1日目 一段目

1―6「一段目」      

人生で大切なことは

「どこ」でも「なに」でも無く。

「だれと」じゃない? 

 <アイリ>


 トンネルの中で司書が教えてくれた、デコイは土に還る、というのは本当だった。

 身長3メートルほどの土の塊と化していた。その土くれの後ろを回りこみ、一行は打ち合わせ通り左手にある、グリーンウォールの森を目指す。

 前方にアルミス、後衛にトーマ。中ほどをアイリが警戒し、足早に移動する。

 グリーンウォールの右手には、平地が広がり、遠くには―平野だから見えるが、実際にはかなり遠い―村が見える。

 夜、ではある。ところが、仄かに明るい。月明かりと言うのかどうか。空気が光っている、という表現がしっくりくるだろうか。感覚的には暗ければ夜、夜と言えば、月明かりの下にいる気がするが、どこか均一というか、無機質な薄明かりが、空から差している。そして、月は見えない。雲が空を一面覆っている。

 何か動くものは、と探したが、見渡す限りは生き物の姿はない。

 たまに動きがあっても、それは風のいたずらに弄ばれる木々にすぎなかった。

 森のそばに来た頃には、油断ではないが、緊張はほぐれていた。

 少なくとも、臨戦態勢、というわけではなかった。

 木々は、近くで見るととても大きく、黒々とよく茂っていた。

 妙な光の下で見ているからかもしれない。

 アルミスは、森と平野の境目に身をおいて、両方を交互に見ている。剣はもう鞘の中だ。

 クララも立ち止まって、今来た門の方を見る。

 門の出口はもう両手で円を作ったくらいの大きさになっている。

 しばらく、アルミスと二人で、皆が辿り着くのを待った。

 やはり、老人はきつそうだ。

 キーラは、意外に顔色ひとつかえていない。ただ、闇の中でも綺麗に白く光る頬に、汗が流れている。

 トーマも汗をかいているが、見習剣士らしく、歩き方が弾むようで、まだまだ元気そうだ。

 アイリは、もともとそういう体質なのか、汗一つかかず、神話の女神のようだ。アイリは、司書とトーマを先に行かせ、今は後衛で、一行の背を守りながら、後ろ脚で歩いている。

 司書は、大きく溜息をついた。呆れて、とか、そういうわけではなく、深呼吸代りのようだ。司書というのは、皆あんな呑気な感じなのだろうか、とクララは思った。

 ようやく、全員が、森の端にある大きな木の下に辿り着いた。

 風が走る。

 始めにアイリの黒髪が後ろに流れ、次にキーラ―暑いのか、フードを脱いでいる―の紫の髪が舞い、続いてクララの緑の髪が揺れ、最後に森がざわめく。

 妙に静かで落ち着く瞬間だった。

 心なしか、老魔導士の顔すら穏やかに見える。

 さっきのトンネル内での緊張がほぐれたせいか。

 結局何だったんだろう、クララがそう聞こうとアルミスの方を向きなおった時だった。

 何か黒い塊が、ふわり、と森の中から舞い上がり―そう見えた―アルミスの後ろに降り立った。

 クララは驚いて、指を指すことしか出来ない。

 アルミスは、クララが指を指す前に―クララの表情を見て、何か感じたのだろう―振り返って剣を抜いていた。その動きを見てかどうか、塊は、中空で再び舞い上がると、10メートル程後方―森の方―に戻り、そのまま地面に落ちた。

 塊がむっくりといった感じで大きくなる。

 後ろで皆が緊張する音が、よく聞こえる。

 背景が森のため、塊はぼんやりとしてみえたが、どうやら、人影のようだ。全身黒づくめである。

 風が再び吹き、服がはためく。

 最初スカートのように見えたものは、どうやらマントらしい。裏地は、赤地に黒で細く線が入ったチェックだ。

 人影は、顔の辺りで交差させていた腕を、少しずつ体の両サイドに下ろすと、マント地を掴んで、風を抑える。その顔は、10メートル程の距離をしても、真白に見える。アイリも白い、キーラはなお白いが、それは今、目の前にいる人物からしたら、人間の白さでしかない、そういう白さだった。病的、というのでもない。何かを超越した白さだった。陶器のような。絵の具の様な。その姿は、奇妙だった。厳密にいうと、この場所で会うには、奇妙だった。 

 夜会服のような、真っ黒の燕尾服―おそらく、だが―を着て、膝までのマントを羽織っている。武器のようなものは持っていない。手にも、腰にも。普通、森と平野の境目で、ドレスアップした人間にあったら、誰でも奇妙に思うのではないだろうか。

 アルミスが、そういう人間に聞くには、これか、どのみち似たような内容が他に二、三しか思いつかないフレーズを使った。

「何者だ?」

 応える声はまた、ヒトのルールをどこか無視した響きで聞こえた。

「シンベルグ。ランぺリオ・シンベルグと申します」

 拡散、というのか。普通、声というのは、指向性を持っているもの、だと思う。 

 シンベルグ―この地方の人間にしては珍しく、名字から名乗った―と名乗るその人物の声は、後ろから聞こえるようでもあり、横から聞こえるようでもあり、なんとなく、心を乱されるような声だった。声というより、音、という方がしっくりくる。これで、もう少し高音だったり、もう少し音量が大きければ、ずっとは聞いていられないだろう。たぶん、気が狂う。ランぺリオの声は、囁き声のような、妙に低いトーンの声だった。

 アルミスは、流石に有名な騎士だ。

「それで、シンベルグとやら、何か用か?」

「男性の方は、私の名を呼ぶとき、シンベルグ殿か、ランぺリオ卿とお呼び下さい。女性の方は、その限りではありません。お好きな名でお呼び捨て下さい」

 芝居がかったお辞儀をしながら、シンベルグは言った。

「ランぺリオ卿?お主貴族か?」

 老魔導士がクララの後方で聞いた。

「左様です。ここより近くて遠き国。あなたがた、ヒトには、トリダーク、地獄、あるいはヘルと呼ばれる闇の世界では、ランペリオ伯爵とも呼ばれております。お好みでしたら、ランペリオ伯様とお呼びになっていただいてもけっこうですよ、魔導士殿」

 慇懃無礼ってこういうことなのかな、とクララは思った。ほんとはもっと驚くポイント―自分が初めて闇に住むモノと対峙している、とか―が沢山あるはずだが、なぜか、それほど驚かなかった。自分が伝え聞いていた、「魔物」とは、想像していたのと全然違った。確かに、普通の人間と比べて、どこか違和感は―生色が感じられないとか―あったが、全然恐ろしい感じはしなかった。もちろん、まだ分からないが。

「なぜ、ワシが魔導の者だと分かる?闇のモノよ」

 老魔導士は、ススッ、と杖を起こして尋ねる。緊張が、高まってきた気がする。いつの間にか、アルミスは一歩下がり、アイリは、アルミスの右手、5メートルのところに、移動していた。しかし、自分達が見たって、見た瞬間に「魔導士」と思う、とクララは思った。

「ふーむ。争うつもりはありませんよ。ただ、少しお尋ねしたいことがありまして」

 クララは、すでに緊張を解いていた。変な話だが、ランペリオ伯はどう見ても悪には見えなかった。どちらかというと、老魔導士の方が、悪人顔だ。

 シンベルグは、やれやれ、と困ったように―多分にわざとらしい―首を振り、両の掌を空に向けると、溜息をつきながら、右手を頬に添えて、全員を見た。まあ、人間ではないだろう、とクララは思った。体はピクリとも動かないのに、首が変にスムーズに動く。 

 悪人ではないが、妖しいのは確かだ。それにあの光る目。紅すぎる。こんなに赤目の人間はいない。シンベルグが動くたびに、トーマの鎧が、かちゃかちゃと音をたてる。

 クララは、皆を刺激しないように、そろそろと、後ろに下がった。

 キーラは何か思うことがあるのか、小首をかしげてシンベルグを見ている。クララと目が合うと、頷いた。クララも、軽く頷き返す。クララは、司書の隣まで下がると、その腕をつついて、この状況をなんとかするようにと訴えた。

 司書は、小声で「クララ殿の頼みではしょうがない」と言ったが、どのみち何かしようと考えている風だった。そのくせ表情に緊張感が無さ過ぎる。

「ランぺリオ伯。お初にお目にかかります。お会いできて光栄の至り。ご存じだとは思いますが、我々は侵食に挑む人間の内の一組です。出来れば、侵食の最奥まで、争いごとは避けたいのですが、お仲間はいらっしゃいますか?それと」少し溜める。「先ほどのジョークはどういうおつもりですか?」

 そう言って、司書は「トンネルの中で投げられた苦無を」とクララに囁いた。慌てて苦無を取り出し、司書に差し出す。「ありがとう」と言って、司書はシンベルグに苦無を振って見せた。

 シンベルグは笑った。声は聞こえないが、驚いたようにのけ反り、口元に手を当てて、前のめりになった仕草をしたので分かった。その顔は、とても嬉しそうに見えた。なるほど、なるほどと小声で言ったようだった。

「さすが、待った甲斐がありました。その苦無は確かに私の持ち物です。良かった、落としたかと思いました」

 最初、意味が分からなかったが、シンベルグが再び先ほどの笑うような動作を繰り返したので、ジョークだと分かった。ジョークですよ、と再び小声で聞こえた。 

 シンベルグの声は、空気の伝わり方によるのか、場合によっては指向性があるらしい。

「うんうん。あなたがたとはお話になりそうです。まあ、騎士殿、緊張なさらずに。そちらのお嬢さんなど見習ってはいかが?」

 そう言って細い眉を上げ、おどけて見せる。その顔が、急に無表情になった。

「私は確かにあなたがた人間が忌み嫌う、闇のイキモノです。魔物、とも言われます。なぜ嫌われるかも、ある程度は理解していますが、先ほども申し上げた通り、争う気は、一切ありません。おっと、質問にもお答えしますよ。なぜ、魔導士と分かったか、ですよね。そこの魔導士の方の指先に、微かに精霊の名残が見えるからです。納得していただけましたでしょうか?」

 司書がスッと前に出る。

「何をお待ちになっていたのですか?」

 アルミスは警戒しつつも、司書に任せる気になったのか、一歩退いて、シンベルグと司書の間から抜けた。それに合わせて、アイリ―とトーマも下がる。

「ふんふんふん。最後の組、ですかね。確証が有った訳ではありませんが、最後の組には、望むモノがあるのでは、と思いまして。ほら、よく言うでしょう?残り物には福来たる、とか」

 微妙に間違っている。残り物。

「最後の組ですか。なるほど、ところで、なぜ最後の組を?といいますか、なぜ、我々人間をお待ちになっていたのですか?」

 司書は、本を探している人間を相手にするようにも見える。

 シンベルグは、再び困ったような仕草をした。分かったことがある。シンベルグの動きは、芝居がかっている、のではなく、全部、モノマネなのだ。だいたい、こちらの動きとほぼ同じ動きをする。

「まあ、厳密に言いますと、最後の組を待っていた、というのは正しくありません。ただ、最後の組にいるだろう、と思われる、モノです。いや、ヒトですね。失礼しました」

 そう言って、再び、顔だけ動かして一人一人に視線を投げる。それを、と言って、苦無を指差す。

「投げたのは、もし当たったら、刺さったらということですが、もう諦めて帰ろうかと思ったからでして。見事に弾かれてしまいまして。そこで、皆様がひょっとしたら、私が探している組なのではないかと思いまして、参上致しました」

 「なにを」同時にアルミスと、老魔導士が言って顔を見合う。

「探しているのですか?」と、キーラが後を継いだ。にっこりと笑って―見ようによっては、無邪気に見えなくもない―シンベルグは言った。

「七生の賢者です」

 「なるほど」と司書が言った。こういう、知らない単語が出てきたときには、司書にしゃべらせるに限る、もうすでに、ひとつの真理に近い。クララは、じっと、司書を見た。司書が、顔の前で手を振る。あんまり見ないで、との意思表示のようだ。しかし、心意は伝わったようである。説明口調で話し始める。

「七生の賢者の噂は、わたくしもかねがね聞いております。噂ですが。この大陸に散らばる、七つの里に住む、七人の賢者の話ですね。侵食を分析し、侵食のために生きる賢者達。彼らは、代々、侵食についての知識を継承し、次なる侵食に備えるとか。そして、いざ侵食が起きると、その代の筆頭賢者を送り込み、侵食を止める、そう伝わっています」

 シンベルグはうんうん頷いている。

「しかし、なぜ七生の賢者を?」

 アルミスが聞いた。まだ、少し不審気である。

「それはですね、私はもう侵食の度にこちらに来て、三回目になるのですが、一度も七生の賢者に会ったことがないからです」

 聞けば、だいたいもっともなことを言うのだが、シンベルグの発言の後には、いつも「なぜ」が付きまとう。おかげで話が弾む。

「なぜ七生の賢者様にお会いしたいのですか?」

 キーラが涼やかに聞いた。クララは、三回の侵食を経験している寿命の長さに驚いた。もちろん、シンベルグはキーラに答える。

「三回とも、うろうろしている内に、侵食が収束してしまいまして。その度に、空気が薄くなるので、逃げるようにトリダークへ戻るのですが、トリダークの国では、また七生にやられたと、いつも噂になっていたものですから。実際、我々も、今回は逃げ帰ることにはならないだろう、と思ってこちらに伺う訳ですが、いつも七生とやらに侵食を収束に追いやられてしまうのです。ちょっとした、ヒーローですよ、トリダークでも。それで、私は是非後学のために、今回の侵食では、七生とご一緒させていただいて、いろいろ学びたい、そう思いまして」

 胡散臭い。

 なにか、嘘臭い。

 そんなクララの心を読んでか―皆そう感じただけだろうが―老魔導士が訊いた。

「そこの。なんだかんだと言いながら、早めに七生を見つけて、始末してしまおう、という考えであろう?」

 さすがに鋭い。皆、一応に頷く。シンベルグを除いて。シンベルグは、滅相もないと言って、大仰に首と手を横に振った。あまりの激しさに、風さえ感じる。

「だとしたら、わが眷属を呼んで、トンネルを封鎖すれば良いだけのこと。そうせずにお待ちしていたのは、純粋に七生の賢者に会いたいからです」

 確かに。クララは、ころころ意見が変わる自分が、少し面白くなった。しかし、誰の話もいちいちもっともなのだ。やはり皆、大人だ。黙って口を開けているトーマ以外は。そういえば、アイリがしゃべっていないな、と思ったタイミングで、アイリの声がした。

「それで、お前はどうしたいのだ?我々の組には七生の賢者殿はいないぞ」

 黒い死神の姿を垣間見た気がした。見ると、アイリは、いつの間にやら弓を引きしぼってシンベルグの横に向けている。シンベルグがひっ、と大仰に驚いた。確か、貴族だったはずだが、だんだんそう見えなくなってきた。いや、案外貴族とはこういうものなのだろうか。下ろしてください、下ろしてください、とシンベルグは繰り返す。アルミスが、アイリに目で下ろすように言った。

「でも、アルミス様」

「いいから」

 アイリは、しぶしぶといった感じで、矢先を下ろした。またぞろ、シンベルグは大仰に胸を撫で下ろした。ほう、とため息を吐く。

「七生の賢者に会えなかったのは残念ですが、侵食を封じる側、いや、封じようとする側ですねに回って見たいですね。皆さんと共に、旅をさせてもらえないでしょうか?もちろん、裏切ることはしません。なんでしたら、呪をかけていただいても結構です。一緒に旅をしていたら、七生の賢者にも会えるかも知れませんし」

 シンベルグ・ランぺリオ伯爵の申し出に、一同は顔を見合わせる。「どうします」と司書がアルミスに聞く。アルミスは、軽く頷いて「呪をかけられますか」と老魔導士に聞いた。老魔導士はひとつ頷くと「変わり者だな、お主」とシンベルグに言った。シンベルグはにっこり歯茎を見せて―八重歯がひどく長い―三回もやると、飽きるんですよ、と言った。


 

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