1日目 夜 踊り場にて 月光
1―7「踊り場」
狭間が一番辛い。
進むも退くもない狭間が。
<アルミス>
夕飯のあと、皆口数も少なく早々に床に着いた。クララも、横になって考え事―司書の袋はホントに役立つ、何しろ食糧まで入っている、とか、シンベルグは何も食べなかった、とか―をしているうちにウトウトしていたらしい。
なにかの物音で、ふっと眼が醒めた。明かり取りの窓から差し込む、相変わらず不自然な光が、ほの暗い教会の中に、窓の形で影を落とししている。各々、寝場所を決めて、毛布を引いたり、教会の長椅子に寝たりしている。
誰だろう、健やかな寝息が、深とした空気の中で、ひそやかに聞こえる。クララは、長椅子から落ちるのが怖くて、7列ほどある長椅子の列の後ろから3列目あたりの床に、通路側を頭に、毛布を敷いて寝ていた。
寝ている間に寝返りをうったらしく、今、顔は教会の入口の方を向いていた。音は、教会の入口近く、祭壇から最後列の長椅子辺りから聞こえた。
椅子の下の空間から、人影がゆっくりと歩いているのが見えた。
光が、黒い服を照らしているが、顔の部分は闇に覆われていて見えない。人物は、長椅子にゆっくりと腰を下ろした。
窓から差し込む光が、丹精で意志の強いその顔を照らしだした。
アルミスだ。アルミスは、ゆっくりと背もたれにもたれかかり、首を後ろに倒した。と、今度はクララの後頭部の辺りから、衣ずれがして、誰かが頭の上を通り過ぎ、アルミスの方へ歩いて行った。
そのローブは、見覚えがある。司書だった。アルミスが気配に気づき、ゆっくりと頭を起こす。
「司書か」
「そうです。お邪魔でしたか?寝付けなくて」
「では、一緒だ。構わんよ」
司書はアルミスのひとつ前の長椅子に腰掛け、半身でアルミスを向く。
「お疲れのようですね」
「いや…そうか?そうかもな」
「アルミス卿」
「なんだ?」
「いえ、アルミス殿は、なぜ、今回の侵食に参加されたのです?」
アルミスが、鼻から大きく息を出した。
「なぜだ?」
「いえ、ハルク国の北の巨人と言えば、おおよそこの辺りで知らぬ人間はいますまい。それほどの御仁が参加されるのは、まあ過去に例のないことではないですが、今この時期に、ハルク北方の守備の要が、その腹心の部下と死出の旅路とは、少し奇妙に感じまして」
「そうか?」
「ええ。今ハルクは、内戦の兆しありと聞きますし、それを狙って、新興のハバード王朝が北から侵略の好機をうかがっている、とも聞きます。ここ十年、ハルク内外に睨みを利かせてきたのは、実質あなたの軍団でしょう?いかに侵食といえども、あなたを欠くのは、国家の損失。それが不思議なのですよ。よく王室があなたの侵食行を許したものだと」
アルミスが、前のめりになり、両膝に両肘を付いた。
「司書。まるで軍師だな」
「いえいえ。子供でも知っているお話ですよ」
「子供は内戦の事まで知らんだろう」と言って、アルミスはふふっと笑った。
会話が途切れる。クララは身じろぎ出来ず、居心地の悪さを感じた。
「部下に後事は託した。やつらはやつらなりに責任を果たすだろう。二、三の策も授けた。オレもすべてのことに責任は負えん。国には二か月前に退任の申し入れをした」
「拒否されたでしょう?」
「そう。拒否された」
「それでも?」
「そう。それでも」
「なぜです?」
再びふふっ、と笑い声。
「なかなかしつこいな。司書。ほんとに軍師向きだ」
司書が肩をすくめる。
「その質問は、難しい」
「と言いますと?」
「自分でも分からん。いや、分かるが、まとめられない」
「いろんな要素が絡み合って、ということですか?」
アルミスの顔が縦に揺れる。そして、斜めに天井を眺める。「話しても、仕様がないことだが」と言ってアルミスは続ける。
「北の巨人などと言われても、別段嬉しいわけではない。ただ、十年、城を守り続けて来ただけのこと。新兵の頃は、ただ必死だった。文字通り、生き残るために。そのうち、勝たなければ、なんの意味もない、そう思うようになり―三年目ぐらいかな―勝ち続けた。そうして、いつか、皆が平和で暮らせるように。自分が北の巨人と言われることで、北方からの侵略が無くなり、国の内では、発言権が増すことにより、より良い政治に貢献出来るように。部下達が、平和を楽しんで、生きることの本当の幸せを感じられるように。誰も、悲しんだり、苦しんだりした挙句、死んでしまわないように」
司書は黙って頷く。
「だが、なにも変わらなかった。勝てば勝つほど、国力は間違った方に費やされ、権力を狙うものとして警戒され、無理な戦略を要求された。だが、騎士は勅命に背くことは許されない。だが、自分が本当に正しい生き方をしているのか、自分本来の人間としての役割を果たしているのか、それが分からなくなった」
すっ、と光が陰り、また元に戻った。
「こんな迷いのある指揮官では、軍団が不幸だ。だから、軍に別れを告げた。そして、純粋に何かの役に立つ、他の人間の役に立つことをしようと考えた」
「それで、侵食ですか」
「そう。最早十分に生きたし、十分に殺した。敵も味方も。そして、まだ生きている人間達の多くの時間も、結局は自分のエゴに利用した。甘えるな、立ち向かえ、嫌なら辞めろ。確実に間違っていた、とは思わないが、自分自身が本当に望んでいることでは、なかった。任務の遂行のために、自分に嘘を強いた。それだけだ。最後に、自分のためにも、自分のしたいことをしよう、そうでなくては、死んだ両親に、部下達に、敵に、顔向けが出来ん。そう、考えたんだよ」
「なるほど。つまり、他人のために他人に尽くすことを止めて、自分のために他人に尽くすことにした、と。そういうことですかね」
「うまくまとめたな。そうかも知れん。ただ、今はすっきりしている。闇の空気の中で言うのも可笑しな話だが」
二人の含み笑いが重なった。クララも思わずふふっと笑う。司書がくるり、と振り向いて、椅子の下のクララと目を合わせた。クララはびっくりして、毛布を引き上げ、顔の下半分を隠した。
「クララ殿に聞こえてしまったようですが」
「かまわんよ。まあ、大人の事情を聞いて、クララが大人になるのを嫌にならなければ」
クララは、首をぶるんぶるん横に振った。
アルミスと司書は顔を見合わせ、ふふっと笑った。
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