10.54.対価


『拙者が願ったのは、悪魔以外の記憶の消去。自らの存在の消滅。そして、思念の残留』


 日輪はこの三つのことを、同時に願った。

 応龍の決定は絶対であり、必ず実行される。

 天の声が一目散に技能の制限をかけに来た理由が分かるというものだ。


 日輪は今口にした言葉をすべて説明するため、まずは人差し指を立てる。


『声の存在は脅威。彼奴等に協力する者が現れては今後に差し支えると判断した。本来であれば戦いにおけるすべての記憶を消すべきではあったが、そうなると阻止する者がいなくなる。故に、悪魔だけは戦争の記憶を残した』

「戦争と、日輪たちの記憶を消したんだな」

『うむ』


 次に中指を立てた。


『拙者たちは、鬼たちを悲しませたくはなかった。我らが消えることにより、悲しみは溢れぬ。覚えていて欲しいとは思わなかった』

「漆混や奄華、泡瀬は同意したのか?」

『うむ。無論、鬼には何も言わなかったが……。今考えれば失敗であったな。やはり感情的になると、どうしても失策を生んでしまう』

「悪いことじゃないと思うけどなぁ……」

『気遣い感謝する』


 次に、薬指を立てた。


『思念の残留……。彼奴等の仲間、天使は相手の切り札。それを、こちらにも用意したかった』

「……え?」

『つまり……声が顕現し、敵対してお主が睡眠を必要とした時、拙者がお主の前に現れるようにしたというわけだ』

「条件きっつ……」

『顕現しなければこのようなことにはならずに済んだのだが……待ったは利かぬ。こうなった時、拙者はお主に声の倒し方を伝えようと思っていた。しかし……必要なかったようだ』


 そう言って、日輪は扇子を手渡してくる。

 手に取っても見ると、めちゃくちゃ重かった。

 何とか両手で支え、力を入れて抱え持つ。


「おっも……」

『恨めし扇。怨念の籠った扇子である。これには五百年前の鬼、悪魔たちの魂が宿っている。練磨、漆混、奄華、泡瀬もその中に居る』

「……これだけ、声を恨んでいる奴がいると?」

『然り。是非とも、見届けさせてやって欲しい。声を殺すところを』

「お前もその一人なのでは?」

『無論、そのはずだ。されどこの空間を作り、お主と対話するためにその中には入れなんだ。拙者の役目はお主を起こすために拙者の魂を入れ、魔力を回復させる。故に、拙者は誠の意味で消滅する』

「いいのかそれで……」

『構わぬ。既にその程度しか成せることがない』


 本気だった。

 それ以外にできる事がないということは本当なのだろうが、彼の覚悟はぞっとするほどに固いもののように思う。

 梃子でも動かないその覚悟が、こちらにまで伝わってくる。


 昔の侍は死を躊躇わない。

 彼も、そうなのだろう。


『さて、一つ問う』

「なんだ?」

『お主は、応龍の決定をどう使う?』

「決まっている」


 それから俺は、応龍の決定で願うことを日輪に伝えた。

 始めは首を傾げていた彼ではあったが、最後まで聞いてようやく理解してくれたらしい。

 面白そうに頷き、感嘆していた。


『フフ、なるほど。拙者とは違うものを消すか』

「バルパン王国での話と、天使の話を聞いて思い出したんだ。神っていう存在の弱点を」

『拙者の世にはなかった知識と考えだ。だが、たったそれだけのことをしただけでも、代償は高く付く。永い眠りはもちろんのこと、世界の均衡を保つために何かが捻じ曲げられる。都合のいいように。待ったは利かぬ。過去に戻ることはできぬ。己が窮地に立つ可能性すらある。それでも、やるか』

「やらなきゃだろ。お前らの敵を討つためにも」

『……然り。では健闘を祈る』


 日輪が右脇に置いていた日本刀を手にし、鯉口を切った。

 キンッと子気味の良い音が鳴る。


『白龍前』

「ん?」

『名の意味を教えてやろう。白龍はお主のことだ。では前はなにか』


 立ち上がり、抜刀する。

 洗練されつくした美しい抜刀は、息をするのと同じ程に当たり前の動作であった。


『止まる足、船、そして刀が合わさった文字が前という文字。前に進むには障害を切り伏せねばならぬ。障害、今はそれが声共だ。“白龍は前へ進むために障害を切り伏せる”。拙者は、人間しか切ることができなんだ。されどお主であれば、神を切れるだろう』


 刃が振り上げられ、地面を斬った。

 ガバッと空いた穴から、光が零れてくる。

 次第に白い空間が燃やされるようにして崩壊していく。


 日本刀を納刀した後、日輪は俺の肩を掴んだ。

 そしてそれを押し付けてくる。


『持っていけ。お主に三滝流のすべてを流し込む。これが役に立つはずだ』

「……白い刀だな」

『拙者の最高傑作だ。名を──』


 言い終わる前に、日輪は光の粒子となって消えた。

 それが体の中へと入っていくと、魔力が回復していくのが分かった。


 白い空間が完全に崩壊し、光が体を包んでしまう。

 何も見えなくなり、ただただ体が落下していく感覚だけが伝わってくる。

 一体何処まで落ちるのだろうか。

 だが何もできない自分がいた。

 ただ流れに乗って任せるのみ。


 無意識の内に、眠ってしまったらしい。

 心地よい風が肌を撫でる。


 ……風?


 ガバッと起きて周囲を見渡す。

 どうやらここはテントの中であり、周りには生活に必要な物が並べられていた。

 しかしとても質素だ。

 あるもので何とかしようとしている感じが見て取れる。


「ありがとうな日輪。これで戦える」


 すぐに寝床から立ち上がる。

 そこで、カチャッという音が聞こえた。

 なんだと思って見てみれば、そこには日輪が手渡してくれた日本刀が置かれている。


「マジか」


 白い鞘、白い柄、黒の鍔と金物。

 鍔には滝登りの鯉が彫られており、柄頭や鞘の金物にも川の流れの様なものが彫られている。

 ずいぶんと凝った装飾だ。


 それを見てしばらく考えた。

 だがすぐにそれを腰に帯刀する。


「借りるぞ日輪」


 キンッと鯉口を切って刀身を見てみると、茎ではなく刀身に銘が彫られていた。

 それを読んで、小さく笑う。


「フフ、自分の名前彫るか普通? あ、でも昔はそれが普通か」


 一人で納得し、俺はテントを出ることにした。

 白龍前はウチカゲが持ってるって言ってたし、探しに行くとしよう。


 手に握られていた恨めし扇を持って、外に出たのだった。

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