1日目 街

1―6「足元を見る」

自分のために生きる。他人のために生きる。

そのどちらも、それだけではくだらない。 

ようやく気付いた。

<旧山羊座騎士団マテリア・コーハ現在無職>


 結局、一行は、申し入れを受け、シンベルグを連れて旅を続けることになった。 

 もちろん、呪をかけるのを忘れない。

 シンベルグも、アルミスも「呪」と言ったので、クララは、シンベルグに呪いをかけるのだろう、と思ったが、正確にいうと、呪いではないのだそうだ。老魔導士が一応、といった風に教えてくれた。「呪いではなくて、契約だがな」と老魔導士が呟いたのを、耳聡く聞いたクララと、トーマがしつこく聞いたので、めんどくさそうに話してくれただけなので、教えてくれた、とは言わないかもしれない。

 正確に言えば。老魔導士によると、「呪い」は本質的に、無理やり相手にかけてしまうもので、一方的だし、最終的には、必ずかけられた相手に害をなす性質―「相手にもよるがな」とも言った―のものらしい。ところが、「契約」は相互の了解の上で成り立つ―つまり、双方向性―のもので、どちらかが違反しない限り、害は起こりえないのだという。

 分かったような、分からなかったような。

 どちらとも言えない顔をすると、老魔導士に悪いので、聞いた後、ありがとうございます、と言って笑ってみたら、老魔導士は、照れたようにそっぽを向いた。トーマは、ずっと首をひねっていたので「だから教えるのが嫌なんじゃ」と老魔導士に怒られた。不器用なやつ。

 ともかく、老魔導士は、司書になにか言い、司書は例の袋から、拳大のつるんとした、黒い卵のようなものを取り出した。

 老魔導士は、シンベルグに「親指を切れるか」と聞いた。 

 シンベルグは、少し嫌そうな顔をしたが、諦めたように、懐に手を差し込むと―どういう仕組みなのか―次に手を出した時には、親指から血が滴っていた。

 クララは、頭から血の気が引くような、軽い気分の悪さを感じた。こんなんじゃ、騎士になれないなあ、と思いながらも、さりげなく眼を逸らすと、意外なことに、アイリも顔をしかめてそっぽを向いている。さらに意外なことに、キーラは別になんともないようで、「契約」を見つめている。

 怖いもの見たさで、ちらちらと横目で見ていたが、結局よく分からぬ内に、契約は終わってしまった。途中「すげえすげえ」とトーマが言っていたのが、妙にむかついた。そうして、一行は、とりあえず、カルムの村に向かうことにした。

 最初は、森の中を歩く予定だったのだが、シンベルグが、森は危険ですよお―少し語尾を伸ばし気味に―言ったので「それでしたら、街道沿いに進んではいかが」という司書―すっかり地図係になっている、いや何でも屋か―の一言で、街道沿いの拠点拠点を結んで進むことになった。

 こうして見ると、闇のモノがパーティーに加わったのは、いいことなのかもしれない。もちろん、嘘がなければ、だが。そう考えたクララの心を読んだのか、アルミスが「すぐに分かるよ」とだけ言った。

 アルミスを先頭に、一行は最初にトンネルを抜けた時に見た集落、カルムの村へ歩いている。

 カルムの村は、国境を越えて来て、一休みする旅人や兵士のための集落で、規模はそれほど大きくない。それでも、四十軒ほどの建物―中には教会らしき建物も見える―が見える。だんだん、200メートル、100メートルと近づくにつれ、何とはなしに、不安な感じがしてきた。

 なにかが、おかしい。すぐに気づいた。というか、気付かされた。

 キーラが「人がいませんね」と言ったから。そうなのだ。それなりの集落なのに、人影がない。

 こちら―侵食の―側に来てから、ずっと暗かったのでどれほどの時間がたったかは分からないが、ちょっと考えても、まだ、皆が寝静まるには、少し、いやかなり早すぎる気がする。

「ストップ」「アイリ」

 ふたつの言葉は、アルミスの口から発せられたが、早すぎて同時に聞こえた。

 見ると、アルミスは剣を抜き、アイリは弓を番えている。なにも説明なく、アルミスは「シンベルグ」と怒鳴った。

 シンベルグは、なんとも貴族らしい落ち着きと、不思議な妖艶さで「ご自由に」とだけ言った。

 「3つか」と再びアルミス。

 考えているだけでは、到底追いつかない展開。

 「アイリ、左を頼む、魔導士殿、右端を」とアルミスが怒鳴った。

 薄ぼんやりと光る闇に眼を凝らして、何がどうなっているのか、ようやく理解出来た。遠く―今は100メートル程先、カルムの集落の端辺り―から3体の影が、物凄い速さでこちらに向かってきている。

 アルミスの指示に「はいっ」「おう」と二人が答える。アイリが弓を引きしぼり、放った。ひゅん、と音がする。矢は、3体の影の左端のひとつの上を越えて行った。

 司書が叫んだ。

「ライカンスロープの一種です!たぶん、ワーウルフ!通常のウルフより、速いんです!もう少し、手前を!あと、頭を狙わないと駄目です!」

 頷いてアイリが矢を―いつの間に次矢を番えたのか、全然分からなかった―放つ。生き物は、50メートルほどに近づいていた。

 それは、見たことのない大きさの狼だった。

 遠目には分からなかったが、まるで馬だ。

 黒く見えたのは闇のせいで、実際には、灰色のようだ。目が怖い。昔なにかの物語で読んだように、緑色にぼやけて光っている。敵かどうか、などは分からないが、あのスピードで一心不乱に駆けて来る様は、脅威でしかない。キャン、と声がして、左端の一頭が、誰かに後ろから引かれたようにして仰け反ると、そのまま倒れた。同時に、アルミスが駆け出す。老魔導士が何かを―おそらく古代ネリア語だろう。学校で習った―叫んだ。後ろからなので、分からないが、老魔導士の体のどこからか光の矢が飛び、アルミスの右を追い越した。残る2体は、一頭減ってもまるでスピードが落ちなかったが、右端の一頭は、光の矢を見ると、少し進路をずらして右に寄った。魔導士が、右手を無造作に振ると、矢はそのままのスピードで左に曲がり、右に寄った1体の頭にぶつかった。矢が当たった一頭は、右に向かったまま、激しく前転すると、そのまま動かなくなった。すべてが見える距離だ。残り一頭。クララ達一団の前方30メートルで、アルミスが剣を右手に立っている。危ない、そう、叫びそうになった。残る一頭が猛然としたスピードで、アルミスの正面からやってくる。そして、アルミスに向かって跳んだ。大きく口を開いて。アルミスは飛ばない。ただ、両手で剣を握ると、左に一歩動いて、剣を右から左に斜めに振り上げた。剣の切っ先が光った。最後の一頭は、首を後方に残し、胴体だけのまま、それでもこちらに向かって10メートル程進むとよろよろと失速し、お座りする様に止まった。

 アルミスが、首を一瞥し、剣を振って血糊を落とし、鞘に納めて戻って来る。

 凄い。凄すぎる。

 あっと言う間もなかった。

 アイリが駆け出したので、クララ達も我にかえってアルミスを迎えに行く。

「確かにワーフルフらしい。オレも見たのは二度目だが」とアルミスが言う。

 少し、肩で息をしているようだ。

「森は危険だ、とか言ってましたよね」とアイリがシンベルグに質問ではなく、詰問調で言った。

「そんなに、怒らなくても。私はどちらがより危険かで言ったら、森の方が危険だ、といったつもりでして。我々の国の者たちが来ている以上、ある程度は、どこも危険なのですよ」

 シンベルグが、申し訳なさそうだが、どこか軽い口調で答えた。

「森の方は、闇の空気の濃度が濃いでしょう?ですから、ワーウルフのような、下等な者達よりも、高等な眷属が多いのですよ」

「確かに、そうじゃろう。アイリ殿よ、この闇の伯爵が言うことも、一理ある」

 老魔導士が、この老人にしては珍しくフォローを入れる。

「ワーウルフごときは、ほんの少し、闇の空気が漏れだしただけで、現れる。そこなアルミス殿は、二回目じゃという話じゃが、ワシは、十ではたらんよ」

 シンベルグが、お辞儀をした。アルミスが、アイリの肩を叩いた。アイリは、キッとシンベルグを睨んだ。

「このぐらいは覚悟のこと。それよりも、この三頭、皆、毛並みが血にまみれているのが気になる。気を付けて、カルムに入ろう」

 アルミスが言った。

 目と鼻の先、カルムに入る頃には、一団は落ち着きを取り戻していた。クララは、身動きすら出来なかったことを、後悔していた。トーマも同じようだ。二人とも、俯き加減で歩いていて、ちょっと眼が合った時にそう感じた。

 目を反らして、周囲の家屋を眺める。カルムの集落は、クララ達が歩いて来た方―門から見える側―に半円状に背の低い家が連なっている。二、三十もあるだろうか。寂しげだが、整然と並んでいる。五列ほどの家の列を歩きぬけると、50メートル程ほどの直径を持つ広場があった。

 「ひどい」と言ったのは、キーラ。クララは言葉が出なかった。代わりに、近くの家の壁に向かって、衝動的に吐いた。家の人に悪いな、とぼんやり思って、また吐いた。

 どこかで誰かも吐いている。ぼんやりと、トーマだろう、と思ったが、別に正解を知りたくはなかった。頭がガンガンする。急に、心臓が頭にあるような、妄想に襲われた。誰かが背中をさすったが、すぐに、鎧の上からでは無駄だと悟ったのか、首の辺り―頭の付け根辺り―を柔らかく揉みあげてくれる。呼吸を落ち着かせようと、鼻をかみ、鼻通りを良くしてから、鼻だけで呼吸をし、目を閉じた。そうして、壁に手をついたまま、しばらく動かずにいると、風が吹き抜けるのを感じられるようになった。少し、異臭もする。もう大丈夫、そう思って、頭を上げる。少し目眩がしたが、大きく深呼吸すると、楽になった。

 目をあけると、首に手を置いて、心配そうに覗き込んでいるアイリと目が合った。少し離れた家の壁際には、トーマがキーラに同じように首に手を当てられていた。

 大丈夫です、ありがとう、そう言うと、アイリは眼だけで微笑んで頷き、アルミス達の方へ歩いて行った。

 腰に下げた水筒で口をゆすぎ、クララも後を追う。最初に見た風景―いや、そんなのどかなものではない―と変わりはないのだが、不思議と嘔吐感はもう湧いてこない。人間、慣れるものなんだな、と思って、今度はなんだか泣けてきた。グッと堪える。ある程度は、覚悟してきたはず。そして、ここはまだ、入口なのだ。見つめなければ、そう思って、辺りを見渡した。

 広場は、クララの村同様、土が敷き詰められ、平らにならされていた。真ん中の大きめな円状の花壇に花が咲いている。その横に、死体がある。石が落ちている。その横に、死体がある。棒が落ちている。そしてまた、死体がある。

 ぼんやりとした明かりの中、無数の死体が転がっていた。どう見ても、自然死ではないものが。

 近づかないと、何とも言えないが、四肢がきちんと付いている死体の方が少ないのではないだろうか。多くは、遠目にも分かるほど、出血していた。衣服に染みがある。そして、血溜まり、という言葉の意味が、はっきり分かった。そのうち、頭がしっかり目の前の景色を認識出来るようになってきた。すると、死体が人間のものだけではないことに気づいた。三対一ぐらいの割合で、おそらくワーウルフだろうと思われる死体―死体というのだろうか―が転がっている。

「どうやら、戦闘があったらしいな」

 アルミスが言った。

「ええ、闇のモノと、カルムの人々、あとは、パーティーの連中ですね」

 今度は司書の声が聞こえた。変な話、こんな状況なのに、彼らの声で、クララは急に元気になるのを感じた。

「さっきのワーウルフ、この戦闘の生き残りか。どうりで、数がすくないわけじゃ」

 老魔導士が言う。三人のやりとりに混じって、アイリがシンベルグを、「知っていたの?」と詰問する声がする。「まさか」とシンベルグは答える。見なくても、シンベルグが大きく頭と手を振っているのは想像出来た。

 「行こう、ここにはもう何もない」そう言って、アルミスが一同を促した。皆、否はない。

 クララは小走りで、なるべく大人達のそばによると、後ろに付いた。アルミスは街道に戻るのかと思ったが、死体を避け、円形の広場の端を、集落の奥へと向かって歩いた。

 途中、アイリが「どこに行くんですか」とアルミスに聞いた。アルミスは黙って、集落の反対の出口にある、セラ教の教会を指差した。

 教会まで、誰も一言も話さなかった。


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