第三章
第三章
「なるほど、それでお前さんは、やっぱり、自分が一番悪いと思ってるの?」
杉三がまたそういうことを聞いた。
「お前さんはそもそもさ、なんで今回の事件は自分のせいだと思ってるんだ?」
「ええ。私がもう少し、家元として力があればよかったのかなと。長らく、この社中をやってきましたが、なんというのか、お弟子さん同士の軋轢があったことを止められなかったものですから。」
と、いう花村に、杉三は、
「其れ、どういう意味だよ。」
といった。
「確かに、ああなってしまったのは、仕方ないと言えば仕方ないんです。ああなることも時代の流だと思います。因果応報というのでしょうか、私が、古典がどうのこうのとこだわりすぎてしまったせいかもしれません。それで結局、藤川さんをあんな風にしてしまったのかなと思っております。」
花村は、そういうが、杉三はすぐに、こういうのだった。こうやって、身分にこだわらずに発言ができるところが、杉三のいいところだった。
「そうか。申し訳ないが、もうちょっと、わかりやすく説明してくれ。お前さんの発言は、社中に居ればわかるんだと思うが、それ以外の部外者には、何を言っているのか、さっぱりわからないんだよ。それじゃ困るだろ。もうちょっとわかりやすくしゃべってもらえないだろうか。初めから頼むよ。そして、終わりまで、しっかり聞かせてもらう。変な言い回しは使わないで、誰にでもわかる言葉で語ってくれ。よろしくな。」
そういわれて花村は、ああすみません、と一礼して、少し考えてこう切り出した。
「はい、初めはそうです。おかしくなったのは、今年初めのお稽古の時からでした。藤川さんが、うちの社中でもこれをやりたいと言って、ディズニーメドレーの楽譜を持ってきてくれたんです。」
そのあと花村は、また言葉に詰まった。
「そうなんだ。で、それが一体どうしたんだ?」
杉三は、ぶっきらぼうに言った。
「ですが、藤川さんがその楽譜を持ってきたことに対し、上浜さんが、そういう曲は正統じゃないといい始めて、、、。」
つまり、曲をめぐって、藤川さんと上浜富子は、対立していたという事になる。しかし、その程度で、社中がぶっ壊れてしまうほどの、一大事になってしまうのだろうかと咲は不思議だった。
「つまるところ、お前さんは、家元として具体的に何かしたの?」
「ええ、藤川さんの提案に、わたしは反対しました。ああいうモノをやるのだったら、古典を極めて言った方がいいと。でも、古典をあまり快く思っていない人たちが、うちの社中にも大勢いて、藤川さんと一緒に脱退したいとか、言い始めて。」
「脱退!またそれはすごいこと言いますね。」
思わず咲もそんなことを言ってしまった。
「ええ、それだけ古典箏曲というものは需要がないですよね。其れは確かなことではありますが、どうしても私は、ああいう形態、つまり、ポピュラーソングという形が、不得手でしてね。」
「はあ、なんでそう思うんだ?思うなら、理由があるはずだよな。」
杉三が、花村をからかうように言った。
「まあ確かに、不思議に思うかもしれませんが、あたしも何となくその気持ちは分かります。クラシックに傾倒していると、どうしてもああいう曲はなんだかなあと思ってしまいますよ。先生のお気持ちもわからないわけではないです。」
花村のいう事は、咲も何となくわかる。クラシックをやっていると、ポピュラーソングの発声とかリズム感が非常に汚いものに見えてしまう。ああいう曲をやると、自分が一段格が下がったような気持ちになるのは、誰でも確かにある。
「ええ、あたしもわかりますよ。そういう曲は聞いてはいけないっていう感じ。うちの家族にもありました。クラシックを聴いていると、ポピュラーソングはそれに比べたら大変劣っているという気持ち。伝統音楽何てやっていれば、余計そうなのではありませんか?」
咲は、もう一回同じことを言った。花村がそういうことを思ってしまうことで、自分を責めているような気がしたからだ。
「まあ、そういう事か。つまり、お前さんがその嫌だと思う気持ちが、今回の悲劇を生んでしまったとお前さんは考えているという訳か。ま、それはな、もう、してしまった事はしてしまった事で仕方ないから、二度と繰り返さないように、しっかり考えなおすことだな。」
杉三はからからと笑った。
「しかしどうして、今回、富子さんは、藤川さんを殺さなければならなかったのかしら。それだけじゃ、理由にならないわ。何かきっかけになるような出来事があったのかしら?」
咲はそこだけがどうしてもわからないので、そういってしまう。
「ええ、そこは私も正直、わかりません。確かに曲について、上浜さんと藤川さんが、良く対立していたことは認めますが、其れだけが原因とは、私も思えないんですよ。」
花村はそう悩ましそうに言った。
「其れよりも、家元として、わたしが二人をもう少し統制していればこんなことにはならなかったかも知れないですけどね。」
「まあまあ、そこばっかり考えるのはやめにしようぜ。お前さんはお前さんで常の場合じゃなかったんだし、其れは其れで仕方ない事だったんだから、そう割り切ることも必要なんじゃないの?」
杉三が明るい顔をしてそう言うと、
「杉ちゃんはいつでもどこでも明るいのね。」
と、咲は言った。
「おう。バカはいつでも明るいよ。健康な時も病める時も、疲れた時も。何時でもどこでも明るいから、バカっていうんだろうがよ。」
と答える杉ちゃんに、
「杉ちゃんの十八番ね。」
と、咲はそこだけは呆れてしまうのであった。
「しかし。」
と、二人のやり取りを見て、花村がこんなことを言いだした。
「何だかお二人には何でも話せそうですね。私は、今まで友人らしい人もいませんでしたので、なんだかうらやましいくらいですよ。そうして、何でも明るく片付けられたら、この世の中生きていくのに苦労しないのではないですか。」
「え?」
咲は思わず杉ちゃんの方を見た。そんなことをいわれるなんて、意外だった。
「まあ、僕らは親友だからな。其れだから、いつでも笑いあったり、泣きあったりできるんだ。僕たちはバカだからできるわけで、偉い奴にはできないよ。」
杉ちゃんはそういうことを言う。
「そうですか、うらやましいです。私も、そういう存在というものが欲しかったですね。まあ、若い時から家元となることが決まっていて、何をするにも特別扱いでしたので、もう無理だと思うんですが。」
花村がそういうと、
「いや、無理じゃないよ。お前さんだって、一皮むけば同じようなもんだって、よくわかったから、経からお前さんも友達だぜ!よろしく頼むな。」
杉三は、右手を花村の前に差し出した。花村は、どうしたらいいのか困ってしまっているらしい。咲は、今回は杉ちゃんにしたがったほうがいいのではないかと思い、花村さんにどうぞ、と手を出すように促す。
「いいんですか?」
花村はもう一回確認するように言った。
「おう、こっちはいつでもいいぜ。」
杉ちゃん、もうちょっとそのぶっきらぼうな言い方を改めれば、もっととっつきやすくなるのになあ
と思いながら、咲はほら、と、右手を差し出させた。花村が、そっと右手を出すと、杉三は、引っ張るようにそれを握り締めた。
「もう、僕の事は杉ちゃんでいいからよ。杉ちゃんと呼んでくれ、杉ちゃんと。」
「はい、わかりました。」
花村は、申し訳なさそうに頭を下げて、手を離した。
「実はどうしても言えない悩んでいることがあるのですが。」
「おう、悩んでいることはすぐに口にしちまえよ。ためてばっかりは、良くないからよ。」
良かった、花村さんがそう言う風にざっくばらんに話をしてくれれば、もうちょっと楽になるだろうな、と、咲は思った。
「ええ、あの、お願いというか、どうしようもないことなのですが、藤川さんのもとについていたお弟子さんたちは、すぐにほかの者が引き取って下さったのですが、、、。」
「あ、なるほどね。」
杉三は、花村の話に、すぐ相槌を打った。
「そういう事なら、この浜島咲さんの社中に引き取ってもらえ。」
いきなりそういうことを言われて、咲のほうがびっくりしてしまう。いきなり杉ちゃんにそういわれるなんて、予想外である。
「もう、そういう所で、やっていくには、難しいことだと思うから、この咲さんが使えている、下村苑子さんの社中に引き取ってもらうんだ。」
下村苑子という名を気軽に口にしてしまった杉ちゃんに対し、咲は、富子が言っていた、苑子さんと、花村が敵同士だったという事を思い出して、次の反応が怖かったが、花村は咲が予想した反応はしなかった。ただ黙って、かれの話を聞いている。
「大丈夫だよ。苑子さんは、古典にこだわる人ではないし、多少事情があっても、受け入れてくれるでしょう。」
そういう杉ちゃんに、咲は、止めようと思ったが、
「ええ、わかりました。それでは下村先生にお願いすることにしましょうか。」
と、花村は、そういった。花村が下村先生という言葉を使うというのは、意外というよりおどろきのほうが大きかった。
「それでは、下村先生に、後で、上浜さんについていたお弟子さんたちから連絡が行くようにさせますから、下村先生のご住所とか、連絡先を教えていただけませんでしょうか。幸いこの病院では、スマートフォンの使用は認められておりますから。」
花村にそういわれて、咲は、急いで、手帳に苑子さんの連絡先を書き、ページをめくって、彼に渡した。
「良かったねエ、こんな遠いところでもスマートフォンが認められててさ。」
杉三は、にこやかに言った。
「ちょっと、お二方、もう面会はそこまでにしていただいていいですか?花村さんも、お疲れのご様子ですから。」
と、看護師がやってきて、二人に向かってそういった。
「なんだ、この病院では、面会にも制限があるのね。」
杉三がそういうと、咲が、病院というのはそういう所でしょ、と、杉ちゃんを統制した。
「花村さん、もう横になられたほうがよろしいわ。まだ、安静が必要だから。」
そういうさばさばした看護師は、手早く花村に横になるように促した。
「ほんじゃあ、僕らはもう帰るわ。」
杉三たちは、にこやかに言って、部屋を出た。先ほどまで緊張した様子の花村が、にこやかに笑って、杉三たちに向かって手を振っていた。
その数日後。咲が、いつも通り、苑子さんのお箏教室がある、コミュニティーセンターに行くと、
「浜島さんでいらっしゃいますよね。下村先生のお箏教室を手伝っていらっしゃる。」
と、三人の若い女性から、声をかけられた。
「そうですけど、、、。」
咲が面食らった顔でそういうと、
「ええ、あたし達は、花村先生の命令でこちらへ来させてもらいました。あの、下村先生は、いらっしゃいますでしょうか。あたしたちは、もともと上浜先生の下で習っていましたが、上浜先生が有んなことになったので、かわりに下村先生の下で習う様にと。」
と、彼女たちは言った。そうか、あの時杉ちゃんとした取り決めが、現実になったのか、と咲は思い出した。
「ええ、じゃあ、こちらにいらしてください。」
と、咲は教室のある部屋へ案内する。
「苑子さん、先日お話した、上浜富子さんのお弟子さんたちが三人ほどいらっしゃいました。」
と、彼女たちを、部屋の中へ招き入れた。
「まあ、どうも、、、。」
苑子さんは、彼女たちを見て、困った顔をする。
「どうしたの、苑子さん。三人新しいお弟子さんたちが来てくれたと思って、レッスンしてあげればいいじゃないの。」
と咲は言うが、苑子さんは、
「でも、花村先生の下で習っていたんじゃ、相当古典をやっていたはずでは?」
何て事を言っている。
「ええ、あたしたちは、もともと、古典箏曲に興味があって、上浜先生に習っていました。其れに、あたしたちは、まだ、花村先生に直門して習えるほどの身分ではありません。だからまず上浜先生に習って。」
と、別の若い女性がそういうが、苑子さんはまだ戸惑ったままだった。
「もともと、上浜先生の下に通っていた人は、十人くらいいたんですけど、上浜先生が、あんなことになって、其れでやめて行った人のほうが多くて。まだまだあたしたちは、お箏という楽器について、もうちょっと習っていたかったので、困っていたんですが、一昨日、花村先生から、お箏を習うようなら、下村苑子先生の下へ習いに行くようにと指示が出たので、地図アプリで検索してこちらにある事を突き止めて、来させてもらいました。」
三番目の若い女性がそういった。
「だから、あたしたちにお箏を教えてください。下村先生。あたしたち、せっかく習い始めたお稽古事なのに、こんなことで尻切れトンボみたいになるのは、したくありませんもの。もし、下準備的なことが必要なのなら、そういう事からちゃんと始めますし、しっかりやりますから、よろしくお願いします!」
一番最初に発言した、若い女性が、そう発言した。苑子さんはそれでも困ったような顔をした。
「先生、平調子が違うのならいってください。覚えるように努力しますから。」
と、二番目の若い女性がそういったため、苑子さんは、さらにこまった顔をする。
「平調子、、、。」
そういって、楽譜をぼとっと落としてしまう苑子さん。
「何ですか?そんなにあたしたちが迷惑ですか?花村先生は、そのようなことは絶対にないってメールで仰っておられましたが。」
三番目の女性がそういうと、苑子さんは、
「平調子何て、うちでは使ってないのよ。」
とだけ言った。
「もう、苑子さん、ちゃんと説明しなきゃだめじゃないですか。あのですね、私たちの教室では、お箏を、楽器として楽しんでもらおうという指針でやっていて、そのため平調子という古典的な調子は使ってないんです。其れよりも、出来る限りピアノとかに近い調弦にしてもらおうという訳で、うちでは、洋調子という合わせ方をしているんですね。」
と、咲が急いで説明した。苑子さんは、もうこれではだめだというような、真っ青な顔をしていたが、
「其れは花村先生が言っていました。あたしたちは、そういうことは分かっています。平調子を使わなくてもいいんです。其れよりも、お箏という、楽器に触っていたいから、下村先生のところに習いに来たんですよ。」
と、一人目の女性がそういうことを言う。これには咲も驚いた。
「もし、平調子を使わないのならそれでもいいって、花村先生も仰っていました。だから、教えていただけませんか?其れとも、上浜先生があんなことになっているから、やっぱり駄目でしょうか?」
二番目の女性も、そういった。
「ちょっと待って。うちの社中が、平調子使わないって、なんで知っているの?」
苑子さんが、真っ白い顔をしたままそういうことを言うと、
「ええ、花村先生が教えてくれたんです。下村先生のところは、平調子というよりも、洋楽に近いものをやっているようだと教えてくれたんですよ。」
と、三番目の女性が真面目な顔をしてそういうことを言った。一体なぜ、花村さんは、そういうことを入手することができたのか、咲は不思議で仕方なかったが、ふいにある人物を思い出す。
「杉ちゃんだわ。」
きっと杉ちゃんが、スマートフォンで電話をしあって、花村に下村先生の教室は、こういうことをやっている、と教えたのだろう。杉ちゃんはしゃべりだせば止まらない癖があるから、きっと教室の隅々まで教えたに違いない。
「ほらあ、苑子さん。皆さんやる気があるようですから、簡単な曲から教えていきませんか?」
と、咲は苑子さんにいった。苑子さんは、そうねえと考えているようだったが、
「でも、花村先生のような人は、うちの教室のようなやり方を一番嫌うんじゃないかしら。」
とまだ決断ができていない様子だ。
「そんなことありませんでしたよ。花村先生は、新しいやり方だって、すごくほめていらっしゃいました。だから、あたしたちは安心して来させてもらったんです。」
と、一番初めの女性が言った。まあ、確かに、長年敵対してきた人物が急に味方になってくれるなんて、あり得ない話であるのだが、、、。
「ほら、みんなやる気があるじゃないですか。大丈夫ですよ。だから、レッスンやりましょう!」
咲は一生懸命苑子さんを鼓舞した。大変ですね、という目つきで、三人の女性たちから見られたくらいだ。
「苑子さん。早くお箏をセットして、、、。」
「大丈夫です。花村先生は、下村先生のしていることを、お箏を現代社会にうまく適合させた結果だと話してくださいました。だから、変なことは言いません。あたし達に、お箏を教えてください。よろしくお願いします。」
三人の女性たちは、苑子さんに頭を下げた。
「ほら!」
咲が、そういうと苑子さんは、
「わかりました。じゃあ、洋調子の取り方をお教えしますから、皆さんお箏の前に座ってください。」
と、言った。
「はい!」
三人の女性たちは待っていましたとばかりに、目の前にあるお箏に座った。苑子さんは、じゃあ、洋調子の合わせ方は、こういう感じなので、、、と説明を始める。咲はやっと、苑子さんがやる気になってくれたか、と、小さくため息をついた。フルートの準備をしながら、杉ちゃん有難う、と心の中で言った。たぶん、古典一筋に生きてきた花村の意識を変えることができるのは杉ちゃんだけだろうから。自分にはとてもできない。たぶん杉ちゃんが、うまいことを言って、花村に、下村苑子を敵対させないように、仕向けたのである。
同じころ、影山家では、台所で、カレーを作るためにニンジンを切っていた杉三が、
「へくちょい!」
と、大きなくしゃみをした。思わずニンジンを落としそうになる杉三だったが、それはしないで再びニンジンを切り始めた。
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