2日目 黒い旋風

2―3「心のやみ」

闇の中にいるからといって、

常に悪しきものとは限らない。

<落書きカルムにて>

 

 とにかく、進む道が決まると、人の気持ちは軽くなる。まさに今のクララがそうだった。歩きながら司書が言うには、矢印が止まる所が、なんらかの終着のはずらしい。

 アルミス、老魔導士、トーマの男性陣は、歩きながら司書に理由を聞くが、司書は「後で」と繰り返すだけで、答えようとはしなかった。クララは行き先が決まったので、理由はどうでも良かった。今のところは。

 アイリ、キーラも同じだろう。先ほどまでの停滞が嘘のように一行の足取りは軽い。別にまだ何も解決してはいないのだが。

 そして、歩き始めて十分後、一行は目的地らしい場所に辿り着いた。矢印が消えたのだ。そこは確かに、ある意味、目的地に相応しかった。行き止まりであったのだ。三方を黒い壁に囲まれている。

 正面の壁をアルミスが叩いたが、なにも起こらなかった。またか、口には出さないが、パーティーに嫌な空気が流れた。二度目の挫折は腰に来る、クララは生まれ故郷の諺を思い出した。確かに、二度目の挫折は腰、というか、心と頭にくる。もはや、何も考えられなかった、ので、黙って司書を見た。皆、同じ考えのようだ。司書は、「ええ?」とでもいった少し引き気味の表情で、一歩下がった。そして、最後尾にいたシンベルグを見てこう言った。

「そろそろ何かあるんでしょう?シンベルグ伯」

 シンベルグはまた、あらぬ方を―右手の壁を―見ていたが、ゆっくりと司書を見、そして先頭のアルミスを見ると、シンベルグら後続の方を向いているアルミスの左手―突き当たりの壁の右手―を指差して言った。

「そう。そこ。その向こうに」

 その向こうに、では分からないが、シンベルグが再び呆けているので、とりあえずアルミスはシンベルグが指差した壁に向かい、片手を突き出した。壁に向かって伸びた手が、壁で止まった。

 何も起こらない。

 アルミスが黙って司書を見る。

「どれ」

 老魔導士が、壁に近づき、もごもごと口を動かす。

 小さい炎が指先に生まれ、壁に飛び、そして、消えた。

「おかしいなあ」

 今度は最後尾から司書が壁に歩み寄る。

 手には、巾着から出したのだろう。片手で振るえる木の槌を持っている。

 司書は壁に向かって木槌を振り下ろした。

 木槌が壁にヒビを入れ、なかった。壁の手前で跳ねるように戻った。

「ううん。そりゃそうか…」

 木槌を下ろすと、司書が呟いた。

「司書?どういうことだ?」

 アルミスが白い呼気と共に聞いた。

「この壁、というか、この場所だと思うんですが、この壁、今の壁ではないんですね。きっと。さっきの矢印がもう一度戻ってきて消えると思います。その時に、もう一度、叩かせてください」

 誰も何も分からない。だとしたら、知ってる風の司書に従うしかない。

 老魔導士が通路に火を起こし、暖を取る。

 アルミスは、忍耐強く壁を見つめ、アイリは、そんなアルミスの周囲に目を配る。老魔導士とキーラは火に当たり、トーマは行き止まりの手前の壁を見張る。クララは、目の前の壁を見つめつつ、後ろ手でこっそり火にあたっていた。

 司書は珍しく例の壁の前で、木槌を握りしめ、矢印を待っている。

 シンベルグは、フワフワと浮きながら、辺りの壁を擦っていた。

「来た!来ました!」

 トーマが角から叫んだ。

 確かに矢印が来た。

 クララの目の前を通過する。

 矢印が右に曲がり、司書の前の壁に来た。

 瞬間、司書が木槌を振り下ろした。

 ガッ。

 木槌が黒壁に食い込み、漆喰にヒビが入った。

 この砦に入って、初めて壁が壁らしく見えた。

 司書は二度、三度と壁を叩く。

 壁の表面が、ボロボロと剥がれ落ちた。

「これで行けるはずです」

 司書が、はあはあ言っている。クララは黙って手を差し出した。

 司書が黙って木槌を渡して来た。

 壁に向かって木槌を振るう。

 壁には矢印が書いてあったが、もう動かなかった。

 10回ぐらい壁を叩いて、疲れた。手が、痺れる。

 とんとん、と肩を叩かれる。

 振り返ると、トーマがいた。

 黙って木槌を差し出す。

 トーマも黙って受け取った。

 トーマ、アルミス、アイリ、司書、クララ、トーマ、アルミス。

 順番に壁を叩き、壁に円状に穴を穿った。

 立ったまま、とは行かないが、くぐる様にして、通り抜けられる。

 まず、アルミスが穴を抜け、アイリ、司書、と順番に壁の向こうへ出た。

 殿はシンベルグ。

 全員壁の向こう側に出た。

 そこは、砦の中心部だろう。目指す木のある広々とした空間だった。  

 とりあえず、今日はあの木の下でテントを張ろう、というアルミスの提案に、反対する者はいなかった。木を目指して歩く。クララは近づくほどに美しい木に見とれてしまった。初めて見る木だ。幹は少し暗い緑色で、全体の三分の一ほど。残り上部三分の二は、暗紫色の花びらをつけた枝葉が、横五馬程ほどに伸びている。侵食の内の光に照らされて、木の中心から枝先に向かって、ゆっくりと波打つように、紫色が淡く、濃く、変化している。近づくにつれ、ひらひらと、風に乗って、花びらが舞っているのに気づいた。花びらは小指の先ほどで極小さい。木の周囲は、落ちた花びらでそこだけ紫の絨毯が敷き詰められているようだった。

「ほっ。珍しいところで珍しい木よの」

 老魔導士が言う。

「そうですね」

 司書が相槌をうった。

「綺麗…」

 アイリが言う。

「少し不気味ですね」

 キーラが相槌をうった。老魔導士と、司書はこの木が何なのか知っているらしい。

後で聞いてみよう、とクララは思った。風が一際強く、ぶわっ、と吹きつけた。と、シベルグが急に大きな声で叫んだ。

「そこ!」

 アルミスはもう剣を抜いている。風と共に、大きな黒い塊が、木の内から現れたように見えた。アルミス以外は、風を避けて顔を反らしたため、一瞬動作が遅れる。クララも、左手で髪を押さえていたため、シンベルグの言葉にすぐに反応出来なかった。顔を左に振って、髪を逆方向に流すと、右手で剣を握り、一気に引き抜いた。それでも展開に追い付かない。アルミスと黒い塊がぶつかったように見えた瞬間、黒と白の火花が散った。

 老魔導士は、視界の左を素早く斜めに移動している。視界の右はアイリ。両者とも、風上に周ろうとしているようだ。キーラはアルミスの左後ろで、杖を構え、トーマは―驚くことに―アルミスの右斜め後ろ―つまりクララの正面―にいつの間にか剣を構えて立っている。残りの二人は、と頭を巡らすと、シンベルグが音を立てずに左横を通り過ぎた。走りながら、何かを投げる。それと同時に黒い塊はアルミスを弾きとばし、回転した。

 キンキンキン、と金属音がし、紫の絨毯に水色の光が落ちる。シンベルグが投げたのは、水晶の苦無のようだ。アルミスは、体の正面に剣を構え、黒い塊に向き合う。シンベルグも、アルミスと同じぐらいの距離で、黒い塊と向き合う。マントで、体の前方を隠している。格好、黒い塊は、四方を囲まれる形になった。北をアイリ、東をシンベルグ、南にアルミス、西に老魔導士。場面が膠着した。その静止画の中で、クララは遠巻きに黒い塊を観察することが出来た。黒い塊に見えたのは、全身黒で武装した、人型の生き物だった。黒い鎧、黒い兜、黒い面に黒いマント。 

 いずれ、闇の生き物に違いない。

 剣まで黒いが、その黒さは鈍い光を放つ黒さで、妙な表現かもしれないが、鋭利な黒さに見えた。すべてを切り裂く黒。丁度対峙したアルミスは全身が白と銀で覆われているため、真逆の存在に見える。聖と邪と。アイリは木の下にいるため、グレイに見える。老魔導士はもともとグレイ。シンベルグは真っ黒。シンベルグが仲間だと知らない者がみたら、アルミスが二つの闇の生き物と戦っているように見える。

 黒騎士は、右肩に反り身の剣―刀―を担ぐように構えると、そのまま柄を握った拳を、前方に押し込むように動かす。刀の切っ先だけが、肩にのっている感じだ。

 クララも初めて見る型だった。

 黒騎士の型の変化に合わせて、アルミスは一度刃を見せて正面に構えると、そのまま横に倒し、腰を落として剣を左下に引いた。クララに、これは見覚えがあった。毎朝見た型の内のひとつ。どれだったかは忘れたが。

 空気が一触即発の気を帯びる。きりり、と風に乗ってアイリの弓が引き絞られる音がした。老魔導士の呟きのような声も。と、黒騎士が急にすっ、と刀を下ろした。しかも、鞘に収めた。

「待て」

 低いが、明瞭な発音の公用語が聞こえた。

「お主たち、人間ではあるまいか?」

 聞こえてくる公用語は、少し古い。ここは、「お前たち、人間か?」で良いところだ。

 アルミス達は少し驚いたように身じろぎしたが、構えは崩さない。こういう時に役立つ男が、役割通りの仕事をする。

「さて。そうだとして、どうなさる?」

 司書が古語で言うと、黒騎士は平然と答えた。

「それがしも人間だからな。殺し合おうとは思わんよ」

 そう言って、黒い面を取る。少し浅黒い、精悍で、どこか悲しげな顔が現れた。黒目がちな目は涼やかで優しげだが、眼光は隙がない。心持警戒する風で、距離は保ったままだが、黒騎士が刀を納めたこともあって、各自武器を下ろした。シンベルグだけはマントで体を覆ったままだった。

 黒騎士も、シンベルグには半身で対峙し、意識してか無意識にか、刀の柄に右手を置いている。司書がつかつかとシンベルグの横に歩み寄り、黒騎士を向いて言った。

「紹介しましょう。闇の眷属、シンベルグ伯爵です」

 聞いた途端、黒騎士は刀の柄を握り、鞘を走らせる。

「ストップ!」

 司書が、黒騎士と、マントをはためかせたシンベルグと、双方をそれぞれ左手、右手で静止する。場は、緊張感に包まれた。

「双方落ち着いて下さい」

 緊張感の張られた二人の直線上の、真ん中やや外れた位置に足を出した。司書はシンベルグの方を向くと、尋ねる。

「シンベルグ伯。ずっと気にしていたのは、この方ですね」

「そう」

 シンベルグが無邪気そうに「私は見えますから」と答えた。

「ああ、気が見えるのですよね。」

 まるで、お天気の話をしているようだ。だから能天気な話というのだろうか。無邪気に―いや、能天気さにか―当てられたのか、黒騎士はチン、と音をたてて刀を納めた。

「いろいろ聞きたいこともあるが…まずは落ち着いて話をしたい」

 全員是非もない。

「では」と司書が言って、例の袋から、野営用のテントを探し始めた。

 テントの準備が終わると、囲炉裏を囲んでの奇妙な食事が始まった。

「改めてご挨拶を差し上げよう。それがし、グンダリはヤクシの国の騎士で、スザク・セツエイと申す。百年に一度の逢魔の刻に飲まれ、以来帰れずに、やむなく闇の国を彷徨いし者。此度、闇の群れの大規模な移動を目にし、密かに後をつけてまいったところ、露よけに立ち寄った砦で懐かしき木が目に入り、昔を忍んでいたところ、貴公らに出会った」

 随分古臭い言葉づかいで、クララは一部、意味が分からなかった。

 それに、今セツエイの右側に置いてあるあの刀は、父の図鑑で見たことがある。あれは、確か…

「グンダリのヤクシ?それは確かですか?」

 クララが刀について考えていると、司書が驚いたようにセツエイに聞いた。

「確か?とはいかなるご質問か?それがし、自らの出自について、嘘をついているとでも?」

 セツエイが顔には出さず、声のトーンを落とすことで、不快感を表す。

「違います違います。ちょっとその名前に聞き覚えがありまして」

 司書が慌てて打ち消すと、セツエイは肩で息を吐いた。

「で、あればよいが。いや、疑われても仕様がないか。それがしにしてみれば、久方ぶりの人間なので、嘘をつくことなど、毛頭考えずにいたが、その方らにしてみれば、それがしこそ異人。申し訳ない」

 再び肩で息を吐く。司書は、困った様な顔でクララを見る。クララはこの旅で初めて司書が何に困っているのか、薄ぼんやりと理解した。思いついたことを、正確に人に伝えるのとか、言葉にするのとかって、本当に難しい、クララは急に、ちょっと賢くなった気がした。今まで考えたこともなかったことを考えたから。

「ちょっといいかな」

 いつもなら、率先して場を仕切るアルミスが、珍しく遠慮がちに発言する。

「ワシもじゃ。順番は守るがの」

 老魔導士はそう言って、火に薪をくべる。パチッ、という薪が弾ける音は、昨日の音より、なぜか安心する。アルミスは老魔導士に頷くと、セツエイの方に膝を向けた。

「セツエイ殿、貴公の持つ神魔器、それを教えていただけますか?」

 神魔器で通じるかな、と横のアイリに聞く。アイリは、考え事でもしていたのか、はっとしたようにアルミスを見て、曖昧に首を傾げた。

「神魔器、なるほど。だんだん、分かって参った。いや、まず質問に答えるか」

 そう言って、セツエイは自分の体全体と、刀を流れるように指差した。

「具、と言う。我々の国では。神魔具、あるいは魔神具。神の作りし、あるいは、魔の作り出ししそれ。この鎧と刀は、姿を自在に消し、己が望む所に現れることが出来る、と言われておる。実際、自分では消えているかどうかは分からないのだが、数多の危機で、敵に見つからずに切り抜けて来たことを考えると、嘘でもないようだ」

 なるほど、とアルミスは言ったが、それ以上言葉が続かない。とりあえず、闇に堕ちてはいない、ということが知りたかったようだ。司書は聞いているのか、パラパラと、本をめくっている。老魔導士が右手を胸の辺りに挙げ、質問の意を表すと言った。

「主、独りで参ったのか?」

 なるほど、人が居れば、それだけ質問の種類があるのだ。

「いや、最初はそれがしの部隊、二十人で入ったが、戦いを繰り返す度に一人減り、二人減り。道中、不和もあって、最後に大きな戦闘があってからは、四散してしまった」

 セツエイは溜息と共に吐き出す。老魔導士は頷くと、「司書」と言った。司書は左手を軽く挙げると、「もう少し」と返す。何かが引っ掛かっているのは分かるが、上手く誰も言葉に出来ない。そんな雰囲気だった。とりあえず司書待ちらしい。クララは、聞くなら今かな、と思って、意を決して質問した。それは、その刀は、カゲツネと言いませんか?セツエイは驚いた顔で、クララを見返すと、その通り、と答えた。

「クララちゃん、知ってるの?」とアイリが聞く。クララはどうしようかな、と一瞬考えたが、思いきって続けた。名刀カゲツネ。影をも切ると言われる切れ味から、影切りの刃とも言われるそうです。希代の刀匠カゲツネが打った刀の中でも、相当な業物で、それゆえ、その名を冠しているとか。

「ほほう。そこまでは知らなんだ。刀匠の名前とは。クララ殿とか申したか。中々の目利きでおられる」

 父の持ってた本で見ました。クララは赤くなって答える。「でも」とトーマが聞く。「ということは、その刀は人が作った物?」クララはこくん、と頷いた。神魔器―いや、神魔具―ではない。

「であれば、甲冑がそうなのであろう」とセツエイ。

 そうかもしれない。しかし、クララが確かめたかったのは、そのことではなかった。刀匠カゲツネは、今から五百年前の、最早伝説の刀鍛冶。その刀を持っているセツエイとは。先ほどセツエイは、だんだん分かって来た、と言ったが。なんとなく掴めそう、上手く思考がまとまらない感覚に、クララがもどかしさを感じていると、パタンと音がして、司書が本を閉じた。心持、消耗している様に見える。

「だいたい、分かりました」

 司書の言葉に、皆、少し座りを直す。

「まず、シンベルグ伯」

 急に名を呼ばれて、それまで何かの骨をかじっていた闇の国の貴族は、びっくりしたように止まった。

「伯爵は何で、この砦に入った時から、セツエイ殿の気配を感じていたのですか?」

「同族の、なんていうか、気配が見えたから?」

 なぜか疑問形だ。なら言えばいいのに、と皆から非難が出る。

「だって、調べていたから」

 シンベルグは、しゅん、として下を向いた。

「まあまあ、シンベルグ伯は結果間違っていなかった訳ですから」と司書が間を割り、再びシンベルグに尋ねる。

「シンベルグ伯。伯には、我々はどう見えますか?」

「どうって?」

「例えば色で言うと」

 ううん、と唸るシンベルグ。

「難しいけど、白っぽく見える」

「全員?」と司書。

「全員」とシンベルグ。

「まあ、それぞれちょっと違いはあるけど」と付け足した。

「それでは、セツエイ殿は?」

 ううん、再び唸る。

「難しいけど、黒、かな」

 難しいけど、と繰り返した。

「ちなみに、闇の国の方々は何色ですか?」

 司書が聞くと、「今の話で言うと、黒」と答えた。つまり、シンベルグには、砦の中のセツエイが闇の国の生き物として、ずっと見えていたが、事前調査では何ら闇の生物の存在は見つからなかったということか。それで、シンベルグの呆けたような顔の理由が分かった。

「つまり、どういうことなのだ?」

 アルミスが、いらいらしたように言う。アイリが少し眉をひそめた。司書が頷くと話し始めた。

「順番に話しますので、落ち着いて聞いてください。特に、セツエイ殿。グンダリは在りますが、ヤクシという国は、もうありません」

 おお、とセツエイが驚き身を乗り出す。

「落ち着いて」と司書が言ったが、まるで効き目はなかったようだ。

「まことかそれは?」

 司書は頷く。

「順に話せば納得出来ます」

「よろしいですか?」とセツエイに聞くと、セツエイは身を戻して頷いた。

「おそらく、ここに居るほとんどの方が、東方のグンダリの名を耳にしたことはあるでしょう。今も交流はありますが、海を隔てているため、あまり触れあう機会はない、遠く遠く、東の国です」

 司書が水を飲んだ。めいめい、飲み物を飲んだり、鳥の腿や木の実を齧りながら聞いている。

「三百年前の大戦以降、我々の大陸の国々とは、折り合いが悪くなり、現在はほとんど交流がありません。東邦騎士団領周辺の諸国だけが、交易しているのみです。なので、彼の地について私が知っていることは、正確ではないのですが、グンダリは十二の王家が、同盟してひとつの国を成している、と聞きます」

「それはまことか?!」

 一人、セツエイだけが驚く。セツエイ以外、いや、セツエイも含めて、場にいる者たちは、だんだんとぼんやりとした答えが浮かびつつあるのだ。今はそれを正確に明示してくれる人間の話を聞く。司書は頷くと、セツエイに質問する。

「セツエイ殿。あなたが旅だった時、国は六十ありましたか?」

 それは、質問というより、確認だった。

「おお、確かに。それが今は十二とな?ヤクシは、ヤクシの国はどうなった?カヤ姫は?」

「個人名までは、ちょっと。何しろ手元に文献がないので。ただ、ヤクシの国は、もうありません」

「なんと…いつ、どのようにして滅んだのか?」

「さて。今はちょっと。後で調べてみますが。ちなみに、滅んだのでは、たぶんありません」

「どういうことだ?」

「今、グンダリの国は、グンダリ十二連国と言うのですが、その前進、つまり前の名を、ヤクシ十二神国と言います」

「つまり?」

「おそらく、ヤクシ国が国内を統一し、十二の領地に分けて統治していたのでしょう。そして、名を変えた」

 セツエイは、黙る。自分の国の展開についていけないようだ。クララは、余所の国のことだから、そういうものか、と思って聞いているが、自分の国のこととなると、また感慨も違うのであろう。

「肝心なのは、グンダリ国の歴史ではなかろう…」

 老魔導士が言った。司書が頷く。

「そうです。ただ、少し確かめたくて。また、セツエイ殿に、理解して貰いやすくするために、前説を挟みました。ここからが、本題です。先ほど、セツエイ殿に聞いた、国の数ですが、グンダリの島に大小六十の国々があり、戦乱を極めていて、更に、セツエイ殿の言う逢魔の刻、我々で言う侵食が彼の地で起きたのは、ざっと三百年前のことです」

 おおっ、ええっ、ほうっ、それぞれがそれぞれの表現で驚く。セツエイは呆然として、声も出ないようだ。シンベルグは、時の概念が違うためか、驚いている皆が理解出来ないようで、きょろきょろとしている。

「しかし…おかしくないか?その、人間の寿命的に」

 アルミスが興奮して話す。答えたのは、司書ではなく、キーラだった。

「時を超える鎧なのですね?」

 司書が頷く。

「そうです。おそらく」

「ちょっ、ちょっと待って。つまり、セツエイ様は、知らず知らず、神魔器の能力を使って、三百年を過ごしたということ?そんなこと、ありえるの?」

 アイリが興奮したように、あるいは少し怯えたように、司書、セツエイを交互に見ながら言った。セツエイはもちろん答えられない。

「ややもすると、ですが。おそらく、セツエイ殿にしてみれば、姿を消しているつもりが、実は、時の狭間に身を移していて、その間、時が流れるから、敵がいなくなる、そういうことだと思います。そして、望む場所に現れる仕組みは分かりませんが―まあ、もう少し情報があれば別ですが―時を費やすことによって、移動している、と考えるのは簡単です」

 そう、なのだ。クララが知る限り、セツエイの持つ刀は伝説の域にある、中世の名刀。そして、セツエイは、三百年前に存在した国の住人。そして、侵食がその国で起こったのは、三百年前。

「つまり、セツエイ殿は、神魔器の能力、おそらくはその鎧を使うことによって、時間を飛ばしてきたのです」

 一堂、溜息を吐く。

「…貴公ら、こちらに来て何日になる?」

「こちら」とは侵食の内のことだろう。

「1日と少しです。しかし、侵食自体は、始まって三か月になります」

 キーラが答える。一際大きなため息をつくと、セツエイは天を仰いだ。

「そうか…確かに思い当たる節もある。貴公らに会う前にも使った。砦に人が居たのでな。あの木の所まで、と思ってな。それが、今日は誰もいない。あれだけの人数だ。昨日、今日の話ではあるまい。それに、あの木。まだ雪を被っていたのに、今日はもう花が咲いている、どころか散り際ではないか…」今日がいつのことやら、といって自嘲気味に笑う。みな、言葉も出ない。気づいたら三百年の時が流れている、というのは、どういう気持ちなのだろう、とクララは考えてみる。ある日、気付いたら、全てが遠い過去。親も、兄弟も、友人も、国も、全てが過去のもの。その喪失感。どうあがいても、最早取り戻すことが出来ない世界。言葉で考えても、想像だに出来ない。よしんば想像出来たとしても、実感は本人にしか出来ない。なぜだか少し、悲しくて、怖い感じがした。淡々と受け入れている―ように見える―セツエイを、すごい、と思った。

「それで、なんでシンベルグさんは、セツエイさんに気づいたんでしょう?」

 出た。トーマのこの空気の読めなさ。皆がセツエイの境遇を思い、感傷に浸っている空気をトーマは持ち前の天然さで突破した。みな、声を出して楽しそうに笑った。セツエイも、微笑とも苦笑とも分からない笑みを口元に浮かべている。司書が笑いながら応える。

「いいね、トーマ殿。さすがです」

 トーマは何が面白いのかと、きょとんとしている。

「いえいえ、こちらの話」と司書は言うと、深呼吸をし、笑いを収めて答える。

「おそらく、推測に過ぎませんが、シンベルグ伯の目が見ている世界と、我々が見ている世界は違うのです。まあ、我々一人一人の見ている世界も、厳密に言うと違うのですが。それはともかく、セツエイ殿は、侵食の中で消えている間は、ずっと闇の空気に触れているのです。三百年近く闇の空気に触れていたため、空気が体に、鎧に染み付いてしまっているのでしょう。それで、シンベルグ伯の目には、闇の国の生き物達と同じ様に見えたのではないでしょうか」

 クララはシンベルグを見る。シンベルグは目を合わせて、曖昧な表情を作った。見えている世界が違う、と他人に指摘されても、当人には分からない話。シンベルグの目には、私達はどう見えるのだろう、ふと、そう思った。コホン、と老魔導士が咳払いで注意を引いた。

「さて、だいたい必要なことは分かった気がするのだが、これからどうするね?」

「一緒に行きましょう」

 アイリが言った。老魔導士が戸惑ったように言う。

「いや、わしが言ったのは、次の目的地のことじゃて」

 クララもそう思った。あっ、とアイリは言って下を向いた。怪訝そうにアルミスはアイリを見る。司書ががさごそと音を―わざとか―立てて、地図を開いた。百日砦にバツを付け、腕組みして地図を睨む。クララは地図を覗きこもうとして、そうしているのがトーマだけだと気づき、慌てて背筋を伸ばし、俯瞰から眺めるようにする。

 キーラと目が合うと、キーラは優しげににっこり笑った。

 「どのみち北上すると」言いながら司書はいつの間に出したのか、指揮者の使う指揮棒のようなもので地図の上をなぞる。

 「森を避けるなら、マキス川を渡るしかあるまい」

 アルミスが後を続ける。

 「では、決まりじゃな」と老魔導士。

 「はい、では次の目的地はここ」そう言ってタクトを一度顔の辺りに引き上げると、おもむろに振り下ろした。

 「夏風の橋です」

 

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