2日目 百日砦

2―2「闇に馴染む」

正義を行えば、

世界の半分を怒らせる。

人は、ヒトとして進化をしているのでしょうか?

進化とは、外見に現われるのでしょうか?

それとも、内面にあらわれるのでしょうか?

<トンファの哲学者スイン・マーズ>

 

 百日砦は遠目には、平坦に見えたが、近づくと、見上げるほどの高さがあった。

 人の気配はしない。いや、ヒト以外の何者かの気配もしない。砦の門は中途半端な形で、開かれていた。クララは、閉じられているより、なんとなくゾッとするものを感じた。

 例によって、司書と老魔導士が、砦の安全を確かめる。やはり、トンネルなどと違って広いせいか、時間がかかった。その間も、アルミス、アイリは来し方に視線を配り、警戒を忘れない。冬を抜けた、とは言うものの、夜はまだ冷える。各人の吐く息は白く、トーマは時折ぶるっと身震いしていた。クララも足から腰に掛けて冷えがくる。行軍で汗をかいたせいか、背筋に衣服が貼りついた冷たい感じが不快だ。

「よし」

 老魔導士が呟くと、誰からともなく、「ほうっ」と安堵のため息が聞こえる。

「入りましょう」 

 寒いのか足踏みしながら司書が言って、皆が頷いた。

 突然、シンベルグが急にピタ、と止まって、砦の門を見つめた。クララとトーマがそれに気づき、クララとトーマの気づきに司書が気づいた。

「どうかしましたか?」

 後続集団の先頭を歩いていた司書が慌ててシンベルグに尋ねる。シンベルグはこの男―?―にしては、珍しく反応がない。クララ達の逡巡に気づいたアルミスが、砦へ向かう橋の中間辺りから戻りかけた時、シンベルグはようやく自分を見ている人間たちに気づいた。

「ああ。なんでもありません。少し…」と言って、呆けたような顔で歩きだす。

 クララ、トーマ、司書は顔を見合わせ、小首をかしげた。一行が動き始めたので、アルミスも先頭に戻る。

 門をくぐると、砦の壁に囲まれて、二十メートル四方の空間が広がっていた。百日砦は迷路、というのがクララの認識だから、少し拍子抜けした。正面に扉の無い四角い門構えがある。奥の壁が見えるので、入口の向こうはまっすぐに続いているわけではないようだ。魔法と、魔法の道具で調べたので安心して進める、とアルミスは思っていないようで、先頭を、中腰で進んでいる。その少し後を、アイリが続く。

 すぐに歩き出すと、すぐに詰まってしまうので、クララや司書、トーマなどは、必然、門を抜けた場所で立ち止まる格好になった。シンベルグは、まだ呆けたような顔で、奥の壁を見つめていた。アルミス達が奥の壁に開いた入口に辿り着き、手まねきする。

 後続は、駆け足で追いついた。アルミスは、右手の方を見ている。追いついたクララも、ひょいと顔を出して右手の通路を見た。通路は、ざっと幅2メートル。10メートル程ほど先で、左に折れていた。アルミスが首を左右に振り、コキコキと音をさせる。

「とりあえず、中心だな。」

 言うと、アルミスはまた、先頭にたって歩き出した。ぞろぞろと、一列になって進む。砦の中は深としている。空気はほの冷たく、城壁というよりは土塀といった感じのする、黒炭で固められた黒い壁の色味が空気感の冷たさを増している。左に右に、曲がったり直進したりしている内に、進む先はひとつしかないのに、どこへ向かっているのか、不思議と分からなくなる。そんな感想を司書に伝えると、「人生と同じですね」と妙に哲学的な返事をされた。

「なんだか気分が悪くなりそうです」

 キーラがささやくように言う。

 クララも同感だった。冷たい空気のせいか。確実に歩き続けているのに、同じ所で足踏みしているかのような、変化の全く感じられない黒い壁のせいか。自分の居場所が分からなくなる、そんな感覚が、少しづつ精神を不安定にした。

「おかしいな」

 アルミスが立ち止まり、振り返り言う。吐く息が激しく白い。

「何がじゃ?」

 老魔導士が聞いたが、いつもの元気はなく、息も絶え絶えといった感じ。無理もない、クララも相当疲れていた。

「いや、ほら」

 アルミスは指を差した。何メートル先かは分からないが、一本の木を指差す。木は、石壁に途中から隠されているが、上部5メートルほどは見えている。珍しい暗紫色の花びらを付けたその枝葉は、クララの両腕を広げたのと同じくらい。闇の空気でお馴染みの、奇妙な光に照らされて、妖しく美しくはあるが、「おかしい」と言われると、どこが「おかしい」のかは分からない。

「何がです?」

 キーラが聞いた。

「いや、さっきからあの木を目印、というか、あの木に近づこうと思っているんだが、全然近づかないんだ」

 アルミスにしては珍しく要領をえない。困惑しているようにも見える。

「ふーむ」

 老魔導士もさんざん歩いた後なので、その不思議さが実感出来たらしい。クララは感心した。ただ闇雲に歩いている訳じゃなかったとは。そう思って司書を見ると、司書は二回頷いた。共感したようだ。しかし、言われてみると確かに、迷路の入口を曲がってすぐ、あの木が見えた覚えがある。通路の黒い壁は砦の外壁に比べて背が低く、3メートルより少し高いくらいだから、仰ぎ見ると、木は見える。だが、確かにさほど近づいている気はしなかった。

「どう見る?」

 アルミスが、司書に聞いた。司書は腕組みをして、目を閉じた。二、三秒して、答える。

「甘かったかもしれないですね。いや、甘かったんだな」

 語尾は独白のようにも聞こえた。

「なにがですか?」

 トーマが聞く。息は白くない。若さゆえ体力の回復が早いせいか、さほど疲れては見えないが、声は不安そうだった。司書が、トーマに掌を向ける。少し待て、の合図。さらに二、三秒後、今度は眼をゆっくり見開きながら話した。

「百日砦について、少し調査が足りなかったようです。単なる通過点としか、見ていなかった。聞き及んだ話で、把握したつもりでした。抜けるのに百日かかり、中は迷路」

 また、目を閉じて、額に左手の親指と人差し指を当てる。

「周期ごと、例えば3日とか、1週間とか、期間を決めて壁の配置を換えると、要は砦の内部が変容するわけだから、砦の平面図は役に立たない。更に配置を理解している守備兵がいて、砦内に侵入した敵兵を急襲したり、罠をしかけたりすれば、確かに厄介。百日は誇称にしても、まあ攻略、突破には時間がかかる。百日砦とは、そういったものだろう、と考えて、それ以上考えていませんでした」

 ああ、この人意外に頭いい。クララは素直に感心した。それだけ考えていれば十分な気がする。

「それで?」

 とアルミス。落ち着きを取り戻したのか、妙にクールな突っ込みだった。司書は眼を開けて、髪を左手で払った。

「おそらく、この砦自体が、自動生成型の砦なのです」

 「自動生成?」と皆が声を揃えた。

「そうです。大がかりか魔法か、それにしては術者が…」また、独白のようにつぶやく。

「しかし、その種の魔法ならば、術者が居なければ、存在しえんだろう?」

 老魔導士が、司書の言葉尻を捉えて言う。さらに続ける。

「しかも、この砦は、わしの若いころから既にあった。もし、魔法だとしたら、一体どれほどの魔力を持った人間か。それほどの魔導士がいれば、当然わしらも知っておるはず。それにじゃ、そもそも、入口で探索の呪文を唱えた時、なんの波動も感じなかったぞ」

 老魔導士は少し興奮しているようだ。珍しくフードを脱いで、目を見開いて話している。コウカク泡を飛ばす。そんな言葉を母親が言っていたのを思い出す。言葉の意味はよく分からないが、なんとなく、感じは掴めた。司書は、そんな老魔導士にも動じていない。

 最初の印象より、随分と肝が据わって見えつつある。

「ええ、ですから、魔法ではない。いや、魔法かも知れないが、我々、つまり人間の為す魔法ではないかもしれない。いや、もっと分かり易く言うと、ここはそういう場所なんです」なるほど、大陸にも珍しい砦とは、こういうことか、と納得している。

 「分かり易く」と言ったが、ちっとも分からなかった。皆同じらしい。それまで黙っていたアイリが、イライラした口調で尋ねた。

「で、何が分かったのかしら?」

 イライラしているのは口調だけではなかった。豊で美しい黒髪を、右手で掻き上げ、無造作に首の後ろを掻いた。美人はなにをやってもさまになる、クララは思った。どういうテンションなのか、いつもならおどけて見せる司書が、冷静な口調で言った。

「それは後にしましょう。今は、この砦の抜け方です。ご老人、極々小さな魔法を、そう、リュクスベル位の魔法を、炎か氷で、壁に向かって放って下さい」

司書が老魔導士に言った。老魔導士は怪訝そうな顔をして―「老人扱いか」とぶつくさいいながらも―素直に司書の言葉に従う。すうっ、と老魔導士の指先が光り、最少位のライトニングが放たれる。炎でも、氷でもないところが、老人らしい。指先の光は、黒い壁に当たり、そしてカキ消えた。おおっ、と老魔導士が驚く。声を出したのは老魔導士だが、みな、一様に驚いた表情だ。クララも驚いた。壁に当たってはじけるでも、穴を開けるでもなく、消えたのだ。皆、司書の顔を見る。司書は、クララと目を合わせると、頷いた。そして、腕を伸ばして壁に触る。もう一度、頷いた。

「存在はするが、この瞬間の物ではない、ということか」

 そう呟いた。誰ももはや質問はしない。分からないから。「なぜ」も、「どうすれば」も。司書は壁に手をついて、もたれかかるようにしながら、しばらく首をうなだれていた。

やがて、首をあげて、空をみつめる。ふん、と鼻を鳴らすと、手を離し、懐を探り、神魔器の袋を取り出した。なにやらごそごそと探っている。立ち止まって長いせいか、少しづつ冷えがきつくなって来た。アイリはこころなしか、アルミスに寄り添っているようにも見えるし、キーイは自分の体を抱きしめている。老魔導士は、懐に手を入れ、トーマはさかんに足踏みをしている。シンベルグだけが、呆けたように微動だにしない。

 「有った」と声がして、司書が袋から大きな羽ペンを取り出した。さんざん期待させて、ペンかよ、とクララは思った。思った、だけのはず、だったが、司書とトーマがこちらを見たので、うっかり口に出したのかもしれない。なにしろ寒いので、なにがどうか、自分でも分からなくなってきていた。司書は、格段傷ついた様子もなく、相変わらずのフラットなテンションで、羽根ペンを握ると、壁に横向きの矢印を書いた。すると、矢印は、矢の方向―右側、つまり進行方向―に向かって、少しずつ進み始めるではないか。おおっ、と今度は皆が声を出した。

「とりあえず、説明はあとにしましょう。アルミス殿、矢印を追って歩くのです」

 再び一向は歩き出した。

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