1日目 神魔器
1-3「扉」
運命はかく扉を開く。
<ある偉大な作曲家>
「贖罪の門」の手前900メートルほどの所には、一大野営地がある。
ここは、ブリリアントパーク国とイギアイム皇国との幾度となく行われた戦争―最早歴史上の話―の度に、イギアイム皇国側の前線基地として使用されていた場所で、野営地と言っても、周りを城壁に囲われた、ちょっとした砦程度の仕様となっている。
馬はここまでだな、とアルミスが言ったのは、どうも、この野営地までのことだったらしい。
いくつもの―ざっと30グループはいるだろうか―パーティーが、ここで一旦馬を停めている。
クララ一行も―アルミス一行というべきか―ここでひとまず一晩過ごして、明朝出発する事にした。
クララとしては、てっきり今日の内に門の内側―すなわち侵食の内―に入ることになると思っていたので、少し肩すかしの感は否めない。
すでに大半のパーティーは門の内に入ってしまったようで、千人規模の野営地に、30組程度のパーティーでは、妙に寂しさを感じる。
なんらかのコネのおかげか、クララ達のパーティーは、10棟あるコテージの内のひとつを借りて休むことになった。
今、コテージの中にある囲炉裏を囲んで七人は食事を取っている。
春の訪れを感じたとはいっても、夜はまだ冷え込む。
夕暮れ過ぎのこの時間になると、囲炉裏の炎と温かい食事は、何よりの御馳走だ。
門の向こうでも、同じように温かい料理が食べられるのだろうか、クララはそんなことを考えながら、香ばしい野兎の焼肉とパンを、交互に口に運んだ。
「ここで一晩明かそうと思ったのは、だ」
アルミスが口を開いた。
酒袋―確か山羊の胃袋から出来ているはず、もちろん、中身は山羊の乳ではないと思う―に口を付け、ゴクリと音を立てて何かを飲み込んだ。
顔が赤いのは、囲炉裏の炎のせいだけではないようだ。
袋をアイリに差し出して、軽く首を傾ける。
アイリは、首を横に振った。
「侵食の内に入る前に、いろいろと話しておきたくて、な」
言葉を区切って、また一口。
少し飲み過ぎではないか、とクララは思った。
「何について話すのだ?」
ケープのフードを目深にしたまま、老魔導士がアルミスに尋ねる。
アルミスは、目だけで老魔導士を見やる。
囲炉裏を中心に、七人。
アルミスの横に、アイリ。
アイリの横にクララ。
クララの横に、司書。
司書の横に、少年。
少年の横に、老魔導士。
老魔導士の横に、司祭が居て、その横にアルミスで、1周。
胡坐を組んだり、足を横に崩したり。
みな、何を思うのか、黙々と食事をしている。
そういえば、自己紹介もまだだな、そう思った。
自己紹介など、しないのかも知れないが。
そんな、クララの気持ちを読み取ったのか、アルミスが言葉をつないだ。
「我々は、なんらかの縁でここにいる。侵食の内に入る前に、自己紹介やら、今後の在り方について話しておきたくてな」
アルミスの言葉に、ふん、と老魔導士が鼻を鳴らす。
「はみ出し者のパーティーを、自分が仕切りたいようにしておきたいのだろう?バルクの筆頭騎士殿よ」
なるほど、という思いと、この老魔導士は偏屈だ、という考えが同時に浮かんだ。
アルミスは、少し渋面になって言った。
「最初から、そう決めつけられても困ります、トルファの魔導士殿。もちろん、その責を負わせて欲しいとは思いますが」
「ここは、バルクの国ではないし、わしらはぬしの部下ではないぞ」
トルファの魔導士と呼ばれた老人は、少し顔を上げて言う。
クララは、少しきょとん、としてしまった。
同年齢の少年はいるものの、自分が一番若輩だと思っていたので、とにかくパーティーに付いていけばなんとかなると思っていたせいもあるが、誰が仕切るか、なんて考えたこともなかった。
みんなで仲良く―仲良くはおかしいか―連れだって行くものだと思っていた。
少し気まずい空気が流れる。
パチッ、と火が爆ぜた。
カタン、と音を立てて司書が木の食器を置いた。
コホン、咳払いをする。
皆が、司書を見た。
黒よりは、少し明るい髪色。
濃いグレイに見える。
切れ長というに相応しい形をしたその眼の色は疑いの余地なしの黒色。
どちらかというと、白い肌と、細い眉ゆえに、所謂文系にカテゴライズされる―司書だから当たり前か―タイプ。
務めている図書館のものだろうか、濃紺の厚手のロープの両袖に、見慣れない―縦に三角がふたつ、その間に点がひとつある―紋章を付けている。
見たところ、武器らしいものは持っていない。
両肩から紐を、襷掛けにして、腰のあたりから二冊の本がぶら下がっている。
司書は、口角をあげて―無理やりに見える―微笑むと、髪を、右手で額から、頭頂部に向けて掻き上げると、口を開いた。
「まずは自己紹介をしてはいかがでしょうか?皆さんのお持ちになっている、神魔器についても、お互いに知っておいた方が良いと思われますし。その上で、今後の事を話会いましょう」
皆はうなずく。
司書は続けた。
「まずは、私から。言いだしっぺですからね。名前は、ギオ・ガブリング。ここからさほど遠くない、サンサワの町で、司書を務めております。クララ殿にはご挨拶済みですが、皆様にはまだでしたね。今回、ご一緒させていただくことになり、光栄です。何しろ、田舎町出身なので、知り合いもいなくて。一人で侵食の内に入ることになったらどうしようかと思って、眠れない夜を過ごしておりました。これも何かの縁でしょうな。まっこと、アルミス殿のおっしゃるとおり。それにしても、高名な、バルクの十二騎士団の中でも、複数騎士団を統括される、トリオと呼ばれる三人の内の一人、アルミス殿とご一緒出来るとは。その上、トルファの魔導士軍の中でも、最高位と見受けられる、いやいや、ケープの袖で分かります。太陽と月のマークに、隠れている星が七つありますよね?マスタークラスの魔導士しか、七つ星はないはず。しかも色合いが、紫ときたら、かの有名な、いやいや、後ほど自己紹介の際にお聞きしましょう。更に、アルミス殿の両隣、いやいや、うらやましい、いやいや。右隣の司祭殿は、有名な聖プーチ神殿のヒーラーとお見受け致します。そして、左隣は、黒のアイリ殿ですね。いやいや、美貌と苛烈さで、辺境の村でも有名ですよ。ご謙遜なさらずに。そうそう、昨年、蠍座の騎士団長に任命されたとか。おめでとうございます。さて、あとの二人、クララ殿と、トーマ君は、名前しか存じあげておりません。私もまだまだですな」
クララは面喰ってしまった。
他の皆もそうであるようだ。
よくしゃべる。
しかも、自己紹介だっただろうか。
そこを聞いてみたくて、口を開きかけたが、魔導士の質問の方が先だった。
「それで、貴公の神魔器はなんなのだ?」
あきらかに、いらいらっとした口調だった。
司書は、笑顔のまま答える。
「そうでした。神魔器。私の家、というか、務めております図書館に代々伝わる物なのですが」そういって、なにやら懐からごそごそと取り出した。
「これです」
新しく、は見えない。
ただ、汚くはない。
それは―司書の持つ神魔器は―帽子くらいの、紺色の巾着袋だった。
布ではないようだ。
不思議な光沢を放っている。
余計な飾り気は一切なく、ただ、巾着の首の部分をキュッと絞めている帯が、綺麗な桜色をしている。
クララは、自分のことを棚に上げて、これが本当に神魔器なのか、と疑ってしまった。
多分に、この司書の浮ついた感じも、根拠ではある。
「それで?」
アルミスが、冷静とも、イラつきを抑えこんだうえでの冷静さ、とも聞こえる声で尋ねた。
思った以上の驚嘆を得られず、少しがっかりしたように肩をすくめると、司書は、袋の説明を始めた。
「この袋は、私の務める、あっ、さっき言いましたな。まあ、代々司書に伝えられる一品でして。どういう仕組みかは、まあ、神のみぞ知る、あっ、悪魔もか、ともかく、中にたいがいのものは入ります。今回も、いろいろ、旅に役立ちそうなものを入れて来ました。しかも、重さが変わらない優れもの。ただ、あまり大きなものは入りません。私が試した限り、家とか城とかは入りません。まあ、バラバラにすれば入るんでしょうが。これが神の部分。そして、魔の部分は」武器でなくて、明らかに落胆したように見える面々も「魔」の部分は気になるようで、アイリが小さく喉を鳴らす。
「十にひとつは、物が無くなるようです。」
ガクッ、と音が聞こえるようだった。
一堂、少し座り直す。
アルミスと老魔導士は、露骨に首を振った。
この二人、意外に仲良くやっていけるのかも、タイミングが一緒とクララは思った。
すっかり酔いも醒めたのか、アルミスは首の後ろを掻きながら、何を入れてきたのか聞いた。
司書は「ちょっとお待ち下さい」といって、腰からぶら下げていた二冊の本の内、一冊を開くと、剣やら弓矢やらの武器と、食糧、それに野営時に結界を張るお札やら、竜の牙といった魔法の道具類の名を羅列した。
皆、落胆したようだが、クララは、司書の年代物の巾着が、意外に一番役立つ神魔器なのではないか、と思った。
口には出さない。
あとで、こっそり言ってあげよう。
なんだか、自己紹介の辺りはうやむやだが、とりあえず司書の持つ神魔器については、理解したようである。
自然、次のターンが誰か、という雰囲気になった。
ついつい、アルミスやら、アイリの方を見てしまうのは、オーラだろうか、癖だろうか。
アイリは相変わらず、アルミスを見て、周りを見る、というのを繰り返している。
「あの」おずおずと、意外なところから声が発せられた。
少年Aである。
トーマとか言ったか。
なんと、挙手している。
律儀なことである。
一度言葉を発すると、その後の沈黙が怖いのか、少年は捲し立てるように言葉を続けた。
「えっと、僕、いや、私は、南の国、サファルフォイの見習剣士で、トーマ、と言います。僕、いや、えっ?いいですか?すいません。僕の持ってきた神魔器も、えっと、そもそも神魔器なのかどうかも分からないのですが、いや、たぶん神魔器です、おじいちゃんが言ってました、武器じゃありません。最初に謝っておこうかと思って。そこの司書さんと一緒です。あっ、すいません。そういうつもりじゃなくてですね、武器じゃないんです。はい」
緊張しているのか、トーマは司書と違う意味で物凄い勢いでまくし立てた。
今まで無口だった人間がよくしゃべると、なんだか圧倒されてしまう。
しかも、興奮しすぎて、なにを話しているのか、よく分からなかった。
分かったのは、トーマという名と、見習剣士であるということ―非常に親近感を覚える―それと、なぜか謝っていたということだけだった。
皆に促されて、トーマはやや恥ずかしげに、それでも、どこか誇らしげに一対の靴を背中に背負っていた袋から取り出した。
これです、といって、目の前に置く。
それは、不思議な光沢をした靴だった。
否、光沢だと思ったのは、間違いで、どうも、刻一刻、色が微妙に変化しているようだ。
気のせいかと思って、目をしばたいても、やっぱり色が変化している。
今は、すこしずつ、赤が深い緑に変わりつつある。
ほうっ、と誰ともなく溜息が出る。
形は、靴、というより脛までの長さのブーツのようだ。紋章はとくに見当たらない。
「それで?」と、老魔導士がトーマに聞いた。
「効能はですね」子供だからか、温泉の説明でもしているようだ。
「神の部分が、時を操る、と聞きました。そして、魔の部分は、分かりません」
うーん、と皆一様に唸る。
魔の部分が分からなくては、使い様が無いのだ。
侵食に召集、あるいは、自ら赴く者たちは、必ず神魔器と呼ばれる、魔法の道具を持って来なくてはならないのは、周知の通りである。
たいていの神魔器は、その由来や、使い方―トーマの言葉を借りるなら、効能―を記した文書と一緒に、封印されているのが常である。
神魔器の所有者の多くが、高官だったり、高位の魔導士、司祭だったり、騎士達であるため、比較的きちんと保管されているからだろう、という説もある。
これは、侵食が納まった後に、跡地に優先的に入ることが出来ることが理由のようだ。
だが、時に、このような形で、魔の部分が分からずに伝承されている神魔器もある。
このような神魔器は、未完器や、半完器と呼ばれ、忌嫌われる。危なくて使えない、のだ。
見習剣士は、そんな空気を察したようで、少し残念そうに―半分泣きそうになって―靴を袋にしまった。
こいつとは、上手くやれるかも、そうクララは思った。
では、と次に口を開いたのは、聖プーチの女司祭だった。
「名を、キーラと申します」フードを脱ぎながら、司祭は言った。
話す、というよりは歌っているようだとクララは思った。
フードの下には、艶やかな紫色の髪と、水晶のような水色の瞳が隠れていた。
肌が透き通るように白い。
キーラ、何と言うのですか?と、トーマが憑かれたように見つめながら聞く。
聖プーチの神官は、名字が無いのです、何故か司書が答えた。
キーラが微笑みながらうなずく。
キーラは、きちんと正坐したまま、右手に横たえていた杖を、横にしてひざの上に乗せた。
「わたくしの持ちよりし神器はこちらです」
杖は70センチ程の長さで、見たところ、木製ではないようだ。
淡い灰色で、時折鈍く光る。
「わたくしは、幼い頃から神殿で育ったものですから、この度のこともよくは存じ上げません。ただ、神官長様から、お行きなさい、と言われまして、こちらに参った次第です」
言葉づかい、物腰、そして、今までフードを深く被っていたので、年配だと思っていたが、どう見ても、二十歳そこそこ。
「皆様おっしゃいます、シンマキ、という言葉も、耳慣れない言葉でしたので、最初、何をお話になってらっしゃるか、不思議に思って聞いておりましたが、司書様と、トーマ様のお話を聞いて、ああ、なるほど、今の神官長様が持たせて下さった、こちらのエルの杖のことか、と合点がいきました」
場が、不思議な癒しで満たされる。
「この杖、エルの杖と、わたくしどもは呼んでおります。この杖は、古代から、神殿に伝えられている、不思議な杖です。なんでも、材質も、由来もよく分からないとか。レイラさん、神殿に出入りされている鍛冶屋さんのお話では、この杖の素材は、この世にあるものではないとか。ただ、杖の横に」そういって両手の掌で杖を捧げるように持つと、ELLという文字が見えた。
「エル、と読めますでしょう?」
そういって、杖を膝の上に戻す。
「それでわたくし共は、エルの杖と。由来は分からないのですが、神殿の図書館にある、200年前の神官長様の日記、現存するのは一部なのですが、それによりますと、幸いなる杖、余人の痛みを拭う光の杖、とございます。おそらく、怪我をなされた方の苦しみを解き放つのが、皆様のおっしゃります、効能、ですか、それに当たるのではないかと」
ここで、少し歌が途切れる。
キーラは、秀麗な細い眉を困ったように曲げながら「魔、ですか」と歌を紡ぐ。
「そういったなにかしらの副作用のようなものがあるらしく、神殿内でも、禁忌の間においてございました」
「魔の領域はご存じないのですか?」
アルミスが、優しく尋ねる。
アイリの眉が尖り気味に見えるのは、クララの考え過ぎだろうか。
ほうっ、と優しげにため息を吐くと、首を振りながら「存じあげません」とキーラは答えた。
「ああ、それでしたら、知っております」
こともなげに答えた司書を、皆が注目する。
およそ、驚くことがないかのような、落ち着いた雰囲気のキーラですら、目を見開き、桃色の唇を薄く開けて司書を見つめた。
クララもびっくりして、司書を見た。
コキッと、首がなった。
皆に見られて司書は、逆に驚いたように、少し身を引いた。
何をそんなに驚くのかといった風情で、きょろきょろしている。
「なぜ知っている?」
老魔導士が詰問調で尋ねる。
司書は、眉と肩を器用に同時に上げて答えた。
「言ったでしょう?私は司書だと」
「それで?」
今度はアルミスがきつく尋ねる。
困ったように、眉をよせる司書。
キーラ様と違って可愛くない、とクララは思った。
「わたくしの図書館に、キーラ殿の神殿、つまり聖プーチ神殿の神官長家に代々伝わる日記があるのですよ」
こともなげに言った。
しかも、キーラを真似れば可愛いと思ったのか、「わたし」を、「わたくし」と言い換えている。
クララには、つぼだった。
周りは当然、露とも触れない。
アイリも気づいたのか、顔をアルミスとは別の方向に向けて唇を噛みしめている。
アルミスが、苦々しげにアイリを見て、司書に「魔を」と短く言った。
「魔はですね、心を病む、とありました」
司書はこともなげに―再び―答えた。
司書のいいところは、無駄に溜めないことだな、とクララは感心した。
浮ついて見えるが、案外正直ものなのかもしれない。
そこは、ポイントが高い。
「どういうことです?」とキーラが聞く。
「それはですね」と答える口調が、アルミスや老魔導士に答える時とは明らかに違う優しげな感じで、クララはイラッとした。
前言撤回、ただのエロだ。
「それはですね、キーラ殿。原文ままに言いますと、幸いなりエル。エルの杖は、闇し物も、闇し心も照らす光の杖。杖に出会い、杖を使えし者は、選ばれしものなり。まず、乙女であること。まず、清らかであること。杖は人を選びし。杖にエルの文字が浮き出しが、証なり。全ての闇は、消え去りし。但し、人なる物の闇のみ。しかして、闇を払いしは、神の御心。試されし心。杖が選びしは、神に選ばれたるが故に、その身と心もまた、選ばれし。然るに、杖を振り、闇を払いし度に、神の膝元へ近づかん。神に仕えしために。ということですね」
途中からよく分からなかった。
トーマが手を挙げてそんなクララの気持ちを代弁してくれた。
「すいません。分かりません、先生」
最早誰もいちいちつっこまない。
いつの間にか、場が少し和んでいる。
うんうん、とうなずくと、司書が答えた。
「まあ、簡単に言うと、人の闇、この場合、つまりは病です、これを何でも治せる杖です。身体的にも、精神的にも。ただ、使えるのは、その…まあ…キーラ殿のような方だけです。ただし、」一旦言葉を切ると、心なしか真剣な面持ちになって続けた。「使えば使うほど、使用者は死に近づきます」
ピカッ、と外が一瞬明るくなって、時間差でゴロゴロと音がした。
ついで、サーッと、いう水音。
雨が降り出した。
少し和んだ空気が、また、冷え込んだ。
一瞬、時が止まったような、いや、滞ったような感じがした。
パチッ、と薪が爆ぜる音が、沈黙を破った。
ん、んんっ、と咳払いがした。
皆、老魔導士の方を見る。
もう一度咳払いをすると、老人は、しわがれた声で語り―語るというに相応しい物々しさで―始めた。
「ワシが持っているのは、ほうれ」というとマジシャンのように、袖を振って、どこからともなく綺麗な水晶を呼び出した。
「これは」咳払いひとつ。
「魔障の水晶と言う。そこな、存外に物知りの司書がいうとおり、ワシはトルファ王朝付きの魔導士よ。存外に物知りゆえ、語るつもりのないことも、語らねばなるまいて。他人に語られるのも気分が悪いでな。そうよ、その顔。まあ、多少目端の利く人間なら思うわな。神魔の器の中で、侵食に対するに最も相応しくない道具の内のひとつと言われる器を持ってきたかと。もう少し、レベルの低い連中と一緒かと、油断したわい」
クララは、目端が利かない部類に入るのか、なにを言っているのか全く分からなかった。
アルミスと、司書、それに少年は―少年は怪しいが―物知り顔でいる。
老魔導士とアルミスが、ほぼ同時に、司書が、口を開こうとするのを、機先を制し、片手をかざして止める。
アルミスと目が合うと、老魔導士はニヤリとした。
アルミスは、軽く眉をあげる。
二人とも、案外いいコンビなんじゃ、とクララは再び思った。
「司書よ。ワシに話させてもらおうかの。何せ年寄りは、人生が短くてな。話せる時に、話しておきたいのよ。これ、この水晶はな」
水晶は、老人の掌の上、5センチほどのところで、浮きながら、ゆっくりと回転している。
「さっきも言ったが、魔障の水晶よ。まあ、正式になんというかは、分からん。多くの神魔器がそうであるようにな。王朝の学術魔導士どもは、そう呼んでおる。生きている人間で、使ったことがある人間はおらん。だから、ほんとのところは分からんが、王朝の秘史によると、たいていの神魔器がそうであるように、神が作りし物に、悪魔が呪を掛けたのではなく、そう、逆じゃ、悪魔が作りし物に神が罰を与えた物、そう記されておる。効能、と言ったかな、面白い言葉じゃ。長生きはするものよ。お主たちの言う、効能はこうじゃ。すべて闇の魔法を打ち消し、すべて闇の魔法を使うことが出来る、じゃ」
皆、水晶の輝きに魅せられたように、沈黙を守り、言葉を待つ。
「ふふん、気になろう。魔、いや、この器に関しては、神の部分になろうかの。それは、使用者の契約しているすべての精霊との契約を、強制的に解除する、じゃ」
分かったような、分からなかったような、自然と首をかしげていたらしい。
老魔導士と目が合うと、老魔導士が、にやり、とした。
「やれやれ。若い女子には、難しかったようじゃな。ふうむ。少ししんどいが、事細かに説明するとするか。ワシらトンファの魔導士は、まあ程度の差はあれ、どの国の魔導士も、魔術師も、司祭も、じゃが、修行の末、使いたい魔法の精霊と会話することによって、精霊の力を得、状態を具現化するわけじゃ。例えば、ほれ」
老魔導士は水晶を再び空中から消すと、右手の中指で、親指を弾いた。
すると、小さな―マッチの炎ほどの―火球が、魔導士の中指の先から、囲炉裏の炎の中に飛んで行き、炎に溶けた。
「これは炎の下級精霊、サラマンと契約することによって、サラマンを使役出来るようになったものが、使える魔法なのじゃ。そうして、少しづつ契約を増やし、使える魔法を多くしていくのが、一般的に魔法使いと言われる者達の在り方じゃ。そこまでは、分かろうて。しかし、ワシらの中でも、契約してはならない精霊というのが存在する。それは、闇の精霊たちじゃ。その力は、凄まじい。その上、恐ろしい。何が恐ろしいて、契約自体は簡単で魅力的であることよ。闇の精霊と契約したものは、修行による意識階級の階層上げやら、数多の精霊言語、竜言語の学び、そういった努力を全くなしに、多くの闇の魔法を使うことが出来るようになるのじゃ。年に何人かはおるよ。闇の精霊と契約を結ぶ愚か者が。誘惑に転ぶ愚か者が。禁断の実が、魅惑的な果実が、如何に知らず知らずの内に身を蝕むかを知らぬ愚か者が。ワシらは、そういうモノ達を、フォーリナーと呼んでおる」
一拍。
「そして」
さらに一呼吸の間。
「消滅させておる」
ピカッと、また閃光が走った。
老魔導士は、いつの間にか右手にグラスを持っている。
ゴクリ、と中の液体を―茶?だろうか―飲み「やれやれ、喉が渇くわい」というと、再び、語り始めた。
「やつらは強い。闇の精霊魔法自体も強いが、なにしろ狂っておるからな。いや、半ば死んでおるからな。ほんとかどうかは―自分で試したことがないから―分からんが、闇の精霊と契約すると、他の契約精霊達が、喰われてしまうらしい。そうして、精霊を喰らい尽くすと、今度は術者の魂を喰らい始めるらしい。最終的にはどうなるかじゃと?魂を喰らい尽くされたモノは知らん。会ったことがないでな。一説には、闇そのものになるとか。闇の世界でしか、呼吸できなくなるとか。そう、侵食の内じゃな。たいがいは、その前に消滅させてやる。むしろ、慈悲じゃと思うちょる。総称はフォーリナーじゃが、段階によって、堕落度によって、下りしモノ、堕ちしモノ、まあ、十三段階の呼び名がある。ワシも、六段階堕ちまでしか、戦ったことはない。時代にもよるが、それ以下のモノは、そうそう現れんらしい。下れば下るほど強く、そして、卑怯になる。卑怯なモノと戦うのは、こちらがまともなだけに辛いぞ。まあ、詳しくは語れんがな」
老人がゆっくりと掌を、囲炉裏の火にかざす。
一瞬、また魔法かと思って、クララはビクッと後ろに下がった。
トーマもそうらしい。
ただトーマは、後ろに下がらず、その場で少し腰を浮かせた。
トーマが話したことが、過去のようだ。
もちろん、過去だが、うんと昔に思える。
「魔導士様、話の筋が少し」とキーラが無邪気な顔で言った。
ニヤリ、というより、ニコリといった風に、老人は少し気恥かしげに―気のせいか―笑った。
案外可愛らしい。
クララは、自分に向けてする渋い顔と違うので、少しイラッとした。
老魔導士は続ける。
「そうじゃな。少し話が逸れてしまったわい。すまんの。まあ、ようは、あれじゃ、この水晶を使うと、闇の精霊を使役出来る代わりに、他の精霊すべてを失う、なおかつ、いずれ、闇に堕ちてしまう、ということじゃ」
ずいぶん簡単にまとめたものだな、と思った。
大人は意外によくしゃべる。
「魔導士殿」
アルミスが話しかけた。
久しぶりにアルミスの声を聞いた気がする。
「一つおたずねしたいのは、魔導士殿が、なぜ、神魔器の中でも、禁忌と言われている、魔神器をお持ちになったのか、ということなのですが」
老人の話を聞いて、只者ではない、と感じたのか、アルミスの語りかけは、さきほどまでとは違い、敬意が感じられた。
ふうむ、と老人は顎をさすりながら満足気に唸った。
「逆に、じゃ」
老人が言う。
まさか、逆においしいから、とか言わないよな、とクララは思った。
「逆に、じゃ。主ら、こういう話を知っているか?神魔器は、魔を呼び、魔神器は、魔を遠ざける」
聞いたことがありませんね、逆ならありますが、と司書が言う。
「まあ、遠ざけるは言い過ぎじゃろうがの。さすがの司書も、読んだことがなかろうが、トルファ王朝秘史、四巻の侵食の項に、そういう意味の文があるらしい。学術魔導士共が言っておった。あとは、あれじゃ、もうこれしか持ち出せる器がなかったのじゃ」
魔導士は、司書の目を、眠たげに細めて見ている。
なるほど、参加資格のためですか、と司書は頷きながら言った。
「そうじゃ。侵食の内に入るには、器がなくては入れぬ決まり。魔障の水晶には、そもそも頼る必要がない。ワシは、かつては、輝ける四大魔導士の一人にも数えられたトルファ王朝魔導隊の名誉顧問、オーヴォ・アクイナスじゃからな」
誇らしげに魔導士はそう言うと、心持ち、顎を上げた。
「貴公が」「魔導士殿が」「魔導士様が」とアルミス、アイリ、キーラが一様に驚く。
どうやら、相当有名な魔導士らしい。
しかし、全く語る気配のない人が、割と良くしゃべる、人は見かけに依らないとクララは思った。
もちろん、言いはしない。
クララにしてみれば、いくつか、疑問もあったが、とりあえず老魔導士は満足したらしい。
自然、間が出来た。
それで「次はアタシですね」とアイリが言った。
囲炉裏の炎を反射して、ほんのり赤味が差した顔は、戦女神の彫刻のように凛としている。
見た目、キリリとしているし、動きも颯爽というか、キビキビしているので、冷たい印象を与えるが、声はかぼそく可愛らしい。
最初、そのギャップに、クララも驚いたものだ。
「もうご存じかと思いますが、アイリです。フルネームは、アイリ・シルヴィスと言います。アタシのは、これです」
アイリは、背負っていた何かの―管楽器を入れるようなケースだ―ケースを膝の上に置くと、パチン、という音をたてて、留め金を外すと、蓋を開いた。
中には、弓型の型に嵌まって、一張の美しい弓が入っていた。弓の張りの部分には、様々な色合いの小さな宝石が埋め込まれ、今は囲炉裏の火を反射して、美しくも妖しく輝いている。
弦は珍しい紫色。
弓の先端―おそらく上部―には、金色の天使、そしてその反対側の先端には、黒色の悪魔がそれぞれ弓を射かけた格好のフィギアが付いている。
天使はバルク地方の神話でよくみられる、子供ではなく、髪の長い大人の女性―天使に性別があったか―で矢の進行方向を見据え、下部の悪魔は、醜悪な獣―オオカミにも見える―が射手の方を向いて二本脚で立ち、残りの二本の脚で弓を射かけている。
アイリは、しばらく弓を見つめたままでいたが、再び蓋を閉じると話し始めた。
「アタシの持ってきた神魔器は、リシェルの弓、と言われる弓です。あっ、皆さん見たから分かりますよね」
かぼそく可愛らしく話す姿は、とても―司書も言った通り―黒のアイリその人だとは思えない。
黒い死神―黒のアイリのふたつ名である―の名前は、田舎育ちのクララでさえ聞いたことがある。
司書は遠慮して、黒のアイリの名を使ったのであろう。
黒い死神の方が、一般的には有名だ。
「ほっ。黒い死神と、北の巨人がお揃いでの。バルクの守りは大丈夫かいの」
遠慮して言わないことを、老魔導士が意地悪な声で言ってしまった。
クララはこういう、空気の読めない人間が嫌いだ。
「それは…」
アイリがアルミスを見る。
アルミスは、首を一度左右に振ると、
「それはおいおいお話することにしましょう。老にも、お聞きしたいこともある。が、差し当たっては、侵食でしょう」
そう言って、アイリに頷いてみせた。
アルミスは仕返しのつもりか「老人」と呼び、案外応えたのか、老魔導士は黙る。
「それでは、アタシの神魔器についてお話します」
アイリは長い黒髪を掻き上げると、話し始めた。
「アタシの神魔器は、先ほど言ったとおり、リシェルの弓、と言われる器です。由来は、長くなるので、旅の途中にでもお話します。神の効力は…魅惑です、というか、魅惑と言われています。弓に射られた生き物は、人であれ、光の者であれ、闇の者であれ、死ぬまで弓の使用者のために働く、そう箱書きにはありました。魔の呪いも分かっています。呪は…使用者の心。悲しみ、喜び、怒り、そういうすべての感情を奪うとか。もちろん、使ったことがないので、本当かどうかは分かりませんが」
なんだろう。
洗練されている。
今までがぐだぐだだったのか、騎士は皆そうなのか。
逆に寂しくなるくらい、簡潔だった。
誰も何も話さない。
質問の仕様がない。
これで残るは二人。
最後は嫌だな、とクララが思うと同時に、アルミスが話し始めた。
アルミスは腰に佩いている剣の内、大きい方―もう一方も十分な大きさなのだが、それに比べても大きい―の剣を膝の上にのせた。
「それでは、俺の番だな」
言葉使いも態度も一見無愛想だが、騎士らしく、というのか、妙に紳士的だ。
クララはこの騎士に好感を持っている。
「俺は、まあ、アイリ同様、もう知れているらしいが、アルミス・ガラント。バルクの騎士だ。俺の剣は、ガラントの剣。いや別に冗談ではない。知っている人間もいるだろうが、神魔器の内のいくつかには、決まった名が無い。侵食の度に、拾った人間の名が付くこともまま、ある。この剣は、先の侵食の折りに、ひい爺さんが拾ったらしい。親父が死んでからは、俺が持っている。だから、代々、ガラントの家に伝わるので、一族はガラントの剣と呼んでいる。老魔導士の持ってきた器とは違い、これは正真正銘の神魔器。これも、知っている人間もいるだろうが―司書辺りは知ってそうだな、その顔は―アイリの弓と同様」アルミスは剣を縦にした。
「上部に光の騎士、下部に闇の騎士が彫られている」
なるほど。
アイリの弓と違って、彫刻ではないが、確かに彫りこまれている。
「一般的に、神魔器には、どこかに光の印と、闇の印が刻印されているという。そして、天地の法則に従って、上に光のモノ、下に闇のモノが刻印されている器を、神魔器といいその逆が魔神器という」
「よくご存じで」と司書が言う。
「まあ、俺も実は書が好きでな。よく読む。ともかく、この剣の効力だ。神の効力は、全てを斬り去る、だ。箱書きというのか、鞘に彫られている文字からすると、そういうことらしい。そして、魔の効力は、全てを忘れ去る、だ」
サーッと、風が木の葉の間を吹き抜ける音がする。
雨はもう、止んだらしい。
終わりだ、ともなんとも言わず、アルミスは剣を腰に戻すと、今度はクララに向かって、頷いた。
こういうの、苦手なんだよな、とクララは思った。
大人はよくもこう、初めて会った人の前で上手く話せるものだ。
自分は絶対、立派な大人になれない気がする。
困って一瞬俯いて、ああ、もう、と思って髪を掻き上げつつ顔をあげた。
やっぱりみんな見ている。
アイリと、キーラは静かに。
老魔導士は、いつの間にかフードをまた、目深に被っており、表情が読めない。
アルミスは、真剣な面ざしだ。
トーマは、盛んにクララに向かって顎を突き出している。
男子のやることは、よく分からない。
司書は、ニヤッとしかけて、笑いを噛みしめたりを繰り返して忙しそうだ。
顔立ちは整っているだけに、挙動不審なのが残念だ。
本ばかり読み過ぎるのも、良くないのかもしれない。
いろいろ考えて、話を始めるのを先送りするのも限界だった。
アタ、アタシのは。
少し噛んだ。
それでも必死に態勢を整える。
アタシのは、これ、この短刀です。
そう言って、懐にある、特製の短刀入れから、澄んだ銀色の小剣を取り出した。
柄の部分には―アルミスの剣と同様、とは言い難い―拙い絵で、天使―頭のリングで辛うじて天使だと思える―が彫りこまれており、鞘の下部―、剣の切っ先を納めている部分には、何やら醜悪な模様が描かれている。
たぶん、天使と悪魔だと、思います。
中途半端に言い切った。
サーッ、と風がまた通り過ぎて行き、隙間でもあるのか、クララの髪も、少しなびいた。
笑われるのかと思ったが、皆一様に真剣に聞いている、ようだ。
効力は、よく分かりません。
お母さん、いや、母から渡されました。
父の形見、だそうです。
あっ、でも、父が死ぬ時、いや、亡くなった時、あれ、死んだ時かな、もし、わたしが旅立つことがあれば、渡すように、これは道を切り開く希望の剣だ、そう伝えてくれ、と言い、母に渡したそうです。
「聞いたことがありますね」と司書が言う。
皆、そうなんだ、という風情で頷いている。
そういう訳で、闇、ですか、そういう何かがあるっていうのは、聞いてません。
ごめんなさい、となぜか最後に謝ってしまった。
深く溜息を吐く。
なんだか嫌に緊張してしまった。
しばし、沈黙。
そこはかとなく、気だるい緊張感が漂っている。
これで、七人全員の器のお披露目が終わった訳だ。
じゃあ、こうしよう的な、流れがあるわけではない。
そろそろ、寝ませんか?とキーラが言った。
皆、否応はない。
もう、草木も眠る時間だった。
明日―いや、もう今日か―の朝食を一緒に食べる約束だけすると、各々、寝床に向かった。
クララは、眠れるかなぁ、と考えながら、囲炉裏の火が爆ぜる音を聞いていたが、境界もなく、いつの間にか眠りの世界に堕ちた。
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