1日目 入り口
1-5「入口」
どこが入口?
どこが出口?
決めたのは誰?
<アルミスの姪ナユタ>
夕方までは、各自、自由に過ごした。クララは、緊張からか、疲れからか、現実と夢の世界との間をさまよっていた。天気でも良ければ、気晴らしに散歩にでも出ただろうが、霧は色濃くなるばかりで、一向に晴れる気配はなかった。陽が少しずつ落ちてきて、昼が終わりを告げつつあるのを感じたころ、どこかをうろついていたアルミス、アイリ、老魔導士、司書がコテージに帰って来た。暗黙の了解で、皆、荷物をまとめ始める。とはいっても、めいめい、マントを羽織って銅当てを装備しただけで、大きな荷物はなかった。
もちろん、神魔器を含む貴重品は持っているだろうが多くの荷物は、司書の持つ、神魔器―魔法の巾着―に入れた。老魔導士は、あからさまな疑いから、キーラは遠慮から、最初断っていたが、司書の「侵食の時に使わないで、いつ使うんですか」という一言に、それもそうだ、といった風でみな応じた。まあ、十にひとつは消えて無くなるのだから、便利なのだかどうか、難しいところだ。遠慮もしたくはなる。クララは遠慮なんかしたくても、出来なかった。ほとんど、荷物などなかったから。アイリがコテージの囲炉裏の火に砂をかけるとそれが出発の合図になった。
ぞろぞろと、外に出る。
「行こう」
アルミスが言うと、先に立って歩き出す。アルミスを先頭に、アイリ、老魔導士、キーラ、クララ、少年、司書の順だ。クララは、乳白色の朝から、薄暗闇の夜まで、今日は陽の光を見ていないことに気づいた。
侵食の内は、闇。そう、伝え聞く。クララもそのくらいの知識はあった。そう考えると、次に陽の光を見るのはいつなのだろうか、と少し、不安、いや、怖い気持ちになる。
少しずつ、門に近づく。妙な話だが、門だけは、昼間よりもはっきり見える気がする。気のせいか。門はしっかりと閉じられている。聞けば、鍵はかけられていないらしい。
近づくにつれ、門に刻まれている、ブリリアントパークの紋章―手前に四本、奥に三本の木の上に、鎧を着た戦いの女神が横向きに弓をつがえている―が、ぼんやりと見え始めた。
ブリリアントパークの紋章を知ったのは、つい一週間前―例の、アルミスとアイリと出会った日のことだ―だが、二週間前の自分は知らなかったことを思うと、少し、成長した気がして、変な話だが、嬉しくなる。門の二枚扉にまたがって書かれている文字は、門の名前だろうか。クララは、門の内に入ってからの流れについて、反芻を始めた。
今日の昼食後に、皆で何回も打ち合わせたので、問題ないとは思うが、本番前に、もう一度確認しておきたかった。なんだか、むしょうに喉が渇く。後ろでぶつぶつと、少年が呟いているのが聞こえた。まず、精霊魔法で…と聞こえる。少年も、流れを確認しているようだ。間違っているが。まず、老魔導士が、精霊魔法以外の魔法―詳しくは分からないが、精霊を呼ぶと、闇のモノに気づかれる恐れがあるらしい―を使い、門の内を調べる。
精霊魔法ではないので、魔法の仕掛けは分からないが、物理的な障害があるかどうかは判断出来るらしい。そうしたら今度は、司書が、魔法のアイテム―袋から無くなっていたらどうするのか、と聞いたら、同じ物を二十個ぐらい入れたから多分大丈夫、と変にいばられてしまった―で、隠された罠や、対人発動タイプの魔法を調査する。
もちろん、調べるだけではなく、見つかったら解除、あるいは、撤去する。
その後、アルミスを先頭に、右斜め後ろにアイリ、アイリの左後ろに少年―いちおう、剣士見習なので―その後ろに老魔導士が付き、先行する。離れ過ぎても、近過ぎても危険なので、各自五メートルほどの距離を置きながら、進むことにする。先行する四人が、無事に門の外に出たら、残りの三人は速やかに合流し、地図上では、門の出口―ブリリアントパーク国の入口―から左前100メートル程ほどの場所にある、森に入り、今後の方針を決める。
方針は半日ごとの短いスパンで決めていき、決して先を急がない。これが、当座の決定事項、のはず。アルミスは、もう少し細かい戦術を立てたいようだったが、老魔導士に、大軍を率いて戦う訳でもなし、と言われて黙った。クララとしては、あまり細かく設定されなくて、助かった。
絶対に覚えられない自信がある。
「門だ」
先頭のアルミスが、立ち止まった。門の前に着いた。遠目にも、かなりの大きさがあるのだろうとは思ったが、実際に目の前にすると、圧巻である。見上げて首が痛くなる高さだ。村にはなかった。司書が「縦30メートル、横は、3メートルの扉が二枚で6メートルあります」と教えてくれた。門は、上部に行くに従って丸みを帯び、頂点でひとつになっている。縁取るように石がつまれ、左右に広がり、やがて遠くまで城壁を成している。城壁の端は、門の前からは見えない。霧のせいだけではない。地図によると、城壁の長さは端から端まで、1,000メートルほどあるらしい。気付くと、アイリが門に手を添えて見上げていたので、横に立って同じように手を触れてみた。
触ると同時に、ゾクリと背筋を悪寒が走り、思わず一歩後ずさる。嫌な冷たさだ。歯にしみるような。アルミスが全員を見渡すと言った。
「行こう」
司書とキーラが頷く。クララは、門の表面を目でなぞって、一体どこに取っ手があるのだろう、ただ押せば開くものなのだろうか、と考えた。すると、スルスルと、司書が寄ってきて、アルミスの方を手の平で示すと言った。
「クララ殿」
見ると、アルミスは門の右手横にある石壁の一部を掌で押している。まさか、壁を壊して入るのだろうか。では、先行した他のパーティーは、どういう風にして入ったのだろうか。辺りに崩れた壁はない。ゴトッ。音がして、一片の石が、奥に押し込まれた。アルミスは、無言で、石がへこんだ部分に腕を肩まで差し込む。そうすると、アルミスが腕を差し込んでいる石の下部分―アルミスの腰の辺り―の石が、ゆっくりと沈み始めた。そして、アルミスの立っている城壁の、腰から下部分に、空間が出現した。老魔導士が指先に炎をちらつかせて、アルミスに近づく。
「ここか」
魔導士が呟いた。アルミスが無言のまま、先に立って降りる。どうやら、下に向かう階段になっているようである。決められた順に、腰をかがめて、アルミスに続く。縦、横共に、あまり幅はない。1メートル四方の穴だ。中は、石で出来た螺旋の階段。そういえば、学校で習った覚えがある。通常、門は外からは容易に開かない。守備兵が中から開ける。もちろん、外から入る入口もあるのだが、外敵の侵入に備えて、外からは分かり難くなっていることと、万が一、外敵に発見された場合、水を流して侵入を防ぐため、一度、地下に降りるような構造になっていること。いざ降りてみるまでは、忘れていたが、実際に自分が体験してみると、なるほどと思う。学校の授業も役に立つものだ。忘れてしまわなければ。いや、現にこうして思い出しているということは、忘れていた、わけではないのか。思い出さなくなっていただけ、か。いや、それを、忘れる、というのか。何考えてるんだろう、わたし。
老魔導士の掌にのる、小さな炎があるほか、光はない。薄明かりの中を、無言で歩くと、どうでもいい思考ばかり、頭を支配する。
「トルファの」
司書のささやくような声が、後ろから聞こえる。
どうやら、先を歩く老魔導士には聞こえなかったようで、司書は軽く咳払いすると「輝ける七つ星の大魔導士殿」と、少し声を大きくしてトルファの魔導士を呼んだ。ピタリ、と全体が止まる。アルミスは、丁度、階段の一番下、踊り場部分に降り立っていた。そこは、階段に比べ広く作られていて、横にアイリが立っている。老魔導士は、あと一段で降り切る所だった。
「なんじゃ?」
なんだか、久しぶりに声を聞いた気がする。老魔導士の声は、ひんやりした石の空間に、いつもより重々しさを増して聞こえた。
「そろそろ」
司書が言う。
「ああ」
老魔導士が「そうじゃな」と呟いて掌の上の炎を握りしめると、炎はかき消え、辺りは暗闇に支配された。そろそろ、ああ、という会話で、よく成立するものだ、とクララは感心してしまった。
「ちょっ、まだです。もう一度」
どうやら、完全には成立していなかったらしい。再び、辺りが薄明かりに包まれる。暗闇で炎をみると、落ち着くのはなぜだろう。あと、眠くなるのは。司書が、魔法の巾着―神魔器と呼んだ方が正しいのだろうが、なぜだか抵抗がある―をごそごそ言わせながら、階段を下り始める。押されるように、少年もクララも、階段を降り、全員が必然、踊り場に集まった。
「司書。前から聞きたかったんだが、その袋から物を出すとき、どうやって必要な物を取り出すんだ?」
アルミスが聞いた。それは、クララも気になる。
「ええ、ああ、ちょっと待って下さい」
司書は小瓶―透明で、中には仄かに青く光る液体が入っている―を取り出す。
「まあ、だいたいは、頭にイメージをして、袋の中を漁ると出てきます。イメージは、画像でも、言葉でも大丈夫です。今は、名前を忘れたので、青い小瓶をイメージしました」
そう言って、なぜか偉そうに胸を張った。
「じゃあ、司書さんが、名前も、どんな風だったかも、忘れたらどうなるんですか?」
剣士見習いトーマが聞いた。
「う~ん。わたくしが忘れたら、終わりですね。まあ、例えば剣だったら剣で、いろいろ出せるんでしょうけど、正解に辿り着くまで、一生かかるかもね」
あはは、と笑ったが、笑いどころが分からなかった。荷物を預けている皆は、不安そうに顔をしかめる。「まあ、忘れる物は、必要の無い物、ということわざもありますし」と司書は呑気に言った。
「ところで、それは?」
相変わらず可愛らしいが、どこか緊張した囁くような声で、アイリが聞いた。
「ええ、そろそろ、魔法は危ないので。近くに、少しでも高等魔法を使える闇のモノがいたら、ゆらめきに気づくでしょう。普通に暗いトンネル内で炎でも、十分目立つ。ですから、これを皆さん、瞼に塗ってください」
そう言って、司書は、自らの瞼の上に、アイシャドウを塗るように、瓶の中身―青く光る液体―を塗った。
「なんじゃ、それは」
老魔導士が、懐疑的な声を出す。少年とクララは、疑いもなく手のひらを差し出した格好で魔導士を見た。司書は、少し気分を害したように、眉を寄せる。
「オルトロスの涙ですよ」
名前覚えてるじゃん、とクララは心の中で突っ込んだ。「へえ、これが」とアルミス、アイリ、キーラが声を揃えて驚く。クララは知らない。トーマと目が合ったが、トーマはかぶりを振った。
「お主、それをどこで?」
老魔導士は、ますます怪訝そうだ。司書が、鼻から溜息をつく。
「サンサワの町は、かつて、大侵食があった際、人間の隠れ里となり、大反攻の拠点となった町のひとつです。あまり知られていないですが。敢えて隠している向きもあります。今でも、沢山の魔法の武器、道具類が集まる場所でもあるのです。オリトロスの涙は、漁師をしている、町長の弟さんから貰いました。納得していただきましたか?それとも、もう少し実家の話をしますか?」
老魔導士は、少し肩をすくめると、ふん、と鼻を鳴らして、手を差し出した。皆に、液体が行きわたり、それぞれ、瞼の上に塗る。思ったより、どろり、というか、ぬらり、としている。クララも、目を閉じて、瞼に塗ってみる。まだ、したことはないが―遊びではなんどかあるが―化粧をしているようで、なんだか楽しい。笑いそうになるのを、奥歯を噛みしめてこらえる。すうっ、と目の上が軽くなる。スースーする。
「眩しい!」
トーマの驚いた声にびっくりして目を開くと、まるで、昼間のように明るくて、眩しい、と叫んでしまった。
「もう、大丈夫だて」
老魔導士の声と共に、辺りが再び、薄明かりに包まれた。老魔導士は、もう手をローブの下にしまっている。先ほどまであった炎は、今はもうない。おかげで、周りの景色が丁度良く見える。見え方にムラがないせいか、炎があった時よりも、良く見える気さえする。これが、オルトロスの涙―初めて聞いたから、なぜ揉めていたかも分からない―の効果か。驚くことばかりだ。
「それでは、行きましょう。ちなみに、オルトロスの涙の効果は、半刻程度です。門のトンネルを抜けるのに、何事もなければ丁度、といったところですね。注意事項としては効果が発揮されている間は、光を放つ魔法を使ったり、見たりしないこと、ですね」
司書が言う。先ほどの眩しさで、十分理解出来た。おそらく、光を感じる感度を、通常時よりも高める薬なのだろう…たぶん。
「アルミス様」アイリが言うと、アルミスが再び先頭に立って歩き出した。階段は、今度は上りだ。クララは、普段から、訓練と称して、野山を駆け巡っているから、なんてこともないが―さすがに鎧は重く感じるが―老魔導士や、線の細いキーラは大丈夫なのか心配になる。司書のぜえぜえ言う荒い呼吸が後ろから聞こえるからなおさらだ。
ほどなくして、一行は、階段を登り切り、門の内に着いた。左手に、先ほどの門の裏が在る。門の裏には、アルミスの頭と同じくらいの高さのところに、大きな、そして重そうな閂が横に掛けられていた。
右手を見ると、門からつながるトンネルの向こうに外の光らしいものが見える。
遠いのと、微かな自然光であるがためなのか、眩しくは感じない。
老魔導士と司書が、なにやらごそごそやっている。打ち合わせしたとおり、トラップ類を調べているようだ。「何も無さそうです。今のところは」と結果が分かっていたように司書が言う。
クララから見ても、トンネルの出口までは、一直線、何も無さそうだ。
「さて、ここからは少し慎重に、な」
そう言うと、アルミスが腰に佩いた剣のうち、左の方を抜く。シャラン、と小気味の良い音がした。神魔器―ガラントの剣―ではないようだ。それでも、相当な業物だろう。剣の目利きは、それなりに自信がある。父親の遺品の中で、つるぎについて書かれた書物があったから。長さは1.5メートル程。幅広で重厚感がある。剣先の部分に行くに従って、若干細くなっているようだ。叩かれてから、左程経っていないのか、それとも、余程手入れが良いのか、一片の曇りもなく、両の刃部分には、うっすらと、波を打ったような模様が浮き出、諸刃の間には、おそらく退魔用の神聖文字。握りにはなめしが巻かれ―白く染められているようだ―柄の先には、リングが三つ付いている。全体のフォルムからすると、騎士団内紛時代の物にも見えるが、それだと百年は経過しているはずだ。それにしては、柄の部分といい、刀身の―淡く光っている様が美しい―水をたたえたような光具合といい…「おい」とトーマに
肩を叩かれた。
また、トリップしていたようだ。まずい。「大丈夫か?」と少年は聞いてくる。見ると、司書以外は、皆クララを囲むように立ち、クララを見つめていた。まじい。目をパチクリさせると、だっ、大丈夫です、と言った。それでも、皆、まだ怪訝そうだったが、再度、クララが、大丈夫です、すいません、少し、緊張して、と言うと、とりあえず、納得したようではあった。
「行こう。いいな」
アルミスが再度言うが、少し、呆れたようにも聞こえる。しまった。馬鹿だ、ほんと。
自分を少し、情けなく思えて、目頭が熱くなった。先行する老魔導士の足元を遠く見ながらゆっくりと歩く。こうなると、なかなか復活できない。しばらく、泣きそうになりながら歩くしかない。いっそ泣けたらすっきりするのに。ただ、泣きながら歩く騎士というのも、見たことがない。もう子供じゃないんだからしっかりしなきゃ。冷たい風が、奥から―トンネルの向こう、門の反対側―から吹いてくるのが、なんだか救われる心地だ。
ほんの二十メートル程歩くと、顔の火照りが納まってきた。暗闇で、誰にも見られていないから、立ち直るまでに時間がかからなかった。誰かに見られていると、延々落ち込んでしまう。そうだ、いつでも抜けるように、剣を握らなきゃ、と思った矢先だった。
シュン、という大きな音の後に「おっ」とアルミスが上げる声がした。そして、すぐにカインという、金属音。顔を上げると、火花が散るのが見えた。ズサッと、衣ずれが、そこかしこで起こる。クララも、剣に手を掛けたまま、半身で腰を落とした。しばらく、沈黙。そのうち、アルミスが小声で何か言うのが聞こえた。二十メートル先では、さすがに聞こえないが、アイリ、トーマ、老魔導士が動く気配がした。後続でも、司書が囁く。
「壁に寄りましょう」
キーラと、クララが頷いて壁を背にするように、後ろ脚で移動する。門の出口から、明かりが差している関係で、前方の影が動くのが良く見える。アルミス―ひと際大きな影なので、すぐに分かる―は、剣を右手に斜めに持ち、腰をおとしたまま動かない。アイリは、いつの間にか弓に―もちろん神魔器ではない―矢を番えている。トーマも剣を構えたが、アイリが顎で、少し離れるように指示する。老魔導士は、後ろからだと、微塵も動いていないように見える。そのまま、時間が過ぎた。1分、2分。いや、もっとか。剣の柄をにぎったままの態勢のせいか、少し肩がひきつるような感じがし始めた。が、動けない。
なにやらゴソゴソ動く音がして、首だけで音のする方を見ると、司書がしゃがみ込んで例の巾着の口に、手を突っ込んでいる。キーラは、体ごと、司書の手を覗きこんでいる。ここだけ、緊張感がない。クララも、フッと、肩の力が抜けた。「有った」と声がして、巾着の中から、小さな人形が出てきた。司書は、それを持ったまま、するするっと前へ出ると、老魔導士の後ろに着いた。何やら囁く。老魔導士と、二、三言交わすと、老魔導士が、アルミスとアイリの間に割って入り、二人の間で何か話した。二人とも、顔を前方に固定したまま、頷いた。それを見て、司書は、人形を地面に置く。すると、人形は、トコトコと、歩き始めた。クララは、キーラを見る。キーラは、相変わらず穏やかな顔つきで、にっこり笑うと「デコイですわ」と言った。今の状況では、それがなんなのか聞けない。とりあえず頷いて、人形に目を戻した。人形―デコイ―は、もう、アルミスの前方5メートル地点をトコトコと歩いている。心なしか、大きくなっているような…いや、確実に大きい。前に進んでいるのに、始めに見たときと同じ大きさだ。今はもう、アルミスと同じくらいの大きさに見える。10メートル、20メートル、デコイは進む。デコイが歩き出して、五分ほどたっただろうか。アルミス、アイリ、トーマはまだ武装解除していないが、もう身構えてはいない。デコイは、トンネルの出口手前に差し掛かり、そのまま出口に出てしまった。どうするんだろう、とクララはなんだか拍子ぬけしてたたずんでいた。そんな思いで、視線をデコイから、アルミス達に戻す。いつの間にか、アルミスは剣を鞘に収め、かがんで何かを拾っている。司書がこちらを振り返り、手招きした。
「行きましょう」
キーラが言って歩き出す。慌てて後を追う。肩に違和感を覚えて、腕を肩のあたりから回しながら。アルミスは立ち上がって、すっかりこちらを向いていた。手の平に乗せた何かを、引っくり返して見ている。
アイリとトーマは、前方を見据えている。
トーマは、命令されたのか、一応前方を見てはいるが、明らかに後ろが気になるようで、ちらちらと後ろを見たりしている。
「ちょっと」とアイリの鋭い声がして、トーマは慌てて前を見て頷いた。
皆の所に着くと、アルミスが表にしたり、裏にしているものが、良く見えた。それは、木の葉の形をした、刃物だった。確か、苦無という名の武器だ。父親の本に載っていた。本物は初めてだ。アルミスの顔を見ると、目が合った。アルミスは言った。
「確か、二ルダンでよく使われる武器だな」
司書が頷く。
「そうですね。この地方では余り見ません。二ルダンですとか、アジュールですとか、極東の民が好んで使う投げ武器です。コツを掴んでいないと、まっすぐ飛ばすことすら、ましてや、標的に当てることすら難しい物です。それにしても、よく弾きましたね」
「いや、相当遠くから飛んできたからな。おそらくは、トンネルの外だ。当たっても、致命傷にはならなかったろう。それにしても、味方ではない、何者かが投げたということだよな」
「そうですね。このあたりの騎士、剣士、その他の職種のいずれも、この武器は使わないでしょう。ご老人、いかがですか?」
司書が老魔導士に聞く。
「間違いなかろう。主に夜用の武具だしな。このあたりの、王国、皇国問わず、持っている者すら限られる。ましてや、トンネルの向こうじゃろう?その距離を放ってよこす使い手と言ったら、ワシの知る限りはおらんよ」
「ちょっと貸してくれんか」そう言って、老魔導士は、アルミスから苦無を受け取った。
アルミスと同じように、引っくり返して見ていたが「ふん」と言ってまた返す。
「呪、その他の魔法はかけられておらぬようじゃ。毒も、見たところはない。なんだか奇妙な話じゃが、挨拶代りのような感じもするの」
アルミスが受け取った苦無を鎧の内側に差し込もうとしたので、クララは、あっ、と声を出してしまった。
「ん?見たいのか、クララ?」
コクンと頷く。「じゃあやるよ、気を付けてな」と言ってアルミスは苦無をクララに柄の方を向けて渡した。クララは受け取った苦無を、眺める。珍しい苦無だ。本によると、普通は鉄、あるいは、銅のような金属類で作られるとあったが、この苦無は、おそらく水晶―青色の―で出来ている。ガントレットをしたままの指先で軽くはじくと、キンッと音がした。とてもキレイだ。クララは司書の袋に入れられないように、急いで鎧の内ポケットに入れた。
クララがそんなことをしているうちに、とりあえず、デコイがある地点までは安全だ、という司書の言葉で、皆、前進を再開することになっていた。アイリは弓をしまい、剣を抜く。
とてもキレイな細見の剣だ。さすがに、もう剣ばかり見ていては、怒られてしまう。後でゆっくり見せてもらうことにして、クララも剣を抜いて、後に続いた。しかし、この差はなんなのだろう。アルミス、アイリは、一見、剣を軽く握ったまま、無造作にも見えるが、まったく隙がない。
一方、自分はもちろんのこと、トーマはまったく強そうに見えない。トーマの剣も、悪くはないのだが。
隙と言えば、老魔導士もない。アルミス、アイリ以上に無造作にローブの前を合わせているだけなのに。
以外なことに、司書にもない。
キーラは、隙云々より、武器を持って、キーラに対峙することが出来ない雰囲気がある。これも、ある意味強さだ。
対して、自分は弱そうだし、実際弱いが、情けないとは、思わない。むしろ、嬉しい。自分が、実は、今回の侵食で最強のパーティーの一員になっている、そんな気がするから。結局、デコイの所に着くまで、何事もなかった。
一行は、久しぶりに、空の下に出た。
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