3 僕の話
灰色の雲がじわじわとこちらに向かってきている。雲の流れが速い。風が強い日、カラスはビルの裏側に身を潜め、雨風を凌ぐ。鉄骨の階段が艶やかな羽をうまく守ってくれるのだ。
当たりを付けて、表が硝子張りのビルの裏路地に入った。空気が少し冷えているが、馴染のにおいを感じた。湿気たごみと、獣のにおいだ。
僕は一羽のカラスに声をかけることにした。
非常階段の踊り場に出ると、カラスは物珍し気にこちらに目を止めた。
「おい、かわいこちゃん。こんなところに何の用だ?」
「僕のことはどうでもいい」
「そうはいくかい。ここはカラスのねぐらだ」
「死んだ人を探している」
「知らないね。毎日誰か死んでるんだから」
そりゃそうだと、また溜息をひとつ吐いて、僕は彼女の話をする。
「車に轢かれてるんだ。二週間前のことだ」
「そんな昔のことなんて、覚えちゃいないね」
「そう言うなよ」
「わかってるだろうな?」
「勿論だ。報酬はやるよ」
僕はカラスに耳寄り情報なのだと近付く。カラスは目を輝かせる。僕らは持ちつ持たれつの関係だ。僕は彼女の家を教えた。窓が開いている、彼女の部屋だ。
「あの灰色のアパートの1階、左端の部屋だ。窓は開いてる。あの部屋は好きにしていい」
「そこはお前の家だろう」
「よく知ってるな」
「俺は物知りでな」
情報好き、噂好きのカラスを探していた。当たりだ。
「訳ありでね」
「そうか」
含み笑いのカラスは不気味だ。
「それで、先に情報は渡したんだ。二週間前に、交通事故に遭った女を探している」
「ああ、それな。事故と言わないぞ。殺人だ。死体遺棄ってやつだ」
それは新事実であり、彼女の口から聞きたい情報だった。
「間違いないぞ。俺らは見たからな」
「お前も見たのか?」
「ああ、あの男は焦ってたぜ」
犯人は男らしい。なんと話の早いことだろう。
「その男はどうしたんだ?」
「捕まったよ」
「それも話が早い」
「大きな音がしたからな。街でも噂になってるぞ。知らないのか?」
「生憎、疎くてね」
「まったく、新聞も読まないのか」
「お前は読むのか?」
「読めるわけがないだろう」
カァカァカァと愉快そうに笑う。僕としては、カラスと話すのは非常に面倒くさい。そろそろ限界なのだが、辛抱して話を聞き続ける。
「まあ、犯人は置いておこう。彼女は警察に持ち帰られたのか?」
「そうだな、タイヤに付いた一部だけだ」
僕が首を傾げると、またカラスが待ってましたとばかりに言う。
「犯人の男は急いで、女に土をかけた」
「仕事が早いな」
僕が驚くと、ぱさりと別のカラスが飛んできた。話好きのカラスだ。我慢できなかったのだろう。
「私も見たわ」
「本当か?」
僕が疑いの目を向けると、女のカラスは胸を張って、上に向かって飛んだ。屋上に向かっていく。巣でもあるのだろう。
女のカラスはすぐに帰ってきた。
「これをごらんなさいよ」
ころんと、彼女の桜の髪ゴムが足元に落ちた。きらりと光るそれは僕がよく覚えていたものだ。そして、カラスがよく好む類のものだ。
「これは、あの子のものよ。そうね、腐りかけの肉の話もいるかしら?」
冬の羽毛だけでなく、ふくよかな女のカラスの腹を見てしまった。二週間で、彼女はどれほど残っているだろう。頭が痛くなってきた。
「もういい。よくわかったよ。お前ら、掘り返したのか?」
「掘っていないわ」
「かなり雨が洗い流したからな」
「場所は?」
「雑木林」
二羽のカラスは同時に答える。近所の雑木林を思い出す。
「あそこなら、警察も探すだろう」
「だから、雨が降ってたって言っただろう」
「犬もわからなかったみたいよ」
くすくすと笑うカラス達だ。警察犬にわからないことを知っていることがとても誇らしいらしい。
ここまでわかれば十分だ。
僕は足元の髪ゴムを口に咥え、階段を駆け下りた。
「あ、泥棒!」
男のカラスが僕を追いかける。
「猫のお前に何ができる?」
そんなことは僕にもわからない。
ただ必死に道路を駆けて、裏道を曲がりくねって通っていた。
気付くと、ぽたりぽたりと雨が降り出していた。僕は住宅の大きな車の下に身を隠した。
雨が強くなっても、カラスの鳴き声が近くに聞こえる気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます