアルミス様こそが王国の守護者だと、認められる日が必ず来たと思います。ただし、アルミス様自身が望めば、です。アルミス様は、非常に疲れていらした。そして、腹心の騎士達が心配していたのは、アルミス様が、死ぬつもりではないか、ということでした。あの頃、アルミス様は、事あるごとにあたし達に自分が、アルミス様がという意味ですが、いない状況を想像して動くように、と指示を出していました。コモティニの戦以前からです。最初の頃は、死亡フラグなどと言って冗談めかしていましたし、アルミス様が、新しい教育法だ、などと言うので、それを信じていました。しかし、だんだん、本当に死ぬつもりなのでは、と思い始めました。そう思った主だった騎士達は、密かにアルミス様を気遣うようにと、相談しあいました。あたしを含め、その者たちは、アルミス様の再び集まる話を信じられなかった訳です。あたし達は、密かに話し合い、秘密を守れる何人かだけで、アルミス様をお守りすることにしました。これは、ザイール王や、エンデルス将軍が、なにか謀をしていることも考えたからです。アルミス様は、王国の騎士は、王の命に従えと言うので、同志達は、騎士の身分を捨て、アルミス様の新しい赴任地で、募集兵として集まることにしました。多くの者が、それに参加しようとしましたが、あまり大勢が王の命に逆らうのは、アルミス様の立場を危うくすることから、少数の者を選び、後は名に従うことにしました」
少しの間。再びアイリは話始める。
「新しい赴任地で、一年半、海賊討伐や、様々な政務をこなし、そのどれもに、ある程度の成果を収めていましたが、アルミス様には以前のような勢いというか、精気が感じられなくなって、どことなく、影をひきずっているような毎日でした。その間、王国の北の領土では、大敗が続き、このままでは北の都ポルンが落ちるのではと、風の噂が流れて来ました。王国にとっては危機ですが、あたし達にとっては好機でした。いいえ、好機だと思っていました。このまま敗北が続けば、必ずアルミス様の出番が来ると。そして、ついに、ポルンが落ちました。去年の冬のことです。そして、すぐに侵食の知らせが来ました。アルミス様は、王都に辞任の早馬を送ると、あたし達を呼び、侵食行を伝えました。みな、必死で止めましたが、アルミス様は首を横に振るばかり。ついには、黙って各種の指示書を書き上げると、それぞれに仕事に戻るように言い、ご自身は仕度をして、城を出て行かれました。数十騎が後を追い、ディスペックの城に着くまで、アルミス様の説得で、一騎が去り、また一騎が去り、最後にあたしが残りました」
「そして、今、ここにいるのです」と結んで、アイリは黙った。風がさあっと吹き抜ける。紫の花びらが、風に混じる。
「なるほど、そういう訳ですか」
長い沈黙の後で、司書が言った。クララは、自分が涙を流していたことに気付いた。アルミスもアイリも、そんなことを一言も言ってなかった。そんな苦労を背負っているなんて、思いもしなかった。
「あたしが話したことは、アルミス様には内緒でお願いします」
「ええ…それにしても、アルミス殿は凄いお方だ。外の世界でお会いしたかった」
司書はそう答えた。
「そうだ」
アイリが言った。
「これ、使えますよね。魔法の道具も詳しいんでしょう?」
何やらがさごそと音がする。
「これは…召喚札ですね。血文字は本物ですか?かなりの数がある」
「はい。それは確かです。この目で見ましたから」
「であれば、血文字で名前を書いたものの魂を実体化出来ます。無制限ではありませんがね。この札だと、30分というところでしょうか」
「そうですか。良かった」
衣擦れが聞こえた。
「行きましょう。春の夜は冷える。そしてまだ明日があります」
「それに」と司書。
「子供の夜更かしは、あまりよくありませんから」
そう言って、幹を周ってクララの側へ来た。ばれてたのか。一瞬、悪さを見つかった子供のように、ビクッとした。反対側から周って来たアイリが、驚いたような顔を見せる。
二人共、顔を見合わせ、なぜか笑った。アイリは、仕様がないな、といった風情でクララの髪をくしゃくしゃに撫でた。三人で連れだってテントに戻る途中で、アイリはクララに「内緒よ」と人差し指を口元に立て、「しーっ」として見せた。
クララは大真面目な顔で、こくんと力強く頷いた。
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